2018年01月17日

1月17日(水)の日記 阪神・淡路大震災から23年

1月17日(木)の日記 阪神淡路大震災から23年
 本日は1月17日、阪神・淡路大震災の発生から23年になる。早いものだ。毎年の繰り返しになるが少し振り返りをしてみたい。
 当時は兵庫県姫路市に住んでいた。地震の発生地神戸からは少し離れていて大きな被害はなかったが、揺れの大きさには驚かされた。朝6時前、早起きが趣味の私は当然起きていたので揺れの様子は今でもよく覚えている。最初は地の底で大きな岩がガリガリと擦れるような振動を感じ、ほどなく大きな縦・横の揺れに襲われた。被害の詳細はテレビ・ラジオでもなかなか明確に伝えられず、数時間たって高速道路が長い距離にわたって倒壊しているという情報で初めてことの重大さを知らされた。
 わが家では家の中の飾り物が落ちた程度だったが、近所では台所の食器が落ちてコナゴナというような被害も聞いた。建物も屋根の瓦が(峯の部分で)ずり落ちたところもあった。
 電車から見ると明石あたりから神戸側の被害がとんでもなく大きいのがよくわかった。
 身近からも救援物資を送り出したり、災害派遣の応援隊が出たりして後方支援を行った。神戸の様子、特に土木・建築物の被害の様子を確認したかったが、被害にあった方々の心情を慮るとなかなか神戸には足を踏み入れられなかった。それでもどこかで役に立つはず、この機会をのがさず自分の目で確認しておきたいという思いで1ケ月くらい経って、出かけた。
 被害の概要はすでに報道でわかっていたが、やはり実物のひどさをみて地震・そしてその後の火事のおそろしさをあらためて認識した。
 以下に当時の写真を羅列する。東日本大震災と共通することもあり異なることもあるように思われる。
 素人が見かけて特にきわだった被害の様子である。

◇大きなビルの中間階がダルマ落としのようになくなって(つぶれて)いる。あちこちで見かけた。地震の周波数と建物の固有周波数が関係していて発生する事象のようだ。東日本大震災の被害としては身近では見かけていない。

     

  

◇ビルの壁の窓枠コーナーを結ぶX字状のヒビ(割れ)。仙台の近所のビルにもみられた。
   

◇古い日本家屋のつぶれ。屋根に和瓦をのせ粘土で固めた構造で重心が高いこと、軸組構造の支点部の強度が低いのが倒壊の大きな要因と思われる。
   

◇液状化。特に埋立地にひどい被害がみられた。
  

◇地盤沈下。同上。
    

◇地下鉄駅の天井部(道路)の大規模陥没
  

◇岸壁の崩壊。岸壁の沈下・損傷も大きかった。
  

◇高速道路の支柱のコンクリートの損傷(鉄筋が露出)。新幹線の橋脚にもみられた。東日本大震災でも同様の事例あり。
  

 地震で被災し、避難所にいた人が近所に仮住まいされたときトイレの水が流れるのをみて涙したと聞いたのを印象的に覚えている。


 (本項は数日後に削除します)  


Posted by OOAKAGERA at 10:19

2017年03月13日

3月13日(月)の日記 東松島市の「えんまん亭」

 NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を横目でみていたら本日は東松島市を訪問していて、その中のトピックスに「えんまん亭」のご夫婦が出て「牡蠣ラーメン」の紹介をしていた。お元気で頑張っておられるようでなによりです。なんだかほっとしました。
 以前にアップした記事を再度アップします。


【2015.04.05 の記事を転載します】
◇東松島市の仮設で店を出していた食堂「えんまん亭」が旧野蒜駅近くに引っ越したのは新聞情報で知っていた。(「えんまん亭」の話は下欄通り2014.3.14にアップしている。本日はその続編です)。
◇うろ覚えの情報を思い出しながら新しい店の場所を探す。すぐに見つかった。なんのことはない以前に「えんまん亭」ご夫妻の消息を教えてもらったところ。ここを改装して新しい店を出されていた。
◇本日は御主人も店に出ていたので少し話を聞いた。
◇震災当日は、大きな地震のあとお客に退避してもらったあと見たら、店の周囲の地面が液状化で吹き上出したのですぐに車に御夫妻で乗って避難し始めたら東名運河前で渋滞で動けなくなったとのこと。
◇運河は一時水がすっかりなくなったがやがて海方向から津波が押し寄せて被災した。
◇幸い車の窓ガラスが破れたのでそこから外に出て近くに来たボートに乗った。もうだめかと観念した。
◇津波で1階がなくなった家屋に移ることが出来、その2階に上がって避難していた
◇自衛隊のヘリに救出されて霞の目につれて行かれた。
◇家族は、車が放置されていたのでてっきり亡くなったと思っていた。
◇以前のお店の場所はもう家を建てられず、買い上げされたが思うような金額にならず次の住まいの手立てがつかない。
◇体の続く限り頑張るしかない。

 大変な生活が続きますが、めげずに頑張ってください。せいぜい食事に立ち寄ります。本日食べたエビフライ定食はたっぷり2人分のボリュームでおいしかったです。

 旧野蒜駅の南、県道沿い運河の橋の近くにありわかりやすい場所です。
   

ネットにも出ています
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2014/10/20141025t13004.htm      など

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H26(2014)年3月14日
◇私は、平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災発生の直前に東松島市野蒜の海岸に近い食堂で昼食をとった。このあと野蒜築港の見物に行きたいと言ったら食堂のご主人が店の外まで出てきてくれて野蒜築港資料室の存在とそこまでの道を教えてくれた。店を出たのは13時を過ぎていたと思う。地震発生2時間ほど前であった。
(2014.1.17の項に当日の様子を記してあります)
◇地震・津波発生後、この食堂のご夫婦の安否が気になっていた。あの場所、お客で込み合っていた様子から無事逃げきれていたか心配していた。
◇ごく最近になって、野蒜の東名運河沿いに簡単な店舗(ボランティアのセンターを兼ねているような)が出来て、ここで尋ねたら食堂の御夫婦は九死に一生を得て元気に店を復活されていると聞いた。場所は矢本の運動公園仮設、店の名はえんまん亭
◇本日、その店を訪ねた。お二人ともお元気でした。ほっとしました。
◇奥さんにいろいろ話を聞くことが出来ました。ここにもドラマがありました。
◇ヘリで救出されて仙台霞目の自衛隊で数日過ごしたとのこと。深刻な話の中に自衛隊のPX(購買部)には男用のパンツしかなかったというのには思わずニコリとさせられてしまいました。
◇今日は「海幸ラーメン」を食べました。ケガニが1ぱいどんとのっていて豪華、どうやって食べようか手をこまねいていたら奥様がきれいにほじりだしてくれました。ありがとうございました。おいしかった。
◇あとでネットをみたら、このお店についてはすでにいろいろ記されていました。

http://www.smrj.go.jp/kikou/earthquake2011/interview/miyagi/064111.html

◇被災した建物のローンが残っており復興は経済的に大変とのこと。今の仮設の店は期限がありあらためて新しい店を建てなければならないとのこと。
◇まだ大変な日々が続くことでしょうがどうかお元気で新しい店を建て、復興にこぎつけてください。
◇またおいしいラーメンを食べに行きます
  


Posted by OOAKAGERA at 21:10

2017年03月07日

3月7日(火)の日記 昨日のクイズの答です

 昨日の「クイズ」の答です。

◇工事現場に看板が掲げてあった。これによると「津波漂流物対策施設」というものらしい。
  

◇ネツトで調べたら以下の通り。
  

◇それにしても億単位の金をかけてさらに維持管理費も必要だろうしほんとに今作らなければならないのか素朴な疑問が沸いた。道路に平行に作っているが漂流物をつかまえるなら道路に直角方向にも必要なのでは?疑問は尽きない。NHKスペシャルによると津波の「引き波」の恐ろしさは想像以上のようではあるが。  


Posted by OOAKAGERA at 21:17

2017年01月17日

1月17日(木)の日記 阪神淡路大震災から22年

削除しました。また、来年の同じ日にアップの予定  


Posted by OOAKAGERA at 19:48

2016年12月10日

12月10日(土)の日記 常磐線浜吉田・相馬間復旧

常磐線宮城県沿線運行再開

◇東日本大震災で被災したJR常磐線の相馬-浜吉田間が運行を再開した。
◇5年9ケ月ぶりに仙台圏と相馬地方が結ばれた。
◇鳥見でしばしば訪れる鳥の海の先(南)、牛橋などがあるエリアであるが、人も住まず、鉄道も走らず淋しい地帯であった。これからは少しは乗客数も増えること思われる。

◇震災から間がない2011年8月14日の写真。山元町の常磐線が通っていたところに電気機関車。レールは津波による損傷が大きかったようで撤去されている。なんとも不思議な景色・・・(ここは線路を山側に移動して復旧された)
    

(追記)
◇札幌発、東京隅田川行きの貨物列車の機関車ED75-1039。岩沼発1353。浜吉田~山下間で被災
◇機関車は線路にとどまったが、コンテナー貨車20両は付近に散乱した
  


Posted by OOAKAGERA at 17:10

2016年11月22日

11月22日(火)の日記 仙台港に津波1.4m高

◇今朝6時頃いきなりケータイからギュッギュッと久しぶりのいやな音。緊急地震速報だ。すぐテレビをつける。
◇すぐに揺れがきた。大きい。テレビで第1報。ここは震度4みたい
◇福島に「津波警報」。テレビ画面は大きく「すぐにげて」
◇やがて宮城県にも津波警報
     

◇仙台港に津波。1.4m高さ。これが最大
◇お昼のニュースで総括
   

以上NHKの地上波テレビ画面からのパクリでした。

◇近所の梅田川に津波の逆流がきていないかチェック。平穏、ポロロッカ(?)は確認できず
  

◇参考として東日本大震災の時の梅田川。水面が高くなった跡と河口(七北田川)あたりから流されてきた小舟
     


Posted by OOAKAGERA at 23:23

2016年10月17日

10月16日(日)の日記 久しぶりの緊急地震速報はスカ

昨日(10月16日)久しぶりに緊急地震速報が出た。

◇昨日夕方、野球が佳境に入ってそろそろ終わりというころ机が少しガタガタと揺れた。地震だと気づいて少ししたらテレビの画面に「緊急地震速報」。さらに携帯電話がビュッビュッと発報しだした。久しぶりのいやな音で緊張した。
◇窓を開けて外を見たが揺れはすぐにおさまり、これ以上は揺れそうもない
◇なにはともあれよかった。今回は「狼が来た」に近かったが、地震予測は難しいらしいし、腹が立つことはなかった。空振り結構これからも「緊急地震速報」よろしく。
   写真はNHKBSから

      

    


Posted by OOAKAGERA at 14:20

2016年08月22日

8月22日(月)の日記 蒲生の震災モニュメント完成

◇東日本大震災の津波による大きな被害を受け、街全体が移転せざるを得なくなった蒲生地区でお亡くなりになった御霊を追悼する震災モニュメントが完成した。8月11日の月命日に除幕式がおこなわれたらしい
◇場所は旧中野小学校跡地、日和山のような小高い台地が出来ているのは知っていたが、現在まわりは造成工事の真っただ中でどこから近づけるかわかりにくい。
◇モニュメントには蒲生干潟の水鳥が表わされている。コアジサシ(と思うが)はややふっくらしている。
◇慰霊碑は小山の頂上に設置された。別に蒲生の旧4町内会ごとの説明碑も設置されている。

       


Posted by OOAKAGERA at 16:08

2016年05月23日

5月23日(月)の日記 旧野蒜築港資料室のMさん

◇東日本大震災の当日初めて会った方に、先日震災以来5年2か月ぶりにお会いした。
◇その方は、東松島の野蒜築港資料室におられたMさん。
◇地震発生1時間半くらい前にその資料室を訪れて、野蒜築港や内田康雄が浅見光彦シリーズの「不等辺三角形」執筆で野蒜を題材にするため取材に訪れた時の裏話などを楽しく聞かせていただいた。
◇当日は当方はMさんに説明された通り鳴瀬川河口の対岸にある野蒜築港跡の遺構をひとめぐりし、その後鳥見で鳴瀬川に沿って上流にゆくつもりが雪が降って来て帰路についた(とたんに地震が発生した)
◇地震・津波のあと資料室の方が無事だったか心配していた。
◇たまたま知り合い経由で、資料室にいた方はMさんという名であることを知った
◇その後、野蒜築港関係のプログでMさんは大変なめにあったけど無事だったということがわかった
◇このほど塩釜市で小規模の講演会が計画されその講演者がMさんであることを新聞で知ったので講演に参加してMさんにもお会いすることが出来た。
◇Mさんは身近の方に悲しい話もおありのようだったがお元気でした。これからもいろいろご苦労があるでしょうがどうか元気で御活躍ください

◇えんまん亭のご夫婦は九死に一生を経てぶじであった(過去の記事参照)
◇今回聞いた話では、「不等辺三角形」のモデルになった小野在住の仙台タンスの職人さんも無事であったとのことでした。

2015.04.05付記事 えんまん亭 についての記述があります
2014.01.17付記事 地震当日のことと「不等辺三角形」についての記述があります
  


Posted by OOAKAGERA at 21:02

2016年03月26日

3月26日(土)の日記 中野小学校閉校

◇本日、北海道新幹線新青森~新函館北斗間が開業した。朝のニュースでは上り下りの始発駅からの1番列車の発車の話題で持ち切りだった。
◇私の北海道への旅はこれからもありそうだが、当方の利用交通機関は①フェリー、②航空機、③鉄道の順であり、札幌へ行くのに新幹線を利用することはなさそう。
◇というわけであまり興味なく夕刊1面の新幹線のニュースを眺めていたら下の方に、津波被害を受けた沿岸部の小学校の閉校式があったという記事が出ていた。宮城野区の中野小学校と若林区の荒浜小学校である。
◇142年の伝統ある中野小学校は蒲生干潟のすぐ近くにあり環境教育に取り組み過去には環境庁長官賞を受賞したとのこと。震災後に学区の大半のエリアが災害危険区域に指定され住む人が少なくなり児童数が減少してやむなく閉校となったとのこと。
◇仙台市東部の小学校としてその名前は知っていたが、蒲生地区にあって干潟にも近い学校であることを知ったのは仙台に戻って、蒲生干潟を訪ねるようになってからのことである。
◇震災直後に干潟を訪ねた時は中野小学校までしか行けなかった。地震のあと中野小学校に避難した人々が屋上に上がって避難し、夜には近寄って来る火災を目の前にして恐怖の一夜を過ごしたという話もあとで知った。
◇沿岸部の小学校は他にもあちこちで閉校になったところがあるようだ。100年以上の歴史がある学校がなくなってしまうのはなんとも残念である。

写真は震災直後の中野小学校
 

  


Posted by OOAKAGERA at 23:27

2016年03月11日

3月11日(金)の日記 本日の河北新報1面

◇本日は東日本大震災の地震・津波が起きた日からちょうど5年目にあたる。
◇朝からテレビは震災関係の番組一辺倒である。新聞も震災を思い出させるような、1面と末面を見開きにする構成「ダブルフロント」を使っていた。
  

◇ちなみに、震災の翌日に、新潟日報の協力のもと欠刊することなく発行された河北新報の「伝説の紙面」は以下の通り。なお、マグニチュードは2日後 にM=9.0と決定した。
    


Posted by OOAKAGERA at 23:10

2016年03月07日

3月7日(月)の日記 ダイエー仙台店閉店

◇仙台市青葉区中心部で40年以上営業してきた「ダイエー仙台店」が明日(3月8日)に閉店し、土曜日(12日)に「イオン仙台店」としてリニューアルオープンするとのこと。イオンは昨年1月にダイエーを完全子会社にしており、ダイエーという名も消えつつある。
◇ダイエー仙台店は1975年9月9日に開店。地上8階、地下2階の売り場で、食品、衣料品、化粧品、生活雑貨などを販売してきた。震災時は2日後に営業を再開し買い物客に対応するなど市民生活を支えた。
◇私も震災後の食料品が思うように買えない苦しい生活時に早くから開店してくれたダイエー仙台店でいろいろ買い物をすることが出来て助かった。お世話になったダイエーがなくなるのはさみしい限りである。その昔NHKの現代の映像だったと思うが若き中内功氏が主婦の店ダイエーを起こしたころ、販売低価格を達成するため購入した牛の鼻取りして引っ張っていた映像がなぜか眼に焼き付いている。その後ダイエーは大発展をとげたが残念ながら今はイオンの傘下に組み入れられて仙台からその名も消える。
◇東日本大震災直後、ダイエーに買い物に行った日のブログを復刻(以下の通り)

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2011年3月18日(金)の日記 ダイエーで買い物

◇現在の我が家のライフライン
 ・電気;きている
 ・水道;きている
 ・ガス;復旧の見通しきかず
◇買い物
 ・コンビニは閉店が多い。たまに行列がみられるがすぐに食べられるものは売り切れ? 乾電池、衛生用品なども入手困難。
 ・小さな店(ダンゴ屋、餅屋など)に行列があったりするのはおにぎりの販売だったりする。
 ・ガソリンスタンドは、ほとんど閉店または緊急車両のみというところがほとんど。それでも本日4000円分給油できたところもある。
 ・近所の小さなスーパーは生鮮品が入荷次第売ってくれる(値段は上がっている)。そのたび行列。
 ・年寄だけでなく食料をあまりストックしていない生活の人には実に厳しい環境である。若い人でもじっと並んでわずかな食料を手に入れている。大変だ。
◇本日はまず補聴器用の特殊な乾電池を求めて仙台駅近くの店へ。ちょうど久しぶりに開店したところで無事電池を入手できた。
◇仙台駅までは約5kmあるがこういう状況でガソリンを節約しなければならないので自転車でゆく。今朝は雪が積もり日陰の路面は凍りついたまま。気をつけて行く。
◇その後せっかく街の中に出たので、食料品を入手しようと近くのダイエーに行く。とんでもない長さの行列。覚悟を決めて並ぶ(10:30)
◇要所要所には警備員が配置されていて実に整然と並んでいる。少しずつ進む。
◇14時過ぎに入店
◇1階で米と水、地下1階でカセットコンロボンベ、乾電池など、地下2階で食料品を買えた。人気のあるものは当然販売数の制限あり。
◇寿司や食パン・牛乳なども購入できた。扱う品数が多いせいかまだ残っているものの中にもレトルトや冷凍品など「いいもの」があった。新規に入荷もしているものがある。
◇我が家で古いパン焼機をみつけたので、なくなった食パンを焼こうとしたが、ドライイーストなるものと強力粉が必要。ダイエーの売り場をさがたが小麦粉は全部売り切れ、イーストなんてもともとないみたい。あきらめ。
◇買い物をしすぎて大きな袋が3つ。自転車で運んで来るのにてこずった。
◇帰りがけ原町本通の小さな風呂屋に行列が出来ていた。


【風景情景写真】
◇河北新報の当日の1面記事
◇市バスは早いうちから運行再開していた
◇この日は雪が凍ってツルツルの路面
◇ガソリンスタンドは優先車のみに給油というところも多かった

     

◇仙台の街で見かけたお店の従業員への伝言張り紙
◇ダイエーの行列
◇交差点で行列が乱れないようにきちんと交通整理していた
◇やっとお店の入口へ

       


Posted by OOAKAGERA at 21:41

2016年02月24日

2月24日(水)の日記 地下鉄東西線に乗る

◇開業した仙台市の地下鉄東西線に初めて乗った。
◇終点の荒井駅に新設された「せんだい3.11めもりある交流館」での催しに参加した帰りに荒井駅から仙台駅まで乗った。
◇車体はややこぶり、乗り心地は問題なし。社内表示は丁寧。
     

◇東西線開通にともない市内東部の東西線沿線地域のバスが直接仙台駅周辺までゆかなくなった。荒井と薬師堂がターミナル駅である。地下鉄は早いが、乗り継の待ち時間がかかって不便になったと言ってる人もいるようだが。
◇料金が高い。荒井から仙台駅までで300円は高い。これにバスを乗りついだらその分も加算となるのでしょちゅう利用する人にはこたえるだろう。高齢者は減額のパスが使えるのかもしれないが・・。
◇地下鉄新設の効用として中心部にバスが乗り入れなくなって交通渋滞は緩和されている。よく通る新寺の交差点での信号待ちの列がグッと短くなった。

◇広瀬川、中ノ瀬橋となりに新設された橋をゆく地下鉄東西線。ここは地下ではなく地上に出て車体がみえる。
  

◇当初の思惑にはなかった東部地域の震災・津波からの復興にどれほど貢献できるかがこの地下鉄敷設の本当の評価かもしれない。10年・20年たたないと結果はでない。
  


Posted by OOAKAGERA at 10:00

2015年05月31日

5月31日(日)の日記 昨日、仙石線全線運行再開!

◇我が家ご用達(?)のJR仙石線と東北本線のダイヤが変わった。昨日から仙石線が全通したことによる。
◇東日本大震災では仙石線の海に近いエリアでは壊滅的な被害を受けた。
◇地震発生直前に東松島市野蒜駅を相前後して発車した上りと下りの電車は、上りはもろに津波を受けて車両が折れ曲がった状態となり大きな損傷、下りはたまたま高台で停車し津波の被害は少なかった。上り電車の女性運転士と若い車掌は乗客とともに近くの避難所である野蒜小学校に誘導・避難したがここを津波が襲い校舎の1階と体育館が水に浸かった。一方高台に停まった下り電車は地理に明るい地元乗客の声もあり乗務員の指導で電車の中で寒い一夜を過ごした。このあたりの話は何度かメディアに取り上げられた。こんな話が頭にあり被害状況を目にしている身にはこのたびの仙石線全通は「よくぞこの期間で全通出来た」と感慨を禁じ得ない。
◇津波から逃れた野蒜駅発の下り電車(実際はもう少し高台で停車した)
   

◇レールがくにゃくにゃにまがった陸前富山駅の線路と陸前小野駅の被災の様子
   

◇その後仙石線は仙台側からと石巻側からと段階的に復旧されて、あおば通り~高城町、石巻~陸前小野間に分かれた運転が続いた。松島海岸~矢本間には代行バスが運行されたが、乗継で仙台石巻間を移動するのには時間がかかり不便だった。
    

◇被害の特に大きかった東松島市エリアは線路を陸側の高台部に移動が計画され復旧が長引いたが、工事が完了し4年2か月ぶりに昨日あおば通り~石巻間が結ばれたというわけ。
◇これにあわせて、あおば通り~石巻(49.0km)間の時間短縮を図るために新たに東北線を経由して仙台~石巻間(47.2km)を結ぶ仙石東北ラインも開通した。両線が近接している東北線松島駅と仙石線高城町駅付近を結ぶ接続線が新たに敷設されたわけ。
◇我が家からJRで石巻に行く方法が2つになり少し便利になった。
 ・写真左 東北線東仙台発10:19 石巻行 (石巻着11:18) ;仙石東北ライン経由
 ・写真右 仙石線苦竹 発10:25 石巻行 (石巻着11:47) ;仙石線経由 
 (東仙台・苦竹に停車する電車はいちばん速い電車ではない) 
   

◇少し「蛇足」を。今回仙石東北ライン経由を走る列車として採用されたのは、ハイブリツド型ディーゼル車。東北線は交流、仙石線は直流、交直両用の電車もすでにあるが新しく設ける接続線である東北仙石ラインは東北線・仙石線の待避線(待機線?)としての役割もあるようでここに電車が停車することがあり、切り替え区間として非電化となると電車は発進できない。惰性で通過するのは、もし停止した場合動けなくなりマズイということのようだ。そもそも接続線の全長が短いのも要因か。ならば普通のディーゼル車でもよさそうに思うが、多くの乗客が見込まれペイできると判断して高額なハイブリッドタイプを採用したのでは。「ハイブリッド」と名付けられているのは制動時の動力を利用して電池に蓄電する構造のためとのこと。  


Posted by OOAKAGERA at 14:38

2015年05月13日

5月13日(水)の日記 久しぶり、緊急地震速報

◇今朝起きて新聞を眺めていたらいきなり携帯電話の緊急地震速報のいやな警報音。あわててテレビをつけ身構えた。
◇ほとんど待つことなく地震到達。体感震度3程度。
◇東日本大震災の地震の余震とのこと。幸い津波はなかった。
◇それにしても携帯の警報音には敏感に反応してしまう。寿命が縮まる心地。
◇以下の写真はNHKテレビの画面からデス
     


Posted by OOAKAGERA at 12:46

2015年04月05日

4月4日(土)の日記 東松島市「えんまん亭」

◇東松島市の仮設で店を出していた食堂「えんまん亭」が旧野蒜駅近くに引っ越したのは新聞情報で知っていた。(「えんまん亭」の話は下欄通り2014.3.14にアップしている。本日はその続編です)。
◇うろ覚えの情報を思い出しながら新しい店の場所を探す。すぐに見つかった。なんのことはない以前に「えんまん亭」ご夫妻の消息を教えてもらったところ。ここを改装して新しい店を出されていた。
◇本日は御主人も店に出ていたので少し話を聞いた。
◇震災当日は、大きな地震のあとお客に退避してもらったあと見たら、店の周囲の地面が液状化で吹き上出したのですぐに車に御夫妻で乗って避難し始めたら東名運河前で渋滞で動けなくなったとのこと。
◇運河は一時水がすっかりなくなったがやがて海方向から津波が押し寄せて被災した。
◇幸い車の窓ガラスが破れたのでそこから外に出て近くに来たボートに乗った。もうだめかと観念した。
◇津波で1階がなくなった家屋に移ることが出来、その2階に上がって避難していた
◇自衛隊のヘリに救出されて霞の目につれて行かれた。
◇家族は、車が放置されていたのでてっきり亡くなったと思っていた。
◇以前のお店の場所はもう家を建てられず、買い上げされたが思うような金額にならず次の住まいの手立てがつかない。
◇体の続く限り頑張るしかない。

 大変な生活が続きますが、めげずに頑張ってください。せいぜい食事に立ち寄ります。本日食べたエビフライ定食はたっぷり2人分のボリュームでおいしかったです。

 旧野蒜駅の南、県道沿い運河の橋の近くにありわかりやすい場所です。
   

ネットにも出ています
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2014/10/20141025t13004.htm      など

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H26(2014)年3月14日
◇私は、平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災発生の直前に東松島市野蒜の海岸に近い食堂で昼食をとった。このあと野蒜築港の見物に行きたいと言ったら食堂のご主人が店の外まで出てきてくれて野蒜築港資料室の存在とそこまでの道を教えてくれた。店を出たのは13時を過ぎていたと思う。地震発生2時間ほど前であった。
(2014.1.17の項に当日の様子を記してあります)
◇地震・津波発生後、この食堂のご夫婦の安否が気になっていた。あの場所、お客で込み合っていた様子から無事逃げきれていたか心配していた。
◇ごく最近になって、野蒜の東名運河沿いに簡単な店舗(ボランティアのセンターを兼ねているような)が出来て、ここで尋ねたら食堂の御夫婦は九死に一生を得て元気に店を復活されていると聞いた。場所は矢本の運動公園仮設、店の名はえんまん亭
◇本日、その店を訪ねた。お二人ともお元気でした。ほっとしました。
◇奥さんにいろいろ話を聞くことが出来ました。ここにもドラマがありました。
◇ヘリで救出されて仙台霞目の自衛隊で数日過ごしたとのこと。深刻な話の中に自衛隊のPX(購買部)には男用のパンツしかなかったというのには思わずニコリとさせられてしまいました。
◇今日は「海幸ラーメン」を食べました。ケガニが1ぱいどんとのっていて豪華、どうやって食べようか手をこまねいていたら奥様がきれいにほじりだしてくれました。ありがとうございました。おいしかった。
◇あとでネットをみたら、このお店についてはすでにいろいろ記されていました。

http://www.smrj.go.jp/kikou/earthquake2011/interview/miyagi/064111.html

◇被災した建物のローンが残っており復興は経済的に大変とのこと。今の仮設の店は期限がありあらためて新しい店を建てなければならないとのこと。
◇まだ大変な日々が続くことでしょうがどうかお元気で新しい店を建て、復興にこぎつけてください。
◇またおいしいラーメンを食べに行きます。  


Posted by OOAKAGERA at 16:19

2015年03月11日

3月11日(水)の日記 東日本大震災から4年

東日本大震災から4年
◇本日は東日本大震災から4年目となる。早いものだ。
◇本日は4年前の当日と同じような、小雪の舞う寒い天気で当時を思い出させられた。
◇市内で催されていたイベントに参加していて、まわりの人と一緒に地震発生時刻に3分間の黙とうをささげた。3分間は発生した地震のおよその長さとのこと。長い、非常に長く感じた。実際の地震は強くなったり、弱くなったり、時に暴力的な激しい揺れになったりしながらいつまでも続いた。
◇このささやかな経験をいかに伝えていくか、私にも課せられたテーマと思っている。  


Posted by OOAKAGERA at 19:06

2015年01月16日

1月16日(金)の日記 阪神淡路大震災から20年

削除しました(期限を限ってアップしました)  


Posted by OOAKAGERA at 20:58

2014年07月12日

7月12日(土)の日記 久しぶりの緊急地震速報

削除しました(期限を限ってアップしました)  


Posted by OOAKAGERA at 09:47

2014年07月02日

7月2日(水)の日記 震災・津波以前の蒲生の景色

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Posted by OOAKAGERA at 14:15