2021年02月26日
2月26日(金)の鳥見 今週の振り返り
<今週の振り返り>
【総括】
・なかなか行けなかったわりと近場の島嶼への鳥見に出かけたが期待したほどの成果はなし。たまたまでしようが・・。
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇オオホシハジロ / まだ滞在中(他の個体に入れ替わっているかもしれないが)
◇ウミアイサ / 島嶼にて。寝ぼけていたようで歩きながらずっこけていた
◇ヒメウ / 海上に多数見かけた
◇ウミウ / 同上

◇タシギ / 近所の河川敷。逃げる様子もなくさかんに採食
◇ダイシャクシギ / 干潟にて。間近にしっかりみれた
◇ワシカモメ / 島嶼への航路途中の港にて
◇シロカモメ / 同上

◇ムクドリ / たまには近所のレギュラー陣もゆっくり観察
◇ハチジョウツグミ / 約1年ぶり
◇アトリ / 近所の川の土手にて。あまり見かけない場所。1羽
◇マヒワ / スキー場に行くも雪の面がほとんどで土の面が少なく小鳥が少ない。やっと見つけたマヒワ

【今週の景観写真】
◇鳥見に出かけた島の隣の島は<猫>で有名。でもこちらの島にもネコはいた

◇スキー場まわりの景観 /
・雪の面が多い。最近降った雪と思われる。

・雪が解けると→ツララになる。ツララが解けると→水になる・・・・ブーッ!間違い。正解は、→春になる・・・・・ドコカデキイタヨウナ
【総括】
・なかなか行けなかったわりと近場の島嶼への鳥見に出かけたが期待したほどの成果はなし。たまたまでしようが・・。
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇オオホシハジロ / まだ滞在中(他の個体に入れ替わっているかもしれないが)
◇ウミアイサ / 島嶼にて。寝ぼけていたようで歩きながらずっこけていた
◇ヒメウ / 海上に多数見かけた
◇ウミウ / 同上
◇タシギ / 近所の河川敷。逃げる様子もなくさかんに採食
◇ダイシャクシギ / 干潟にて。間近にしっかりみれた
◇ワシカモメ / 島嶼への航路途中の港にて
◇シロカモメ / 同上
◇ムクドリ / たまには近所のレギュラー陣もゆっくり観察
◇ハチジョウツグミ / 約1年ぶり
◇アトリ / 近所の川の土手にて。あまり見かけない場所。1羽
◇マヒワ / スキー場に行くも雪の面がほとんどで土の面が少なく小鳥が少ない。やっと見つけたマヒワ
【今週の景観写真】
◇鳥見に出かけた島の隣の島は<猫>で有名。でもこちらの島にもネコはいた
◇スキー場まわりの景観 /
・雪の面が多い。最近降った雪と思われる。

・雪が解けると→ツララになる。ツララが解けると→水になる・・・・ブーッ!間違い。正解は、→春になる・・・・・ドコカデキイタヨウナ

Posted by OOAKAGERA at
17:50
2021年02月26日
2月25日(木)の日記 東日本大震災10年目の振り返り➁
【2011年3月17日(木)の日記】 ガソリン
地震発生日になんとか家にたどり着いた時、車のガソリン残量はほぼ最低目盛
◇13日に、新聞情報をたよりに街中の緊急対応スタンドに自転車で状況を見にゆくとすごい行列。交差点をいくつか超えている。交差点に店員を配置して案内している。地震後にローリーは入ったらしいが行列の途中で在庫切れのおそれありとのこと。1人 4000円まで制限とのこと。とても間に合いそうもないので明日早朝、新たなローリー到着を期待して並ぶことにする。
写真は街の中心部一番町のガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの車の列

◇14日早朝5時半、まず近所からアタック。列はそう長くない。ここに並ぶ。しかし一向に店の人が現れず本日の様子がわからない。しびれを切らし10時過ぎにあきらめ。15時頃自転車でまわったら店員が来たところ。少しは給油したみたい。状況の説明があれば頑張ってならび続けたのに。もったいなし。

◇近隣の他社2店舗チェック。その①は営業中、一人2000円まで在庫あるまで、すごい行列で今から並んでも無理判断、その②は立て看板があり明日10時から営業するとのこと。この情報は親切で貴重だった。明朝からここに並ぶことにする。
◇15日、早朝5時に行く。なんと長蛇の列。約1.5kmの長さ。仕方なし、ここに並ぶ。
(右写真は15日の河北新報の題字から)

13時15分、約8時間待ちでやっと給油できた。2000円、13.3リットル。これで一息。車はもう緊急用にしか使えない。
地震発生日になんとか家にたどり着いた時、車のガソリン残量はほぼ最低目盛
◇13日に、新聞情報をたよりに街中の緊急対応スタンドに自転車で状況を見にゆくとすごい行列。交差点をいくつか超えている。交差点に店員を配置して案内している。地震後にローリーは入ったらしいが行列の途中で在庫切れのおそれありとのこと。1人 4000円まで制限とのこと。とても間に合いそうもないので明日早朝、新たなローリー到着を期待して並ぶことにする。
写真は街の中心部一番町のガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの車の列
◇14日早朝5時半、まず近所からアタック。列はそう長くない。ここに並ぶ。しかし一向に店の人が現れず本日の様子がわからない。しびれを切らし10時過ぎにあきらめ。15時頃自転車でまわったら店員が来たところ。少しは給油したみたい。状況の説明があれば頑張ってならび続けたのに。もったいなし。
◇近隣の他社2店舗チェック。その①は営業中、一人2000円まで在庫あるまで、すごい行列で今から並んでも無理判断、その②は立て看板があり明日10時から営業するとのこと。この情報は親切で貴重だった。明朝からここに並ぶことにする。
◇15日、早朝5時に行く。なんと長蛇の列。約1.5kmの長さ。仕方なし、ここに並ぶ。
(右写真は15日の河北新報の題字から)
13時15分、約8時間待ちでやっと給油できた。2000円、13.3リットル。これで一息。車はもう緊急用にしか使えない。
Posted by OOAKAGERA at
12:46
2021年02月25日
2月25日(木)の日記 東日本大震災10年目の振り返り①
来月11日は東日本大震災から10年目にあたる。ついこの間のように思えるがもう10年もたったのかと感慨を覚える。10年前の当時の記録を振り返る。日付順に適宜分割してアップ。
【2011年3月15日(火)の日記】 無事です
このブログを愛読していただいている皆様へ
◇アップが遅れましたが、3月11日に発生した東北関東大震災で、著者および家族と住居は無事です。幸い津波の被害にもあいませんでした。ライフラインはまだ完全に復旧していませんが自分の家で就寝できています。
◇鳥見ではしょっちゅうお邪魔して身近に思っている海岸部の各地での地震・津波の災害はあまりに大きく愕然となり言葉を失います。
◇被災されたみなさまに心からお見舞い申しあげます。
◇取り急ぎ安否の報告でした。
写真は震災当日東松島市から帰宅途中、利府街道利府町あたりの渋滞状況

【2011年3月16日(水)の日記】 水道が復旧
◇この場を借りて、身のまわりの地震被災後の復旧状況をポツリポツリ記します。
◇水道が復旧した。これで電気と水道が活きた。
◇ガスは、仙台市ガス局の供給ターミナルである仙台港の設備が壊滅的損壊で復旧はまだまだとのこと。新聞には新潟からのパイプラインの健全性を見た上で・・と出ていたがどうなるか。地震翌日にはガス局の人が来て点検後、外の元栓を閉止していった。
◇電気の復旧は早かった。14日早朝に復旧。街の中心部から夜の照明が活きてきているのがわかった。電気の復旧で、固定電話とネットも一応使用可能となる。
◇ケータイは地震発生直後にメールは送信できたがその後しばらくは使用不能状態、14日から少しよくなった。本日晩は大分スムーズになった。
◇地震翌日にはホームセンター、スーパーに必需品を購入しようとする人の列、すぐになくなっていた。


【2011年3月16日(水)の日記】 水道 その②
◇地震により、水道はストップ。ただし、わが家は集合住宅で高架水槽方式のようで当日夕方ややきたなくなりつつあったがまだ水が出た。これを浴槽にためた。これは大正解であった。手洗い・トイレに使えた。
◇かつて阪神淡路大震災の時、神戸で被災した人が姫路のわが家の隣に避難してきたときトイレの水が流れると言って涙を流していたのが思い出された。
◇我が家の近くの給水所は東仙台中学校である。12日の朝方様子を見に行った時の状況。どうも校庭の地下に飲料水のプールがあるようで手押しのポンプ(井戸)でくみ上げる方式。まだあまり人は並んでいない。

◇12日午後に再度様子を見に行くとものすごい行列。しかも水を入れる容器を準備しなければならないが水用のポリタンクは手元にない。当面はしのげるので、この日はあきらめ。ホームセンターにポリ容器を探しにゆくととっくに売り切れ。困った。
◇13日、水の容器として思いついたのがプラスチックの衣装ケースの箱や大きい布袋の内側に厚めのポリ袋を入れて水を受けたら何とか運搬できそう。これを準備して東仙台中へ車で行く。そしたら昨日以上にとんでもない長い行列。これは待ち時間がもったいないと判断。
◇携帯電話は発信がまったくきかない。仙台に住む親戚の安否が気になるので直接訪ねる(親戚は無事)。するとなんとここの地域の水道は活きていた。(電気も活きている)。近くの避難場所指定公園の水道が出るという。助かった。ここで水をもらう。
◇食器はラップやアルミホイールでつつんで使用し、洗浄は省略するのがよいとの話をラジオできいたので実行。これは効果大。
◇15日、我が家のブロックの両隣のブロックの水道が活きた。我が家の復旧も近いか。
◇16日、東仙台中を覗く。給水車からの給水になっていた。水道が活きたエリアがあるせいか列は短い。給水車は他県からの応援。午後水が出だした。うれしい。
【2011年3月15日(火)の日記】 無事です
このブログを愛読していただいている皆様へ
◇アップが遅れましたが、3月11日に発生した東北関東大震災で、著者および家族と住居は無事です。幸い津波の被害にもあいませんでした。ライフラインはまだ完全に復旧していませんが自分の家で就寝できています。
◇鳥見ではしょっちゅうお邪魔して身近に思っている海岸部の各地での地震・津波の災害はあまりに大きく愕然となり言葉を失います。
◇被災されたみなさまに心からお見舞い申しあげます。
◇取り急ぎ安否の報告でした。
写真は震災当日東松島市から帰宅途中、利府街道利府町あたりの渋滞状況
【2011年3月16日(水)の日記】 水道が復旧
◇この場を借りて、身のまわりの地震被災後の復旧状況をポツリポツリ記します。
◇水道が復旧した。これで電気と水道が活きた。
◇ガスは、仙台市ガス局の供給ターミナルである仙台港の設備が壊滅的損壊で復旧はまだまだとのこと。新聞には新潟からのパイプラインの健全性を見た上で・・と出ていたがどうなるか。地震翌日にはガス局の人が来て点検後、外の元栓を閉止していった。
◇電気の復旧は早かった。14日早朝に復旧。街の中心部から夜の照明が活きてきているのがわかった。電気の復旧で、固定電話とネットも一応使用可能となる。
◇ケータイは地震発生直後にメールは送信できたがその後しばらくは使用不能状態、14日から少しよくなった。本日晩は大分スムーズになった。
◇地震翌日にはホームセンター、スーパーに必需品を購入しようとする人の列、すぐになくなっていた。
【2011年3月16日(水)の日記】 水道 その②
◇地震により、水道はストップ。ただし、わが家は集合住宅で高架水槽方式のようで当日夕方ややきたなくなりつつあったがまだ水が出た。これを浴槽にためた。これは大正解であった。手洗い・トイレに使えた。
◇かつて阪神淡路大震災の時、神戸で被災した人が姫路のわが家の隣に避難してきたときトイレの水が流れると言って涙を流していたのが思い出された。
◇我が家の近くの給水所は東仙台中学校である。12日の朝方様子を見に行った時の状況。どうも校庭の地下に飲料水のプールがあるようで手押しのポンプ(井戸)でくみ上げる方式。まだあまり人は並んでいない。
◇12日午後に再度様子を見に行くとものすごい行列。しかも水を入れる容器を準備しなければならないが水用のポリタンクは手元にない。当面はしのげるので、この日はあきらめ。ホームセンターにポリ容器を探しにゆくととっくに売り切れ。困った。
◇13日、水の容器として思いついたのがプラスチックの衣装ケースの箱や大きい布袋の内側に厚めのポリ袋を入れて水を受けたら何とか運搬できそう。これを準備して東仙台中へ車で行く。そしたら昨日以上にとんでもない長い行列。これは待ち時間がもったいないと判断。
◇携帯電話は発信がまったくきかない。仙台に住む親戚の安否が気になるので直接訪ねる(親戚は無事)。するとなんとここの地域の水道は活きていた。(電気も活きている)。近くの避難場所指定公園の水道が出るという。助かった。ここで水をもらう。
◇食器はラップやアルミホイールでつつんで使用し、洗浄は省略するのがよいとの話をラジオできいたので実行。これは効果大。
◇15日、我が家のブロックの両隣のブロックの水道が活きた。我が家の復旧も近いか。
◇16日、東仙台中を覗く。給水車からの給水になっていた。水道が活きたエリアがあるせいか列は短い。給水車は他県からの応援。午後水が出だした。うれしい。
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21:14
2021年02月19日
2月19日(金)の鳥見 今週の振り返り
<今週の振り返り>
【総括】
・今週は遠出は出来ず、近場で「スカ」の繰り返し、消化不良ナリ
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇オオハクチョウ / 子だくさんのファミリー、五つ子はめずらしいのでは?
◇シノリガモ / そろそろ北帰か
◇ヒメウ / もっときれいな個体もいたが撮影できず
◇カワウ / 繁殖羽が日に映えてキレイ

◇タゲリ / 仙南の排水路河口の干潟、2羽がまだ健在
◇シジュウカラ / なんとメンコイこと
◇メジロ / アイラインを時間をかけて化粧しているみたい
◇トラツグミ / 今年はどうも当たり年。また別の場所でキャッチ

◇ヒレンジャク(2枚) / 仙南の都市公園。こんなとこにヒレンジャクが1羽
◇アオジ / なぜかえらくおなかを膨らませていた
【総括】
・今週は遠出は出来ず、近場で「スカ」の繰り返し、消化不良ナリ
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇オオハクチョウ / 子だくさんのファミリー、五つ子はめずらしいのでは?
◇シノリガモ / そろそろ北帰か
◇ヒメウ / もっときれいな個体もいたが撮影できず
◇カワウ / 繁殖羽が日に映えてキレイ
◇タゲリ / 仙南の排水路河口の干潟、2羽がまだ健在
◇シジュウカラ / なんとメンコイこと
◇メジロ / アイラインを時間をかけて化粧しているみたい
◇トラツグミ / 今年はどうも当たり年。また別の場所でキャッチ
◇ヒレンジャク(2枚) / 仙南の都市公園。こんなとこにヒレンジャクが1羽
◇アオジ / なぜかえらくおなかを膨らませていた
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20:37
2021年02月14日
2月14日(日)の日記 昨晩大きな地震発生 我が家は無事です
久しぶりの大きな地震
◇昨晩11時過ぎ、大きな地震が発生した。震源地は福島県沖、M7.3、わが宮城野区の震度は5強(最大震度は宮城・福島で6強)。東北沖を震源とする最大震度6強の地震は2011年4月7日以来とのこと。
◇昨晩私は地震発生時、日ごろよりも遅めの風呂に入っていてシャワーの最中。突然ドンと突き上げるようなショツクのあと大きな横揺れ、どんどん強くなる。びっくりした。ふと頭をよぎったのは「このかっこで怪我でもして救急搬送されたりしたらかっこ悪いな」ということ。もう少し緊急対応をどうするか思いめぐらせるべきだったかも。
◇わが家の人身災害なし、飾り物のコケシが落ちた程度で物的被害もなし。
◇あえて言えば、強い地震対応で正常に作動した設備を復帰するのにやや手間取った程度。
◇キッチンや玄関収納の観音開きの扉が地震を感知してロック作動しひらけなくなった。さて復帰方法がわからない。マニュアルをみたら実に簡単。無事復帰。
◇ガスの供給が止まった。これは使用中に震度5以上の地震を感知すると自動的にシャットされる。シャワーでお湯を使っていたのでこれが働いてガスの元弁が閉止された。翌朝明るくなってからガスメーターを見に行ったら、わりと最近ガス局が取り替えた最新のメーターで、今回のような場合の復帰方法が図示された紙がつけられていて復帰操作はすぐやれた。夜中にパソコンで検索したものよりわかりやすく図示されていた。
◇テレビの速報で震源が宮城県に近い福島沖と聞いて思ったのは「で、あれば是非もなし」であった。信長が光秀の謀反を知ってもらした言葉そのものである。つまり、「東日本大震災の地震の余震は終わっていない、だからこんなことは起き得るのだと納得・・」ということである。
◇次の地震に備えて、少しずれた冷蔵庫の転倒防止の突っ張り棒の手直しでもしようっと。
今回も役に立った冷蔵庫の「突っ張り棒」

◇昨晩11時過ぎ、大きな地震が発生した。震源地は福島県沖、M7.3、わが宮城野区の震度は5強(最大震度は宮城・福島で6強)。東北沖を震源とする最大震度6強の地震は2011年4月7日以来とのこと。
◇昨晩私は地震発生時、日ごろよりも遅めの風呂に入っていてシャワーの最中。突然ドンと突き上げるようなショツクのあと大きな横揺れ、どんどん強くなる。びっくりした。ふと頭をよぎったのは「このかっこで怪我でもして救急搬送されたりしたらかっこ悪いな」ということ。もう少し緊急対応をどうするか思いめぐらせるべきだったかも。
◇わが家の人身災害なし、飾り物のコケシが落ちた程度で物的被害もなし。
◇あえて言えば、強い地震対応で正常に作動した設備を復帰するのにやや手間取った程度。
◇キッチンや玄関収納の観音開きの扉が地震を感知してロック作動しひらけなくなった。さて復帰方法がわからない。マニュアルをみたら実に簡単。無事復帰。
◇ガスの供給が止まった。これは使用中に震度5以上の地震を感知すると自動的にシャットされる。シャワーでお湯を使っていたのでこれが働いてガスの元弁が閉止された。翌朝明るくなってからガスメーターを見に行ったら、わりと最近ガス局が取り替えた最新のメーターで、今回のような場合の復帰方法が図示された紙がつけられていて復帰操作はすぐやれた。夜中にパソコンで検索したものよりわかりやすく図示されていた。
◇テレビの速報で震源が宮城県に近い福島沖と聞いて思ったのは「で、あれば是非もなし」であった。信長が光秀の謀反を知ってもらした言葉そのものである。つまり、「東日本大震災の地震の余震は終わっていない、だからこんなことは起き得るのだと納得・・」ということである。
◇次の地震に備えて、少しずれた冷蔵庫の転倒防止の突っ張り棒の手直しでもしようっと。
今回も役に立った冷蔵庫の「突っ張り棒」

Posted by OOAKAGERA at
10:33
2021年02月12日
2月12日(金)の鳥見 今週の振り返り
<今週の振り返り>
【総括】
・鳥見シーズンピーク。冬の小鳥、ガンカモ等々
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇ヒシクイ(3枚) / 左は「お姫様伝説の沼」近くの田んぼにて。右2枚は沼にて(この日は2羽のみ確認)
◇ハクガン / ついに沼近辺にハクガンも現れた。あとカリガネが来れば希少ガンのそろい踏み。県北まで行かなくてもみれる。

◇シジュウカラガン / お姫様の沼上空を横断
◇コクガン / S川湾をぐるつとめぐり。コクガン多し
◇トモエガモ / 御姫様の沼にて。探すのが大変
◇ハジロカイツブリ+ミミカイツブリ / 大群がこの日も健在

◇カルガモとスズガモ(各2枚) / 個人図鑑として保管。♂と♀

◇タゲリ / 仙南の排水路河口の干潟。この日もいた
◇イカルチドリ / 舟揚場、コクガンのすぐわきにいた
◇イソシギ / その近くの港にて。近くに来た
◇ルリビタキ / 青色が強い個体。やっとゆっくり撮らせてくれた。

◇オオワシ / 左1枚は場所はS川湾、右2枚は大河の近くの沼にて。3羽別個体
◇カヤクグリ / ピントいまいちで・・・すみません

◇ジョウビタキ / オスメス。
【総括】
・鳥見シーズンピーク。冬の小鳥、ガンカモ等々
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇ヒシクイ(3枚) / 左は「お姫様伝説の沼」近くの田んぼにて。右2枚は沼にて(この日は2羽のみ確認)
◇ハクガン / ついに沼近辺にハクガンも現れた。あとカリガネが来れば希少ガンのそろい踏み。県北まで行かなくてもみれる。
◇シジュウカラガン / お姫様の沼上空を横断
◇コクガン / S川湾をぐるつとめぐり。コクガン多し
◇トモエガモ / 御姫様の沼にて。探すのが大変
◇ハジロカイツブリ+ミミカイツブリ / 大群がこの日も健在

◇カルガモとスズガモ(各2枚) / 個人図鑑として保管。♂と♀


◇タゲリ / 仙南の排水路河口の干潟。この日もいた
◇イカルチドリ / 舟揚場、コクガンのすぐわきにいた
◇イソシギ / その近くの港にて。近くに来た
◇ルリビタキ / 青色が強い個体。やっとゆっくり撮らせてくれた。

◇オオワシ / 左1枚は場所はS川湾、右2枚は大河の近くの沼にて。3羽別個体
◇カヤクグリ / ピントいまいちで・・・すみません
◇ジョウビタキ / オスメス。
Posted by OOAKAGERA at
18:18
2021年02月08日
2月8日(月)の日記 榴ヶ岡公園の「カウラのユーカリ」
榴ヶ岡公園の「カウラのユーカリ」
◇先日宮城野区文化センターで公開講座があり、聴講した。内容は以下の通り
<講演会テーマ>「あの木」に宿る物語 (取材で出会った樹木たち) 講演者 千葉由香さん
宮城野原案内人の会主催 【宮城野区まちづくり活動助成事業】
◇河北新報夕刊に月2回(奇数週の月曜日)に表記のテーマで記事を連載中の講師から特に宮城野区にゆかりの木について話があった。ちなみに本日夕刊にも掲載あり。
◇この連載の主旨は「樹木を植物の生態からではなく、眼に見える木がどうしてそこにあるか」という視点からアプローチする」というもの。すでに1年半にわたり掲載されているが、この中から宮城野区の以下の3本の木について説明された。
① カウラのユーカリ (榴ヶ岡公園)
② 銀杏町のイチョウ (乳銀杏)
③ 薬師堂のアラカシ
◇このうち特に①は気になる話で、少し「突っ込んで」みた。
【カウラのユーカリ】
◇榴ヶ岡公園のJR榴ヶ岡駅側の石段わきに「カウラのユーカリ」が植えてある(写真参照)

◇オーストラリア・カウラ市で起きた日本人捕虜収容所脱走事件「カウラ事件」の生還者、地元宮城野区原町に住んでおられた故遠藤好雄さんが事件の記憶をとどめるためにと植樹したもの。
◇太平洋戦争最大の捕虜脱走事件であった。かつて日本軍人は捕虜となることを恥辱とし、虜囚の身となるより自決の道を選んだというが、オーストラリアでは戦争の捕虜は前線で戦った勇士としてたたえる風潮があり、ジュネーブ条約にも則り捕虜は丁重に扱われたという。戦後、日本人捕虜の会とオーストラリアのカウラ市民との交流がもたれ、先方から送られた友好記念のユーカリの種をまいて育てられた木とのこと。他の場所では育たなかったがここでは元気に大きくなっている。
◇オーストラリアは北部の熱帯に近いところ以外は非常に乾燥した土地で、どこにでも自生しているユーカリの木は葉っぱに油分を含み、また皮がどんどん剥がれ落ちて更新されて剥がれ落ち自然発火するとのこと。2-3年前にもニュースになった大きな山火事もこの木による自然発火が大きな原因となっているようだ。
◇この「カウラ事件」について詳しくまとめられたノンフィクション小説がある。
【「カウラの突撃ラッパ」(零戦パイロツトはなぜ死んだか) 】
中野不二男著 文春文庫 1991年
◇本の裏書から
オーストラリア・カウラの連合軍捕虜収容所で起きた第二次世界大戦史上最大の日本人暴動。先頭に立って突撃ラッパを吹き鳴らしたのは何者か? 偽名で死んだ若き零戦パイロツトの謎を追ううちに、取材の足は豪州から東京、さらに四国へ。そして明らかになった40年目の真実とは・・・。日本ノンフィクション賞受賞作。
◇日本人捕虜のキャンプ内には、強権派と穏健派の大きな2つの流れがあった。強権派は戦争初期に捕虜となった海軍の飛行機乗りが多かった。戦場での空腹や重傷にも会わず何等かの事情で突発的に捕虜となつた一団で海軍出身者が多かった。一方穏健派は、不利な戦闘の苦闘をいやというほどなめさせられ、重傷や病気のため身動きがとれない状況下で捕まった陸軍出身者が多い。内心はどうあれ強権論に正面切って反対するものはおらず大儀名文は強権派にあった。
◇そんな中で下士官と兵の分離が通達され、捕虜側の班長会議が時間をかけて行われ、日ごろからくすぶっていた脱走計画について論議された。大勢を占めていたはずの穏健派も強権派の大義の前には意見をだせなかった。ぶつぶつと文句を言いあうだけだった班長会議に思わぬ飛び入りが入り「貴様らそれでも軍人か!それでも帝国軍人か・・」と檄を飛ばされ穏健派はもちろん強権派も触れられたくなかった「出撃」を主張し一気に具体化させてしまった。
◇出撃賛成反対表明が投票により行われた。トイレットペーパーを小さく切った1枚の投票用の紙片が生死を決めるために配られた。出撃に賛成か反対か。すなわち×は<生>、〇は<死>を意味する。結果は8割が〇で圧倒的多数で決行が決められた。兵器はナイフ、フォーク、スプーン、野球のバツト、薪であった。不要な衣服を建物に火をつけるのに使った。病弱者、歩行困難者はあらかじめ自決を強いられた。ひどい話である。
◇1944年8月5日午前2時、ラッパを合図に「出撃」が決行された。軍隊としての機能などないはずの捕虜収容所に、あたかも戦場のような指揮系統が復活したようである。日本兵1100人が脱走、231人が死亡という結果に終わった。
◇筆者は戦後生まれで戦争は体験していないが、現地に赴き、当事者から丁寧に聞き取りを行い、事実を明らかににしていった。初期の段階で捕虜となりその後収容所の日本人のリーダー格となっていた元零戦パイロツトの捕虜となるまでのいきさつや収容所での行動、偽名をつかっていたが本名をつきとめ実家での聞き取りと克明に調査している。見事な執念である。
◇カウラという名も捕虜収容所も脱走事件も知らなかったが、興味をひかれる史実であった。
もうひとつカウラ事件を題材にしたテレビドラマのDVD
【あの日、ぼくらの命はトイレットペーパーより軽かった~カウラ捕虜収容所からの大脱走】
2008年NTV 小泉孝太郎 大泉洋 阿部サダヲ 加藤あい 淡島千景 山崎努 他 脚本 中園ミホ
◇脚本の中園ミホさんは、大河ドラマ「西郷どん」や朝ドラ「花子とアン」その他多数のドラマを手掛けている当代一流の脚本家。たまたまおじさんがカウラ収容所で捕虜であったことからオーストラリアの現地に行き、カウラ事件を知ってドラマ化したとのこと(DVDにはドラマ誕生の裏話が添付されている)
◇上記のノンフィクションをベースにドラマ化されている。小泉孝太郎、大泉洋と「さわやか系」の2人が主役だが、今では売れっ子となった何人かの俳優の10年以上前の若かりし姿が見れて楽しい
◇カウラはシドニーの西320キロにある小さな町。1944年8月5日、この町にあった捕虜収容所で日本人捕虜たちが暴動を起こした。オーストラリアではだれでも知っている有名な事件だが日本の教科書には登場しない。
『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』・・・この戦陣訓にしばられ、当時の日本政府はこの事件を隠蔽し、当事者のほとんどが口をつぐんだからである。
◇寒い日、小雪も降るし・・で、外に出にくかったので家にこもり一気に文庫本を読み切り。なかなか読みごたえありでした。鳥見に榴ヶ岡公園に立ち寄った時にでも「ユーカリの木」をおがんで戦時中オーストラリアであった事件に思いをはせてはいかがでしょうか。
◇先日宮城野区文化センターで公開講座があり、聴講した。内容は以下の通り
<講演会テーマ>「あの木」に宿る物語 (取材で出会った樹木たち) 講演者 千葉由香さん
宮城野原案内人の会主催 【宮城野区まちづくり活動助成事業】
◇河北新報夕刊に月2回(奇数週の月曜日)に表記のテーマで記事を連載中の講師から特に宮城野区にゆかりの木について話があった。ちなみに本日夕刊にも掲載あり。
◇この連載の主旨は「樹木を植物の生態からではなく、眼に見える木がどうしてそこにあるか」という視点からアプローチする」というもの。すでに1年半にわたり掲載されているが、この中から宮城野区の以下の3本の木について説明された。
① カウラのユーカリ (榴ヶ岡公園)
② 銀杏町のイチョウ (乳銀杏)
③ 薬師堂のアラカシ
◇このうち特に①は気になる話で、少し「突っ込んで」みた。
【カウラのユーカリ】
◇榴ヶ岡公園のJR榴ヶ岡駅側の石段わきに「カウラのユーカリ」が植えてある(写真参照)




◇オーストラリア・カウラ市で起きた日本人捕虜収容所脱走事件「カウラ事件」の生還者、地元宮城野区原町に住んでおられた故遠藤好雄さんが事件の記憶をとどめるためにと植樹したもの。
◇太平洋戦争最大の捕虜脱走事件であった。かつて日本軍人は捕虜となることを恥辱とし、虜囚の身となるより自決の道を選んだというが、オーストラリアでは戦争の捕虜は前線で戦った勇士としてたたえる風潮があり、ジュネーブ条約にも則り捕虜は丁重に扱われたという。戦後、日本人捕虜の会とオーストラリアのカウラ市民との交流がもたれ、先方から送られた友好記念のユーカリの種をまいて育てられた木とのこと。他の場所では育たなかったがここでは元気に大きくなっている。
◇オーストラリアは北部の熱帯に近いところ以外は非常に乾燥した土地で、どこにでも自生しているユーカリの木は葉っぱに油分を含み、また皮がどんどん剥がれ落ちて更新されて剥がれ落ち自然発火するとのこと。2-3年前にもニュースになった大きな山火事もこの木による自然発火が大きな原因となっているようだ。
◇この「カウラ事件」について詳しくまとめられたノンフィクション小説がある。
【「カウラの突撃ラッパ」(零戦パイロツトはなぜ死んだか) 】
中野不二男著 文春文庫 1991年
◇本の裏書から
オーストラリア・カウラの連合軍捕虜収容所で起きた第二次世界大戦史上最大の日本人暴動。先頭に立って突撃ラッパを吹き鳴らしたのは何者か? 偽名で死んだ若き零戦パイロツトの謎を追ううちに、取材の足は豪州から東京、さらに四国へ。そして明らかになった40年目の真実とは・・・。日本ノンフィクション賞受賞作。
◇日本人捕虜のキャンプ内には、強権派と穏健派の大きな2つの流れがあった。強権派は戦争初期に捕虜となった海軍の飛行機乗りが多かった。戦場での空腹や重傷にも会わず何等かの事情で突発的に捕虜となつた一団で海軍出身者が多かった。一方穏健派は、不利な戦闘の苦闘をいやというほどなめさせられ、重傷や病気のため身動きがとれない状況下で捕まった陸軍出身者が多い。内心はどうあれ強権論に正面切って反対するものはおらず大儀名文は強権派にあった。
◇そんな中で下士官と兵の分離が通達され、捕虜側の班長会議が時間をかけて行われ、日ごろからくすぶっていた脱走計画について論議された。大勢を占めていたはずの穏健派も強権派の大義の前には意見をだせなかった。ぶつぶつと文句を言いあうだけだった班長会議に思わぬ飛び入りが入り「貴様らそれでも軍人か!それでも帝国軍人か・・」と檄を飛ばされ穏健派はもちろん強権派も触れられたくなかった「出撃」を主張し一気に具体化させてしまった。
◇出撃賛成反対表明が投票により行われた。トイレットペーパーを小さく切った1枚の投票用の紙片が生死を決めるために配られた。出撃に賛成か反対か。すなわち×は<生>、〇は<死>を意味する。結果は8割が〇で圧倒的多数で決行が決められた。兵器はナイフ、フォーク、スプーン、野球のバツト、薪であった。不要な衣服を建物に火をつけるのに使った。病弱者、歩行困難者はあらかじめ自決を強いられた。ひどい話である。
◇1944年8月5日午前2時、ラッパを合図に「出撃」が決行された。軍隊としての機能などないはずの捕虜収容所に、あたかも戦場のような指揮系統が復活したようである。日本兵1100人が脱走、231人が死亡という結果に終わった。
◇筆者は戦後生まれで戦争は体験していないが、現地に赴き、当事者から丁寧に聞き取りを行い、事実を明らかににしていった。初期の段階で捕虜となりその後収容所の日本人のリーダー格となっていた元零戦パイロツトの捕虜となるまでのいきさつや収容所での行動、偽名をつかっていたが本名をつきとめ実家での聞き取りと克明に調査している。見事な執念である。
◇カウラという名も捕虜収容所も脱走事件も知らなかったが、興味をひかれる史実であった。
もうひとつカウラ事件を題材にしたテレビドラマのDVD
【あの日、ぼくらの命はトイレットペーパーより軽かった~カウラ捕虜収容所からの大脱走】
2008年NTV 小泉孝太郎 大泉洋 阿部サダヲ 加藤あい 淡島千景 山崎努 他 脚本 中園ミホ
◇脚本の中園ミホさんは、大河ドラマ「西郷どん」や朝ドラ「花子とアン」その他多数のドラマを手掛けている当代一流の脚本家。たまたまおじさんがカウラ収容所で捕虜であったことからオーストラリアの現地に行き、カウラ事件を知ってドラマ化したとのこと(DVDにはドラマ誕生の裏話が添付されている)
◇上記のノンフィクションをベースにドラマ化されている。小泉孝太郎、大泉洋と「さわやか系」の2人が主役だが、今では売れっ子となった何人かの俳優の10年以上前の若かりし姿が見れて楽しい
◇カウラはシドニーの西320キロにある小さな町。1944年8月5日、この町にあった捕虜収容所で日本人捕虜たちが暴動を起こした。オーストラリアではだれでも知っている有名な事件だが日本の教科書には登場しない。
『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』・・・この戦陣訓にしばられ、当時の日本政府はこの事件を隠蔽し、当事者のほとんどが口をつぐんだからである。
◇寒い日、小雪も降るし・・で、外に出にくかったので家にこもり一気に文庫本を読み切り。なかなか読みごたえありでした。鳥見に榴ヶ岡公園に立ち寄った時にでも「ユーカリの木」をおがんで戦時中オーストラリアであった事件に思いをはせてはいかがでしょうか。
Posted by OOAKAGERA at
22:02
2021年02月05日
2月5日(金)の鳥見 今週の振り返り
<今週の振り返り>
【総括】
・カモたちはそろそろ北帰体勢
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇マガン / 沼には継続して4桁の数のマガンが滞在。周辺の田んぼと沼を行ったり来たり
◇カリガネ(2枚) / 前回はあたり一面雪原でみつけられなかったか、今回は雪が解けたせいかいつものエリアにわんさといた。カリガネポイントは、①,ねぐらの沼近く、②牧草地(採草地)または田んぼの畦畔、③マガンの群れの周囲縁といったところか。
◇シジュウカラガン / 遠くまでゆかなくとも今年は近くで観れる。沼周辺の2羽、マガンの群れといっしよに採食。健在。

◇タゲリ / いつものエリアの田んぼにて
◇シロハラ / ジェット機の機影の真下の公園にて
◇ツグミ / まだまだたくさん見かける
◇ウソ / 上記シロハラの近く

【今週の景観写真】
◇スズメも芸術作品の一部
◇ふゆみず田んぼ・・か / ほ場整備が終わった田んぼ、水を入れているのは何か他に理由があるのかも
◇ブルーインパルス / かなり遠いが、肉眼で全体の動きがよく分かった。写真はいまいちわかりにくいが・・・

【総括】
・カモたちはそろそろ北帰体勢
【今週の「みーつけた」一覧】

【今週の記録写真】
◇マガン / 沼には継続して4桁の数のマガンが滞在。周辺の田んぼと沼を行ったり来たり
◇カリガネ(2枚) / 前回はあたり一面雪原でみつけられなかったか、今回は雪が解けたせいかいつものエリアにわんさといた。カリガネポイントは、①,ねぐらの沼近く、②牧草地(採草地)または田んぼの畦畔、③マガンの群れの周囲縁といったところか。
◇シジュウカラガン / 遠くまでゆかなくとも今年は近くで観れる。沼周辺の2羽、マガンの群れといっしよに採食。健在。

◇タゲリ / いつものエリアの田んぼにて
◇シロハラ / ジェット機の機影の真下の公園にて
◇ツグミ / まだまだたくさん見かける
◇ウソ / 上記シロハラの近く
【今週の景観写真】
◇スズメも芸術作品の一部
◇ふゆみず田んぼ・・か / ほ場整備が終わった田んぼ、水を入れているのは何か他に理由があるのかも
◇ブルーインパルス / かなり遠いが、肉眼で全体の動きがよく分かった。写真はいまいちわかりにくいが・・・


Posted by OOAKAGERA at
21:12