2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 19 これにておわり

東日本大震災 10年目の振り返りは今回で終了とする。
写真のファイルをざっと見直して抜けがあったものをここで掲載する。

◇仙石線の被害
 ・東松島市陸前小野駅の様子
 ・野蒜駅東側の田んぼ脇の線路にしばらく放置されていた被災電車
   

◇石油精製工場の火災
 ・我が家からも立ち上る煙が見えた。夜は火も見えた。一時はLPGタンクに燃え移る恐れがあり住民の避難もあった。
  

◇マンションの壁になナナメの亀裂
 ・阪神淡路大震災の時に多く目にした「壁の窓枠の角を結んだ線状の亀裂」を今回も散見した
 .

◇震災当日、私が1時間ほど前に訪れていた「野蒜築港資料室」の様子。1階まで水につかったとのこと。その後取り壊されている。学芸員の方は無事でした(その後お見かけした)
     


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 18

【2011年4月19日(火)の日記】 仙台市、北海道から応援受け入れ
◇本日所用で宮城野区役所を訪れた。
◇震災の影響か人の出入りがすこぶる多い。
◇窓口に作業服を着て、腕章をしたり胸章をぶら下げたりして応対している人たちがいる。見ると「苫小牧」「白老」と北海道からの応援の方々。お疲れ様です。なつかしく思わず激励のエールを送ってきた(たぶんよけいなことでしょうけど)。
◇仙台市の業務に他都市からの応援も入っている。ありがたいことだ

【2011年4月19日(火)の日記②】 ついにヨーグルトが出回る
◇震災後入手困難が継続していた乳製品のヨーグルトがついに品数数量ともそろってきた。
◇本日、幸町のコープにて買い物時に確認。これが他店でも同じ状況かは不明だが、ここは元に戻ってきたことは確か。

【2011年4月20日(水)の日記①】 仙石線東塩竈まで開通
◇仙石線がいったん小鶴新田まで開通、7日の大きな余震で再度停止。15日に小鶴新田まで再度復旧であったが昨日東塩竈まで開通した。
◇街に出る時はよく利用するので開通して助かる。
◇仙台の街の中から多賀城方面行のバスが時に猛烈に込み合っていたが少しは解消すると思われる。小鶴新田で乗り換えていた多賀城塩竈方面の人もやっと直接行けるようになった。
◇あと開通が待たれるのは新幹線の上下(東京側は25日開通とのこと)、北海道への航空機・フェリーといったところ。

【2011年4月27日(水)の日記】 過去の三陸大津波
◇吉村昭著、「三陸海岸大津波」を読む
◇過去に三陸を襲った以下の大きな津波について、前兆・被害・救援の様子などを体験者の証言をもとに記述した記録。
 ①明治29年の明治三陸大津波、②昭和8年の昭和三陸大津波、③昭和35年のチリ地震津波
◇これに今回の東日本大震災津波が(著者は変わるとして)加わることになるのだろう
◇そう遠くない過去にこれだけ津波の被害が出ていても何十年も経って子供・孫の代になると正確に伝わらないこともあるだろうし、さらに1000年もさかのぼって歴史を振り返っての発想の転換はなかなか出来ないものだ。
◇大分前に唐桑半島のビジターセンターで津波の擬似体験をした覚えがある。三陸大津波を忘れないための施設で、みんな津波に対する防災の意識は高く、重要性は受け継がれていたと思う。
◇それなのに今回のより大きな津波を防げなかった。無念である。

【2011年4月30日(土)の日記①】 東北新幹線全通 地下鉄全通
わたくし(=ごくフツーの仙台市民)からの震災後の生活環境報告もそろそろ終り。
◇4月29日、東北新幹線全通。仙台以北も開通した。
◇仙台~苫小牧間の太平洋フェリーが28日に復旧した。名古屋との間はまだ。
◇仙台市の地下鉄は北部の泉区の復旧が遅れていたが29日に全通した。

【2011年4月30日(土)の日記②】 宮城野図書館一部再開 震災列島
◇ 3月11日の震災以来休館となっていた地元宮城野図書館が4月28日に、「臨時窓口設置」という形で開館されるという。
◇ 返却しないままの本のことが気になっていたので早速出かけてみた。
◇ 図書館の玄関に掲げてあった記録写真を見ると地震の被害は相当のものらしい。外壁の落下も目立ち、建物の被害も大きかったようだ。
◇ 図書館の中には入れず。玄関前の青空のもと折りたたみ机を前にして「返却」と「受付」の係の人がいる。借りられる本はほんのわずかで、青空市のワゴンみたいに並べたり小さな書架に入っていたりしている。
◇ これではとても借りる本を探す気になれなかったが、帰りがけに「震災列島」という表題が目に留まりこれだけを借りてきた。著者石黒耀。
◇ 読み出してみるとこれがとんでもない内容。ドキュメンタリーのような土曜ワイドをさらに崩したような推理小説のような。
◇ まず驚いたのは、地震・津波・原発と今回の震災を的確に予言するような内容である。震源地は東海・東南海地震であるが被害状況の記述は今回の震災のテレビを見ているようだ。臨場感たっぷりで、読んでいてこれはドュメンタリードキではないかと錯覚におちいる。
◇ 東海地震に東南海地震が連動、名古屋に大津波。この地震の連続発生を予測した地質調査会社の技術者が大津波の発生を利用して娘の仇を討つというストーリー。
◇ 現在の科学的なデータをもとに最悪のストーリーを浮かび上がらせている。
◇ 推理ドラマ的な筋書きはその内容があまりに悲惨であり受け入れたくない。フィクションはなくてもよい。いっそ小説ではなく架空ドキュメンタリーとしてまとめていただきたかった。
◇ 確実に起きると予測されている東海・東南海地震で被害が予想されるという原発の問題も、福島の例があるので話を素直に受け入れざるを得ない。
◇ 今回の津波は「想定外」というが、この小説のように想定していた人はいたということだ。問題は受け取る側がどれだけ真剣に自分のものとしてその対応を取ろうとしていたか・対応したかということだ。反省を次に活かしたい。


【2011年5月2日(月)の日記】 宮城野区役所まわり大渋滞
◇本日は、大型連休の谷間で暦では出勤日、区役所は開いている。所用でまた宮城野区役所に行った。行くのに車は渋滞、建物の中も混雑。えらく時間がかかってしまった。
◇震災・津波災害による罹災証明や税金軽減の申請をする人達が多いようだ。
◇仙塩街道(国道45号)の仙台方向の左側車線は区役所を先頭にノロノロが遠く苦竹駅の向こうまで続いている。そもそもなんで渋滞になっているかわからない人が多いから区役所以外へゆく車も左側に入るので流れがスムーズでなくなる。ダイエーの買い物行列やディズニーランドのように行列の目的と最後尾が明示されているといいけど、役所にお願いは・・出来ませんね。
◇連休明けもこの状態が続くようなら根本的な対策が必要だ。  


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 17

【2011年4月7日(木)の日記①】 仙台の火葬場10日待ち
近所に住む友人の親御さんがなくなった。100歳近く、寿命をまっとうしての大往生である。ご冥福をお祈りします。
◇友人談によると、震災の影響で火葬場はフル稼働、申し込みは行列して順番をとる状態。友人の場合もやっと順番がとれたのが10日後とのこと。
◇震災は生活のあらゆるところに影響している。

【2011年4月7日(木)の日記②】 広瀬川のガケ崩れ
◇広瀬川は、仙台市の中心部に近くなって左右に何回も曲がり蛇行している。岸は部分的に垂直に近く切り立ったガケになっている。
◇今回の大地震でこのガケがところどころ崩れて落下している。
◇住居に近いところは対策がとられることと思う。
◇猛禽類が営巣したところも一部壁の落下がみられる。はたしていままで通り営巣して子育てをしてくれるものか大いに気になる。

   

【2011年4月8日(金)の日記】
◇昨晩大きな余震があった。11:32PM、M=7.4、震源宮城県牡鹿半島沖、震度=わが宮城野区で<6強>。3月11日の本震のような「強烈に揺さぶられる」感覚ではなく大きく揺られて長く続いた。
◇わが家では、室内の小物落下とせっかく整理がすんだ本棚1棹が再び転倒。
◇電気・水道・ガスは活きたままで、総じて被害は軽微。ただしライフラインのなにかが停止というところは多い。
◇天井との間にとりつけてある「突っ張り棒」今回も威力を発揮。
 

◇近所のブロック塀倒壊。昨日の地震ではこのような損傷が多かったみたい。
 

【2011年4月11日(月)の日記】 夕方から余震頻発 地面が動きっぱなし
◇夕方5時台に大きな余震。福島県では震度6弱。仙台でもかなり揺れた。地震はその後数分間隔で続き、まるで地面が動きっぱなしといった感覚の状態が1時間以上続いた。なんとも気持がよくない。
◇工場の復旧計画のためいわき市に出向いている親戚Dさんは電気水道ガスが停止して不自由な生活状態になったとのこと。お見舞い申し上げます。
◇もういいかげん静かになって欲しい。

【2011年4月12日(火)の日記】 余震は止まらず
◇今日も余震は頻発した。テレビやラジオの「キンコーン!緊急地震速報」に驚かされっぱなしだった。精神衛生上はなはだよくない、早く収束/終息して欲しい。・・がM9もある大地震なので1年後に最大余震が起こるケースもあると言っている学者さんもいるようだし、スマトラやニュージーランドでもかなり遅くに大きな余震がきているので油断なく地震対策・緊急用備品をあらためて準備としたい。
◇私のまわりの本日現在の生活環境
 ・電気・水道・ガスは活きている。
 ・ガソリン灯油は必要ないので最近給油していないがガソリンスタンドはようやく行列がなくなった。
 ・スーパーマーケットに商品はかなりそろってきた。ごく一部品薄・購入数量の制限あり(ヨーグルトはまだ不足状況のまま)
 ・市内のバスの運行は大分戻った。
 ・鉄道は、東京-福島間の新幹線が開通、福島-仙台間の在来線が開通。
 ・仙台空港もほんの一部だが民間機が明日通じる予定。
 ・ごみ回収はやつと元に戻りそう

【2011年4月13日(水)の日記】 青葉神社の地震被害甚大
◇杜の都仙台の三大祭りとは、①青葉まつり、②七夕まつり、③光のページェント ということらしい。
◇このうち青葉祭りはまだみたことがないので楽しみにしていた。
◇青葉祭りは、伊達政宗とその家臣たちを祀る青葉神社のお祭りで毎年5月に行われる。神輿渡御、武者行列、手踊りなどがにぎやかに行われるとのこと。昭和40年代から一時中止されたがここ20年以上盛大に催されている。
◇本日所用で近くまで行ったついでに初めて青葉神社に参拝した。
◇そしたら、びつくり、地震の被害が甚大である。
◇まず入り口の大きな石の鳥居が完全に崩壊していた。
  

◇本殿前の灯篭も見事に頭の部分が落ちていた(大分片付けられてはいた)。
  
◇これではお祭りを開催する気分にはならないでしょう。
◇サクラはもう咲き始めている。今週末は見ごろか。
◇この程度の地震被害はこれからどんどん見える形になってくるだろう。津波の前に大きな地震があったわけだから。そして大きな余震もあった。  
【2011年4月16日(土)の日記】  宮農高まわりの状況
◇所用で名取市の海に近い宮城農業高校近くに行く
◇県道10号線(塩竈亘理線)の閖上大橋は通行止め。国道4号線から仙台空港鉄道線に沿った道に左折、この道は県道10号の先までゆける。
◇宮城農業高校の敷地の周回道路は通行できる。
◇宮城農業高校の2階までは津波がきている。3階は無事だったように見える。敷地には隣接するゴム工場のタイヤ置場のタイヤが流れ込んで無残な状況
 
 

◇広浦側の堤防も貞山堀の水門も破損
  
 


  


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 16

【2011年4月6日(水)の日記】 津波に会った方の衝撃的な話を聞く
◇昨日から開いている仙台駅前のさくら野百貨店地下食料品売り場を見てまわった。
 ・魚・肉・野菜、生鮮品もそろっている。
 ・パンも牛乳もOK、いろいろ取り揃えてある。
 ・ヨーグルトは売り切れ。もともとあまりなかつた様に見えた。
 ・お土産物店も商品はそろっていた。

◇コーヒー豆店のコーナーで一休み。カウンターでコーヒーを飲もうと座ったら隣に初老の紳士とその奥さんがおいしそうにコーヒーを飲んでいた。聞けば女川で津波に会い、仙台の肉親宅に身を寄せているとのこと。
 まつたくのインタビュー報告。偶然会った方の話だが、顔をあわせて聞く実体験の話は心に突き刺さる。以下は断片的だがその方の話(著者注;細かくは違っている点があるかもしれない)。
 ・地震のあと原発の建物に避難した。当初の津波想定はそこでOKだったが、想定が高くなり、より高い建物に移動した。
 ・建物の屋上に上がり、さらにアンテナに取り付いた。
 ・津波は衝撃的な強さで横から襲って来た。さらに引き波の力もすごかった。
 ・屋上には20人余りが逃げてきていたが、津波のあとは6人しかいなかった。
 ・津波は胸の高さまできた。たまたまアンテナをつかむことが出来て流されず耐えることが出来た。
 ・流れてくる材木なども怖いものであったが、なんとかアンテナを盾にして奥さんともども逃れることが出来た。
 ・津波は何回も来た。1回目より2回目が強かった。5回目くらいからは低くなった。
 ・消防の人が流されてきて、たまたま笛を吹いて自分の存在を知らせることが出来て学校の位置で助けられた。
 ・水位が低くなった後に、高台の避難所の学校に移動した。
 ・水に濡れ、泥もかぶり寒かった。カーテンを貸してもらえたのでそれに包まって少し寒さをしのげた。
 ・孤立状態で2晩はまったく食べ物なし、3日目にやっと水と小さなミートボール2個を食べた 
 ・5日目に肉親が歩いて探しに来てくれて助かった。肉親はてっきり津波に流されたとあきらめていた。
 ・家は流された。
 ・3週間過ぎてやっと少し落ち着いた気持ちになった。
 ・生きるか死ぬかはほんの紙一重であるとつくづく思った。
 以上が本日聞いた衝撃的な話である。

 女川のニュースは震災直後は入らなかった。3-4日して突然「壊滅的被害」と聞いた覚えがある。救援もない中寒い暗い夜を過ごさなければならなかったことを思うとまったくお気の毒であった。
 被災したひとりひとりにはほんとに涙なしには聞けないそれぞれの体験がある。
 今回地震・津波災害を受けた方々の貴重な体験談を真摯に受け止め、将来同じ悲しみが起きないような対策を考え実行してゆかなければならない。

   


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 15

【2011年3月31日(木)の日記③】 浪分神社 大昔からくり返される
◇知り合いに<実家近くに「浪分神社」というものがありそこは海からかなり離れているが大昔津波が来たという言い伝えがある、今度の津波でも近くまで波が来たようだ>と聞いた。
◇地震の少し前にテレビのニュースで1000年以上前に貞観(じょうがん)の津波という大きな津波があったことが文献にあり、最近の地層の調査でその規模が非常に大きかったことがわかったというようなことを放送していた。
◇本日、浪分神社を探訪した。
◇浪分神社の場所は、若林区霞目、自衛隊の東、横綱谷風梶之助の墓の近く、バス停「霞の目」のすぐ前である。
◇歴史上仙台は昔から大地震や大津波に幾度となく見舞われてきたようだ。浪分神社は海から5kmも陸に入ったところだが昔大津波がここまで来たらしい。
◇昔、慶長16年(1611年)12月に大地震が起こり、これに続く津波に襲われた。この時の大津波の状況は、伝説によると浪分神社の位置まで波が達し、この高台で波が二つに分かれたとされている。
◇またさらに前の、平安時代の歴史書にこのあたりを襲った大津波の記述があるらしい。869(貞観11)年の貞観津波だ。
◇そして、この付近の地質を調査した結果は「仙台平野の内陸部に達する貞観並みの巨大津波は、約1000年ごとに起きている」ことが分かった。貞観津波からはすでに1100年以上が経過しており、巨大津波を想定した地震対策が必要と一部の学者から声が上がっていた。
◇テレビのニュースによるとこの話を聴いていた海に近い地元の一部の人達は、決められた避難所である小学校では危ないと判断して仙台東部道路まで退避し難をのがれたという。これが本当とするとなんともやりきれない話である。せっかくの調査検討結果が活かされなかったことになる。
◇今回の津波は仙台東部道路が防潮堤の役目を果たしたとのこと。東部道路の構造は「橋脚」ではなく「土盛り」であり、本日東部道路の西側を見た限りでもダムの効果がはっきりと認められた。ただし、土盛りを貫通する(交差する)道路部分の四角い穴(トンネル)から海側から来た津波が陸側に噴出してそのまわりは津波が運んだゴミがたまっていた。東部道路がなければ津波は浪分神社あたりまで浸入したかもしれない。
◇先人は津波の被害を受けて、この被害を繰り返さないよう自戒を込めて後世に伝えたのが浪分神社としたら、結果として効果的に伝わらなかった。また科学的な裏づけ調査をして対応を提言している学者先生もいたが意見が活かされなかった。それは受け止める側の今の時代のわれわれの問題かもしれない。
◇このあたり、津波だけでなく地震そのものによる地面の陥没も目立つ。道路があちこちで割れたり沈んでいたりしていた。
  

【2011年4月1日(金)の日記①】農業園芸センターまわりの状況
◇市内若林区荒井にある農業園芸センターまわりの地震・津波被災状況
◇ここは昨日記述した「浪分神社」の海側、仙台東部道路のさらに海側にあたる。
◇仙台東部道路から海側は津波の跡の泥とゴミが散在。主要道路は通れるようにガレキや樹木などを道のわきに寄せてある。高さにより被害程度に差がある。低い土地は泥がたっぷり堆積している。
◇農業園芸センターは閉鎖中。駐車場は泥堆積。少し高い位置は被害をうけていない様に見える。
◇大沼にはなぎ倒された樹木が散乱、部分的に集まっている。
◇大沼周回道路はほぼ全周地崩れで損壊。
◇近隣の荒浜地区には侵入禁止。
◇県道10号線(塩竈亘理線)は通行可、高砂大橋も通行可。
    

  

【2011年4月2日(土)の日記①】 ガソリン給油状況やや改善
◇利府街道岩切の町を過ぎて利府町に入ったところの宇佐美、午前中10時過ぎに通りかかったら車は行列なしで給油出来ている。せっかくの機会なのでUターンして待ち時間ほとんどなしで満タン給油。ラッキー。出光のローリーの動きが活発になっている。アリガトサン。
◇ここも午後には行列が出来ていた。それでも2-300m、と短い。ここは穴場かそれとも少し給油環境がよくなったか・・?あるいは本日はゲリラ的に急に営業したのか・・・

【2011年4月2日(土)の日記②】 県民の森まわりの道
県民の森まわりの状況(見た範囲で)
◇もともとの計画的な工事のため七北田川今市橋側からのアプローチは不可。利府側からは可。
◇青少年の森、中央記念館とも閉鎖中
◇森内は地震による地面の亀裂、土手の脱落などがみられる。遊歩道への立ち入りは禁止となっている。
◇要するに来ても歩けない。
◇周辺道路には凸凹が生じている箇所あり。運転要注意。
◇四季の森方面は通行禁止。富谷方面からの道は大きく崩壊していて通れない。
◇利府のグランディ21方面には抜けられる
  

【2011年4月3日(日)の日記①4】まだガスがこない
◇仙台市ガス局は他都市の応援を得て、3200人規模のオールジャパン体制で懸命にガスの復旧に取り組んでおり昨日まで約1/3の家庭が復旧できたらしい。
◇毎日の開栓予定が町単位で示されているがわが家まわりは未定である。
◇本日わが家まわりに東京ガスの系列の会社の応援の人がいてなにかやっているので聞いてみると各家庭のメーターの入口の取り合い弁までの供給側の復旧をしているとのこと(ここで不具合が見つかれば修理するという流れらしい)。このあたりの復旧の見込みは不明とのこと。動きはあるが、2-3日中には復旧しそうにない。残念。



【2011年4月3日(日)の日記②】 仙台市民の被害
◇震災の後、大した被害がなく元気にしている様に見える普通の仙台市民の、わかってきた被害(私がわかってきたということ)
◇建物に被害がないといえても、地震で家財が痛めつけられていることがある。食器棚が倒れて食器がメチャメチャに破損とか本棚が倒れて本・家具・床などが破損など
◇震災当日や2-3日後まで、大きな余震が頻発する中散乱した家に戻って過ごすのは怖くて自動車の中や避難所で過ごした人も多い。
◇建物の地震による被害もわかってくるほどに多い。古いビルなどは躯体に損傷を受けたり、盛り土の造成地では家全体が傾いたりといった被害も散見する。
◇近郊の森や高台などは地割れ・土砂崩れなどを多く目にする
◇勤め先が津波の被災地で車をなくした人の話も耳にする。
◇これから、心の面の被害も顕在化してきそう
◇新聞記事にならないところでの震災による損傷もスコグ多い。

【2011年4月4日(月)の日記①】 ダイエーでまともに買い物
◇所用で街の中に出たついでにダイエーで食料品など買い物
◇もう行列なし、並ばなくとも買える。
◇品物もかなりそろっている。
◇食料品の中では(私の買い物の中では・・)、牛乳が単一銘柄(岡山産)のみそれでも数量制限なし、ヨーグルトはあまり見かけない銘柄のみしかも1人1個に制限あり。乳製品はかなり品不足のままである。地元の有力2工場の製造停止がきいている様だ。
◇街の雰囲気も落ち着いている。救急車に出会わなかった。

【2011年4月4日(月)の日記②】 ついにガスが来た
ついにガスがきた。これでわが家で風呂に入れる。調理も元に戻れる。
.◇今朝の新聞に、突然わが町が本日から開栓開始と出ている。ビッグニュース。
◇昼前、わが家の前の公園にガス会社の人、聞けば宮崎県からの応援の方々で開栓中とのこと。遠路ご苦労様です。わが家ももうすぐと期待。
◇午後5時頃、わが家にやっと来られました開栓組。すぐにOK。万歳!。
 ありがとう、オールジャパンガス復旧隊の皆さん  


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 14

【2011年3月28日(月)の日記④】JR仙石線一部開通

◇鉄道が開通! JR仙石線の青葉通り終点から小鶴新田までが本日開通した。
  

【2011年3月29日(火)の日記】 ガソリン25リットルゲット
◇ガソリンが最低目盛のままで少し心もとないので本日は朝から覚悟の上車の行列に並んだ。
◇近所の、国道45号苦竹駅東側、ヤマダ電機前の給油所。苦竹SS。給油能力が大。ここのところ毎日営業している。ただし午後には在庫切れのようだ。
◇ここの行列は最初の信号から2手に分岐している。下流側ではさらに分岐している。自転車によるチェックで本流である45号~中原本通りに並んだほうが早いと判断していたので、このルートの最後尾につく。6:40、苦竹郵便局前。30分遅くても10台くらい並んだだけ。並び出すのはもう少し遅くてもよかった。
◇8:40に列が動き始めた。給油開始とみえる。
◇9:00には45号IN、9:15苦竹駅ガード下と動きは早い。
◇9:50i給油できた。レギュラー単価160円、25リットル(4000円分)ゲット。セルフ。
◇セルフ灯油も簡単にゲット。シナネン石油殿ありがとう。
◇待ち時間3時間40分、前回よりはまし。これも時間がたっぷりあるからできること・・・。
◇エンジンをとめて待っていると寒い。十分な防寒対策をしたつもりだが足元から冷たさが這い上がってきた。津波の被害を受けて何日か孤立した人たちは防寒着もなしにこんな寒さに耐えたと思うと頭が下がる。
◇待っている間に文庫本1冊を読んだ。本棚からみつけた古い本。柳田邦夫著「恐怖の2時間18分」、1973年3月アメリカスリーマイル島の原子力発電所で起きた事故のドキュメント記録。今日現在も深刻な状況にある東電福島とは原因も影響も大きく異なる。

【2011年3月29日(火)の日記②】購買環境ぐっと改善された
◇昨日から24時間営業のセイユーが一斉に開店。近所の店に行く。
◇本日午後からの様子。行列なし、店の中もゆっくり選べる。商品もかなりそろっている。
◇朝のうちはそろっていたと思うが、ヨーグルト・食パンは在庫切れ。牛乳はあり。野菜などもある。
◇食料・日用品の購買環境は大分よくなった。

【2011年3月30日(水)の日記】 気仙沼までハガキが5日で到着
◇気仙沼の友人宅へ出したハガキが5日かかって到着した。
◇友人宅は幸いやや山手で津波の被害にはあわなかった。
◇やっと郵便が配達されるようになったということか。
◇道路はなんとか

【2011年3月31日(木)の日記①】 親戚に風呂をもらいに
◇ガスがなかなかこない。仙台市ガス局は連日開栓作業を進めておりガスが使用できるようになった地域は少しずつ増えている。わが家のまわりは、一度予定が発表され、2-3日前にはガスは生きるはずだったがなぜか後回しになりまだ使用できない。
◇2日ほど前にガスが生きた仙台市の反対方向に住む親戚から風呂の招待があり、お言葉に甘えて出かけた。久しぶりの風呂は気持ちがよかった。親戚Dさんありがとう。
◇夕方、わが家の近くでガスのマンホールを開けてチェックをしていた。仙台市ガス局に応援に来た北陸ガスの方々。さて明日開栓になるか。なって欲しいが。

【2011年3月31日(木)の日記②】 東北本線も一部開通 
◇東北本線(在来線)の仙台~岩切間が本日開通した。わが家に近い東仙台駅の両隣の駅間が開通ということ。
◇東仙台駅で両方向行きがすれ違い(下写真)
     


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 13

【2011年3月27日(日)の日記③】 本日現在の生活環境

本日現在のわが家の生活環境
◇電気・水道は来ている。
◇ガスは、まだ来ていない。仙台市ガス局がエリアを区切って段階的に復旧にかかった。わが家のまわりはあと2-3日で復旧とみた。ガスがないので調理にてこずり、風呂も入れない状況。
◇買い物は相変わらず不便。お店への入荷品目・数量とも少ない。食料品は大きい店ほど品数は多い(といっても平常に比べてまったく少ないが)が行列が長い。コンビニは開いてる店は半分以下、置いているものは限られている。ときどき「当たり」があるのでこまめに行列に並んで覗く必要あり。近所のミニスーパーは品物が入荷次第すぐに店頭に並べてくれる。ただしいつ来るかまったくわからない。行列の様子をしょっちゅう監視していないと望むものは買えない。
◇すぐ近くの薬局は薬の入荷が少ない。私の花粉症に効いた希望の薬が買えなかった。
◇ガソリン状況は一向によくならない。少しずつ入荷しているようだが、給油してくれるのはごく限られた店のみ。給油しているところは1km-2kmの長蛇の列。もう緊急用にしか車は使わない。
◇宅配便は復旧。自宅まで配達してくれる。
◇仙台市内の病院は外来をほぼ平常体制で受け入れてくれるようだ。
◇東北自動車道は一般車も通れるようになった。鉄道はまだまだ。
◇市内のバスは、本数が少ないようだが通っている。復旧当初は時刻通りに来ず、市内まで数キロを歩いて仕事場に通っている人もいた。
◇東電福島第1原子力発電所は深刻な状況が続いている。仙台までは約100km。これからどうなることやら心配ではある。昔ジェーンフォンダがテレビか新聞かの記者をした「チャイナシンドローム」という映画があったことを思い出す。。
◇わが家と同じ宮城野区の海の近くや隣の多賀城市には特に津波による被災を受けた方が大勢いる。まだまだわが家はめぐまれている。

【2011年3月28日(月)の日記①】 ガソリン給油状況
◇本日午前、近所で給油中のガソリンスタンド゛
 ・出光旭丘。800台以上並んでいる。列は東に伸びて舛桝交差点をまわり青葉病院の先まで続いている。
 ・コスモ苦竹。ここは枝分かれしている。人手不足らしく交差点で整理されていない。本流は中原の通りを松岡踏切あたりまで。

【2011年3月28日(月)の日記②】 安否確認システムに登録してあった
◇今回の震災で、親戚が当方の無事をGoogleの安否確認システムに登録してくれていて、これを見て安心していたという連絡が遠方の人からあった。登録していてくれた親戚Eさんありがとう。

【2011年3月28日(月)の日記③】宅急便山口県から2日で到着
◇本日も宅急便が届いた。遠方山口県から2日で配達された。クロネコさん頑張ってくれている。ありがたい。お茶を飲みながら久しぶり山口の名産和菓子等をゆっくり味わった。気分が晴れ晴れとしました。お心遣いに感謝感謝です  


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2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 12

【2011年3月24日(木)の日記③】 牛乳買えた
◇昨日は買えなかった牛乳を買えた。近所の中規模スーパーで10分待って牛乳1本ゲット。近隣の別のスーパーでも同様。少しずつ環境はよくなっている・・・か?


【2011年3月25日(金)の日記①】 本日午前ガソリンスタンド状況
 本日午後の国道45号、JR苦竹駅から東側と扇町方面の給油所状況
    

【2011年3月25日(金)の日記】 福島原発深刻な状況続く
◇福島第1原発は深刻な状況が続いている。仙台までの距離は約100km。大丈夫だろうか。
◇名古屋から仙台行きのフェリーからみると福島県の浜通りは次々と発電所があらわれ、さながら発電所銀座。
 写真は、健全に運転していたころの東電福島第一原子力発電所のフェリーからの遠景
 

【2011年3月26日(土)の日記②】 北海道から牛乳が
◇相変わらず牛乳ヨーグルトなどの乳製品が品不足。あちこちミニスーパー・コンビニをまわり行列に並んでなんとかゲット。これが北海道産。昨日仙台港のフェリー岸壁の使用が出来るようになり太平洋フェリーのおなじみ「きたかみ」が北海道から救援物資を大量に積んで入港というニュースがあった。北海道の皆さんにはごめいわくをおかけします。太平洋フェリー有難う。
◇自転車で近所を「地回り」しながら目的の食料を買えそうなところに並んでゲットしているが、これは
 ①時間があること、②体力があること、③テキトーに情報を得てテキトーに判断できること   ・・・が必要である。
ということは以下の人には非常に過酷な環境である。
 ①お年寄り、②幼児・幼児連れ、③昼間行動できない忙しい人、④町の情報にうとい人(井戸端会議の出来ない人)
自宅に住みライフラインが活きて一見平穏な生活の復活に見えても、生きていく上であまりに厳しい環境にある「避難民」はたくさんいる。

【2011年3月26日(土)の日記③】 新幹線の復旧急ピッチ
◇東北新幹線は現在急ピッチで損傷箇所を修復中。わが家の近所の橋脚のコンクリートの補修はほぼ完了。
◇これから架線を保持する支柱の補修(交換?)に進むものと思われる。
◇本日の新聞によると、(国土交通省の話として)新幹線のコンクリート橋脚やトンネルは阪神淡路の時のような大きな損傷はなく4月中に開通の見通しとのこと。
    

【2011年3月27日(日)の日記②】 佐川もクロネコも配達してくれる
◇佐川急便もクロネコヤマトも宅配してくれるようになった。一昨日北海道で発送手続きしてくれたクロネコ宅急便荷物が本日午後にはわが家まで配達された。平常と変わらない速さでびっくり。
◇北海道の貴重な食料、パン焼きの材料、非常食、日用品まですごい量の救援物資。ありがとう。心遣いはうれしい限り。
◇佐川急便も、千葉から2日で配達までしてくれた。これまた生鮮食料をはじめさまざまの救援物資。もう感謝の気持ちばかりです。ありがとうございます。  


Posted by OOAKAGERA at 10:01