2022年08月27日

8月27日(土)の日記 空港の飛行機を眺める

◇鳥見の時間がとれないが、空港で飛行機を眺める時間があった。昔の飛行機はもう存在していないようだ。親しみのあったB747ジャンボ、B727、YS-11、DC-9(その後のMD-90)、DC-10はもうみれないようだ。(同時代トライスターL1011という機種もあったがこれには乗っていない)。B737は今でもかろうじて見かけるが。
◇この日は小さなコンデジしかもっていなかったので写りがよくない。機番がはっきりしないと航空機の機種を特定できない。
・J-AIR     エンブラエル E190 ブラジル 
・アイベックス ボンバルディア CR  カナダ  
・ANA     エアバスA320
・ピーチ    エアバスA320
    

◇H25年(2013年)6月に空港の近くの海岸エリアで繁殖の調査をおこなった。ターゲットはシロチドリだったがまったく見当たらなかった。そこで暇な時間に、仙台空港を離着陸するいろいろな航空機の写真を撮った。10年近く前なので現在は使われていない機種もありそれなりに懐かしい。
・ANA ボーイング767-300 機番8567 (現在抹消されている)
・ANAウィングス ボンバルディアDHC-8-400  機番JA846A
・AIR DO ボーイング737 機番JA305K (現在抹消されている)
・J-AIR エンブラエル ERJ-170-100   機番JA220J
    

・ANA        エアバスA320-211 機番JA8997 (現在抹消されている)
・UNITED(米国) ボーイングB757(767かもしれない) 機番 不明 2001年の「9.11同時多発テロ」を思い出させる
・宮城県防災航空隊(ヘリ) SA365 機番JA6688 (現在民間会社で使用中)
・AIR DO     機番 不明
    

・アイベックス  ボンバルデイアCRJ-700 機番不明 (「がんばろう東北」と表示あり)
・航空大学校  ビーチクラフト バロンG58 機番JA5801  (「がんばろう日本」と表示あり)
・東北エアサービス(ヘリ)  MBB Bo105 (現在抹消されている)
・ピーチ  エアバスA320-214 機番JA802P
    

・スカイマーク  ボーイングB737-800 機番JA737X
・J-AIR エンブラエル  E170
・ANAウィングス  ボンバルディア  DHC-8-400 機番JA851A
・アシアナ航空(韓国) エアバスA321-231 機番HL8257
      


Posted by OOAKAGERA at 16:25

2022年08月26日

8月26日(金)の鳥見 今週の振り返り 欠測

<今週の振り返り>
【総括】
・今週は、残念ながらまったく鳥見ができなかった。「欠測」です。
  


Posted by OOAKAGERA at 16:32

2022年08月25日

8月22日(月)の日記 仙台育英優勝おめでとう

時間のある方のみ みてください
2022.08.22(月) 夏の高校野球、仙台育英ついに全国制覇! おめでとう。 備忘録

◇今年の仙台育英は、監督の適格な采配、球速140キロ台の速球を投げる投手が5人もいてしかも皆甲子園に来てしっかり投げているし、堅い守り、好球を見逃さずたたきつけるバッティングと、浮わついた様子のない試合運びで勝ち進み、決勝も勝つだろうと思ってみていた。その通りの試合で見事勝利。深紅の優勝旗は陸路白河の関を超えて、100年余り続いた呪縛から解放された。
◇新聞は東日本大震災を思い出せるような1面と最終面を見開きでレイアウトした大胆な記事写真の配置。それほどの大事件の様だ。
◇優勝旗は東北の頭越しにすでに北海道に届いている。駒大苫小牧高が田中マー君を擁して2年連続優勝した時の、北海道の夏を思い出した(当時は北海道のまさに地元に住んでいた)。久しぶりに高校野球での感動を味合わせてもらった。「感動をありがとう」である。

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<メモ>
宮城県勢は過去、春夏あわせて4回決勝まで進んでいるがいずれも敗れている。東北勢となると過去12回決勝に進んだがすべて敗れている。宮城県勢は以下の通り。
■1989年夏 仙台育英 帝京(東京)に0-2 で● / 右腕大越基の剛速球も及ばず
■2001年春 仙台育英 常総学院(茨城)に 6-7で● / 木内監督(故人)率いる試合巧者の常総に負け
■2003年夏 東北高校 またも常総学院(茨城)に 2-4で● /  ダルビッシュも及ばず 
■2015年夏 東海大相模(神奈川)に 6-10で● /  右腕佐藤世那を打線が盛り立てるも×
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<過去にはこんなことが・・・覚えてますか?>
【復刻】 H29(2027).08.20
◇高校野球が開催中、東北勢の活躍が目立つ。
◇今日は、夕方4試合目に宮城県代表仙台育英高校の3回戦の試合があった。
◇相手は春の選抜優勝校、大阪桐蔭。
◇息詰まる投手戦、堅い守備でしまった試合内容で序盤が進んでいるのはわかっていた。
◇6時過ぎ、別の番組を見ていたがそろそろ試合は終わるころかとチャンネルを合わせたら9回の攻防。育英は残念1-0で負けていた。
◇最後まで見納めようと画面をみていたが、点は入りそうになかった。それでも安打と四球で2アウト一・二塁と攻め立てた。ここでショートゴロを打ち万事休す、ゲームセットと判断しチャンネルを切り替えた
◇しかしなんだか変だ。残像ならぬ残音が耳に残り、アナンサーが「セーフ」と言っていたように聞こえた。あわててチャンネルを戻したらなんとセーフ。一塁手がベースを踏んでいなかった。3mくらい前にボールが一塁手に届いてタイミングは完全にアウトでゲームセットのはずが、幸運が舞い込んできた。
◇満塁になり次のバッターが思いっきりバットを振り打球は外野の頭を越してなんとなんと逆転サヨナラ勝ちでした。びっくり、感激。試合は最後までしっかりみて確認しなければならないと思い知らされた。
◇昔昔の石川県星稜対和歌山簑島の延長戦で一塁手がつまづいてゲームセットになるはずが逆転されたのを思い出した。

◇高校野球の監督には、時々昔甲子園に出た懐かしい人がいる。最近では仙台育英で甲子園準優勝と活躍した山口早鞆高校の大越監督など。
◇昨日の新聞で、仙台育英に敗れた新潟の日本文理の大野監督が今年で引退と出ていた。
◇この大野監督は昔昔甲子園に出ている。そのことは知っていたが新潟の高校の監督になっていたとは知らなかった。懐かしいと思ったら引退の記事とは残念である。
◇大野監督は2009年には新潟文理を準優勝に導いている。
◇高校時代は甲子園で活躍した。1959年栃木県宇都宮工業のエースとして準優勝している。この時準々決勝の相手は、当時としては珍しく勝ち進んだ松尾監督率いる東北高校であった。宇都宮出身の我が家の亡くなったじいちゃんはまわりがみんな東北高校を応援する中1人で宇都宮工を応援したと昔話をしていたことがある。
◇大野氏の実家は宇都宮で割烹料理店をいとなんでおり、たまたま店に入った時に手伝いをしていた大野氏の姿をみたことがある。
◇少しでも身近な思い出があるとなんとも懐かしく感じるものである。高校野球バンザイ。
◇明日は仙台育英は準々決勝、ガンバレ。
(参考)
この年夏の成績は以下の通り。準々決勝で敗れた
■平成29年夏1回戦○仙台育英高15-3滝川西高  2回戦○仙台育英高1-0日本文理高  3回戦○仙台育英高2-1大阪桐蔭高  準々決勝●仙台育英高4-10広陵高

また、それ以降も結構勝ち進んでいる。
■平成30年夏 準々決勝 ●仙台育英高1-17星稜高  
■令和3年春 準々決勝 ●仙台育英高3-10天理高
そして本年、ついに全国制覇を果たした。
■令和4年夏 2回戦○仙台育英高10-0鳥取商  3回戦○仙台育英高5-4明秀日立高  準々決勝○仙台育英高6-2愛工大名電高  準決勝○仙台育英高18-4聖光学院高  決勝○優勝仙台育英高8-1下関国際高  


Posted by OOAKAGERA at 17:42

2022年08月24日

8月24日(水)の日記 NHKテレビ「あの人に会いたい」柳生博さん

 柳生博さんが亡くなった時に当ブログに記事をアップした(ほとんどは復刻だったが)。下段に再復刻。

 先日NHKテレビ「あの人に会いたい」で柳生博さんがとりあげられていた。興味があるのでじっくり観た。以前の記事にない新しい情報・気づきをメモしておく。
◇柳生家は代々茨城県の豪農で広い土地を持つ地主で村長を務める家柄だった。戦後の農地改革で土地が取り上げられ無一文になった。雑木林が売られ、そこがゴミ捨て場のようになるのを見て悲しかった。
◇おじいちゃんは戦後のこの環境の中で、なにか思いつめたように孫の私(柳生博さん)に雑木林の管理の仕方などを夢中になって教えてくれた。
◇13歳で初めて八ヶ岳にきて以来、人生の節目何か決めなければならない時には八ヶ岳の森に来た。俳優になろうと決めたのもここ。
◇NHKの連続テレビ小説「いちばん星」で詩人の野口雨情の役をやり役者としてブレークした(1977年)。ここでバランスを欠いた。
◇対策としてなけなしの金をはたいて八ヶ岳に土地を買った。ここの森に入ってくるとなにか自分の魂の重さがわかるような気がする。東京で仕事をして八ヶ岳で「野良仕事」をして、バランスが取れてきた。
◇H4年から、「生ききもの地球紀行」のナレーションを担当した。収録日の前日には必ずここ八ヶ岳にいた。そしたいろんな野良仕事をして、火を焚いたりして、生き物たちに囲まれていながらそのままNHKに入っていった。「生きもの地球紀行」に出てくる生き物と同じように僕も生き物でいたいというのがあるんです。レポーターとして中米コスタリカまで出かけた。
◇田植えの始まる時の田んぼは暖かくて生き物たちの宝庫なんです。様々な生き物が生き生きとしている。
◇日本人のいちばんの魂の置き場は野良仕事だと思う。森を切って切って植えて花を咲かせて鳥を呼んで・・・。

 何年か前にひょんなことから柳生さんにお会いしたことがある。「昭和30年代からテレビドラマで柳生さんをみていました、ファンです」という当方からの言葉をにこにこ顔で聞いてくださった。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

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以下は本年4月22日の記事(それと、さらに前の復刻)

俳優の柳生博さんが亡くなった。ドラマや映画で活躍した味のある俳優であるとともに自然保護活動にも取り組んでいた。山梨県八ヶ岳のふもとの自宅で亡くなった。85歳、ご冥福をお祈りいたします。以前、入院中に書いた記事を復刻。

【復刻】  2019年11月30日
◇私の「お休み中」の滞在先は毎晩の消灯時刻が決まっていて部屋も枕元も明かりが消される。私は寝つきはすこぶるよい方で、明かりを消されるとストンと寝てしまう。
◇しかしここで問題がある。ひと眠りするともう睡眠は不要で起きてしまう。朝方3時過ぎには目が覚めてもう睡眠は不要である。しかし明かりはなし、動きはとれない。そうなると普段は全く聞かない深夜放送のラジオを聞いて時間をつぶすことになる。前々からよく話に聞いていたNHKのラジオ深夜便が面白そうなのでしぜんに聞くことになった。
◇ラジオ深夜便は、毎日夜11時から翌朝の5時までベテランアナウンサーがアンカーとなって放送している。そして時間ごとにほぼテーマが決まっているようである。3時台は日本の音楽(70年代から80年代の歌謡曲とか)、4時台はインタビュー。
◇そんなわけで私はほぼ3時台後半から聞いていたが、先日は柳生博氏へのインタビューを放送していた。柳生氏は先ごろまで日本野鳥の会の会長(現在は名誉会長)、大分前には長いことNHKテレビの「生き物地球紀行」のナレーターをしていて鳥や生き物の楽しい話が聞けるのではと期待して聞いた。
◇暗い中で手元を見ないでボールペンでメモしたがそれなりに判読できた。以下はインタビューの概要

<柳生博氏のはなし>
(ラジオで聞いたままを記したので聞き間違いがあるかもしれません。念のため)
NHKラジオ深夜便 11月30日(土) 午前4時台
「明日への言葉」講演会  確かな未来は懐かしい風景の中にある (山梨県甲斐市で開かれたラジオ深夜便のつどいでの講演から)

■山梨県、八ヶ岳のふもとに生活の拠点を置いている柳生博氏の話
■昭和12年生まれ。82歳。茨城県霞ケ浦のほとりで生まれ育った。13歳の時初めての一人旅で訪れたのが八ヶ岳。
■24歳の時、今井正監督の映画「あれが港の灯だ」で俳優デビュー、以来数々の映画やテレビドラマばかりでなく、テレビのドキュメンタリー番組のナレーターや司会などでも活躍した。
■40歳を過ぎた頃、かつて訪れたことのある八ヶ岳のふもと、北斗市小泉町に家族で生活の場を移した。自ら雑木林を伐採・手入れし、カフェやギャラリーのあるオープンスペースをオープンして今年で30年になる
■今も自然に囲まれ、野良仕事に携わる柳生さんがその暮らしから得た人生哲学をおうかがいした

(以下◆は柳生さんの言葉)
◆八ヶ岳は今紅葉の盛りである。今年は紅葉が1週間ほど遅れている。時期だけでなく朝昼夜でも印象は変わる。
◆僕の森は、北側に八ヶ岳連峰・赤岳のふもと1600mの地にある。南には富士山、西には南アルプスが望める。山々に囲まれたところである。
◆今の時期の野良仕事は「枝打ち」である。高い木にはしごの先をくくり付けて枝を切っている。若い者は心配するが今でもハシゴに乗っている。
◆今でこそ柳生の森は美しくなったが、引っ越してきたときは放置された人工林であった。間伐していない森は日の光が地面に届かず花も咲かず、虫もおらず、鳥も来ない陰鬱な「沈黙の森」であった。手入れされていない人工林を何回も切った。最初の年は6回くらい切った。木を切って光が地面に届くとスミレやマイズルソウが咲きだす。虫が出てきて鳥も来る。
◆40年前、(死んだ)長男が小学校4年生、次男が幼稚園の時から始めて、植えたり手入れをした木の数は1万本をこえている。
◆紅葉が終わり葉が落ちると鳥が来る。窓の近くには鳥の好きな木を植えている。冬の間にいろいろな小鳥が移動してくる。混群が来る。雪の積もった中に真っ赤なオオマシコがくると赤ワインが欲しくなる。なんたって山梨県だから・・・。鳥をめざして全国から人が来てくれる。
◆赤岳が壁になって、あまり強い風は吹かない。
◆4月になるとムズムズと地面が動き出す。カタクリの芽が出てくる。地面のわずかな盛り上がりが見える。あの興奮は他にない。
◆孫が7人いる。うちの孫のやること。僕が朝寝ていると起こしに来る。「じいじいカサコソやろうよ」と言う。雑木林に行って葉が積もっている地面を歩くとカサコソ音がする。そこに子供は飛び込む。そしてその中からダンゴ虫やミミズを捕まえる。ミミズは放置された人工林の時にはいなかった。孫は30cmくらいあるミミズを手首に巻いて引っ張って口でくわえてなんてことをする・・・かわいい。
◇40年前に移住して森を再生しようと考えたきっかけは?
◆「野良仕事」をやりたかった。かつて日本人はあらゆる人が野良仕事をした。そして人間のすぐそばにたくさんの生き物がいた。こんなに人と生き物が一体で暮らしているところはない。里山である。棚田・田んぼの用水など人の手が入って自然と一体となってバランスよく回っていた。
◆東京で暮らしている中、生活を変えようと思う出来事があった
◆そのころ役者としてとにかく忙しかった。テレビ小説の「一番星」では茨城出身の野口雨情の役をやり、クイズハンターの司会をし、ドラマに出てというわけで年間700本のテレビに出るような生活だった。そうするとつらいことがあった。カミサンと会えない、子供とも会えない。長時間家に帰れない。
◆ある日私がたまたま早く帰って、疲れて玄関で寝ていたら長男が帰って来た。見ると顔に血が流れていた。頭も切れていて「いじめ」に会っていた。お前のパパは昨日人を殺していたではないか、女といちゃいちゃしていたではないかといったようないじめを受けていた。
◆そんなときに考えたのは「このままでは我が家は溶けてしまうのではないか」ということだった。どうしたらよいか。
◆私は小さいときはじいさん子だった。じいさんは剣道7段の剣士だった。じいさんは、私がうじうじしているときは「野良仕事をやれ」と言っていた。もう終わったというと、ならだれかの手伝いをしろといわれた。
◆柳生の家はいろいろ家訓があつた。そのうちの1つに13歳の夏にひとりで1ケ月ほど旅に出ることというのがあった。どこにいってもよいからとにかく一人で旅をしなければならない。私は旅先を考えた。茨城の家は関東平野の平な土地に、みんな善い人ばかりがなかよく幸せに暮らしている。もっとドラマチックなところに行きたいと思い地図を見て行き先を決めた。地図を見るのが好きだった。そして探し出したのが山梨県の八ヶ岳のふもと、小海線沿線であった。等高線に沿ってウネウネと行く列車、人も住んでいないような。白樺を見たい、これは関東にない。日本海側にもない、山にはある。
◆乗った小海線の列車、滑って動かないことがあった。線路上にヤスデが異常に発生し滑っていた。客はみんなで降りて列車を押して動かした。なんてことがあった。こんなドラマチックなところはないと気に入った。
◆しかし13歳の少年、夜は駅のベンチで寂しかった。ホームシックである。泣きながら寝ているとホトトギスが泣いていて悲しさが身に染みた。そんな中、たどり着いたのが今まさに住んでいる森の近くであった。森の中、生き物の務中に入ると柳生少年は自分の命の重みに気づく。体重がまるでタヌキやヤマドリのように軽くなったように感じた。どうしたら彼らと仲良くできるかそんなことを思ったことを鮮明に覚えている。
◆このあたり、駅前に開拓の記念の石碑があったりする。戦後に入植した人達がおり、農業をしたことがないインテリが掘っ立て小屋を建てて住んでいたりした。近くの開拓者の人が声をかけてきた。そんな家に呼ばれた。ドラム缶の風呂に入れてもらった。気持ちよかった、星がきれいだった。夕食のジャガイモはまずかった。家は粗末だが本棚に本が並んでいた。いろんなイデオロギーの本だった。本を読ませてもらった。何か手伝うことがないかというと、逆にいろいろ尋ねられた。農作業をいろいろ教えた。
◆そこで学んだことは大きかった。
◆孫に好かれる方法は、農作業の体験をさせてみること。おじいちゃんはスーパースターになれる。
◆うちの孫は生物学・生き物に関する学問をしている
◇子供たちに自然に接してもらう方法は親ではなくおじいちゃんの世代の人からかもしれないですね
◆YES、身近なところから地球が見えてくる。生き物だらけの森に子供たちを置くと自然の中にすんなり入り込む
◆僕は昔から、「確かな未来」は里山の存続と思っている。ずっとつづいてきた里山、そこは自然に人間がかかわってきた世界でもまれにみる風景である。いい塩梅に折り合いつけて自然と人間がかかわりあって回っている。懐かしい風景を小さいころからどれだけ持ち続けることが出来るか・・・、
◆長男がやっていた「田んぼの学校」は大都会の30人くらいの親子に野良仕事をしてもらうことをしてきた。その最後に必ず作文を書いてもらった。その中で田植えをしたことを7割くらいの人が「なつかしかったです」と書く。見たことも経験したこともない風景を「なつかしい」と感じるのはなぜか? これはの作用なんだという。
◆おじいちゃんが孫に伝えていかになければならない、一番は「野良仕事」をすることと思う。

◇柳生氏の自然志向の背景がよくわかった。テレビの自然番組のナレーターをやってからの話ではなくもっとずっと前から、小さいときからの体験も背景にあったわけだ。
◇まとめとしては。里山礼讃、野良仕事礼讃ということだろう。
◇売れっ子のタレント生活に疑問を感じ、家庭崩壊を防ぐにはと八ヶ岳への移住を決断したのは尊敬する。なかなか出来ないこと。
◇柳生氏は昔からテレビ界で長く活躍されている縁で脚本家の倉本聰氏とは懇意のようだが、今テレビで昼休みの時間に放映されている倉本氏脚本のテレビ朝日「やすらぎの刻」のモチーフとして柳生氏の話が取り込まれてるように思った。山梨県・原風景といったキーワードが一致しそうだし、大都会でいじめに遭った後、いなかの農作業で回復するストーリーも同じだ。うがち過ぎかも。
◇もうひとつラジオを聞いて懐かしかったのは聞き手の高橋美鈴アナウンサーである。かつて札幌・東京・室蘭と転勤しその人柄と確かなアナウンス技術には定評のあるところだった。おはようにっぽんのキャスターはよかったし、北海道制作が多い自然百景のナレーターもよかった。今は山梨で頑張っておられるようで今回のインタビューも、あちこち飛び回る柳生氏の話を気持ちよくまとめていた。そのうちアンカーとしてラジオ深夜便にこられることを期待です。  


Posted by OOAKAGERA at 22:23

2022年08月19日

8月19日(金)の鳥見 今週の振り返り

<今週の振り返り>
【総括】
・今週はあまりでかけられなかった。

【今週の「みーつけた」いちらん】  
 

【今週の観察写真】
◇コサギ / さかんに採食
◇ヨシゴイ / ハスの花を撮っていたら突然首を出した
◇セイタカシギ / 水張り田んぼにポツンと1羽、他にすぐ近くの沼の上空を飛んでいたのもセイタカみたいだった。
   

【今週の景観写真】
◇ハスの大輪の花が見事
 
◇大震災の津波で流れてきたコンテナーが腐食で崩落しそう、XDAYはいつ? 意外にまだ長持ちしたりして・・・
 

  


Posted by OOAKAGERA at 18:31

2022年08月18日

8月18日(木)の日記 ユウガオの花が咲いた

◇種から育てたユウガオ、発芽状況がすこぶる成績がよくなかった。かろうじて育った苗を花壇に植えたがやっと開花した。でっかい、真っ白い花をみると吸い込まれそう。
  

◇例によってユウガオについての過去の雑文を復刻

【復刻】     2013.10.08
■仙台は本日「夏日」
◇朝5時台のジョギングを続けている(毎日ではない)。つい数日前は外に出たとたん涼しいというより寒い、以来長袖・長ズボンに衣替えした。
◇したら、今朝は暑い。ひとっ走りしてきたら汗びっしょり。
◇北海道時代は天気予報をピリピリしながら欠かさずみていたが、仙台に来たら日々の生活に特に気象の変化を気にすることもなさそうですっかりだらけて天気予報は横眼でみればいい方。最近の寒い・暑いの予報は把握していなかった。
◇庭で育てている「ユウガオ」の花がまだ咲いている。
◇初夏のころ、プロの農家に立派な苗をいただいた。かんぴょうの「ユウガオ」ではなく園芸種だとは聞いていたが毎日夕方に大きな真っ白い花が咲き続けている。園芸種の方は「ヨルガオ」とも呼ばれるようだが、よい連想をされるので「ユウガオ」として売っていることが多いようでややこしい。混乱を期待して(?)、わざと「ヨルガオ」ではなく2種とも「ユウガオ」として説明する。
◇10株ほど植えたアサガオの隣に、地面に植えつけではなく大き目の鉢に植えてガイドの棒、さらに紐を2階まで引っ張った。これに抱きついて「ユウガオ」はスクスク育った。花が咲きだしてからは適宜水やりと液肥をやった。まだ咲いている「ユウガオ」の写真を添付する。

◇さて「ユウガオ」と聞くとやはりかんぴょうの方を思い浮かべる。
◇私の故郷栃木県はかんぴょうの一大産地で、かんぴょうの原料「ユウガオ」の実は「フクベ」と呼ばれる。フクベの一部はかんぴょうにはされず大きく育てられ中をくりぬいて乾燥し昔は「炭入れ」などに使われていた。
◇かんぴょうは「フクベ」の表面の皮をむいて回転式「むき器」に串刺しにしてピーラーでひも状にシューッと連続して剥いてゆく。これをソーメン干しのようにつるして干してかんぴょうにする。かんぴょうにしないでとうがんのように料理されることもある。
◇むかし、夏場宇都宮郊外の農家を訪ねると庭でかんぴょう剥き・干しをしていてよい香りが漂っていた(今はそんな情景はないようだが)。
◇源氏物語に出てくる「夕顔」は悲しい話である。この花はかんぴょうのユウガオであろう。
ユウガオの花が咲いている粗末な家に住む正体のわからない女性が「夕顔」。高貴な生まれであった夕顔は幸せになれないまま死ぬ。なんと、光源氏は逃げた!(記憶によればタシカ・・・そのはず)。
◇2鉢のユウガオの花の家に住むのは高貴な女性とは程遠いが花は元気に咲き続ける。おっとかんぴょうと園芸種と混乱した。
◇この高温はまだ数日続くようだ。ユウガオはまだ咲き続けそう。よしよし。  


Posted by OOAKAGERA at 21:47

2022年08月12日

8月12日(金)の鳥見 今週の振り返り

<今週の振り返り>
【総括】
・渡りのシギチ少し見参

【今週の「みーつけた」いちらん】  
 

【今週の記録写真】
◇キジ / 田んぼのアゼから稲穂にとびついてさかんに採食中。
 

◇コチドリ / 合計数では今週一番カウントしたシギチ
◇メダイチドリ / 一応、向きの異なる2羽デス
◇セイタカシギ / 沼に1羽、なかなかのイケメン
◇アオアシシギ / 干潟。毎週何羽か見かけるが入れ替わっているカモ
    

◇オオジシギ(2枚) / 2羽ともオオジシギと判断した
◇タカブシギ / 埋立地。近くにいた
◇トウネン / コチドリと混じっていた
    

【今週の景観写真】
◇ひまわり畑。県南の方。ソフィアローレンの映画(ウクライナのひまわり畑らしいが)の画面に負けていないのでは・・・。
    


Posted by OOAKAGERA at 17:05

2022年08月06日

8月5日(金)の日記 今日は何の日 「戦時中豪州の日本人捕虜収容所脱走 カウラ事件」

8月5日、今日は何の日「戦時中オーストラリアカウラにあった捕虜収容所で、旧日本軍の兵士およそ1100人が脱走を図る」

NHKテレビで興味あるニュースを伝えていた。以下の通り。
<太平洋戦争中の日本兵捕虜めぐる事件から78年 豪で慰霊式>
◇太平洋戦争中、1944年8月5日、オーストラリア南東部カウラにあった捕虜収容所で、旧日本軍の兵士およそ1100人が脱走を図り、監視兵に射殺されるなどして231人が死亡した。事件から、5日で78年となり、現地で慰霊式が行われた。
◇新型コロナの感染拡大の影響で、3年ぶりに慰霊式が行われた。
◇写真はNHKテレビから
 

 カウラ収容所脱走事件については以前に当プログに雑文をアップした。それを【復刻】
<カウラのユーカリ> 2021.2.8
◇榴ヶ岡公園のJR榴ヶ岡駅側の石段わきに「カウラのユーカリ」が植えてある。結構大きい木なので目立つ。
◇オーストラリア・カウラ市で起きた日本人捕虜収容所脱走事件「カウラ事件」の生還者、地元宮城野区原町に住んでおられた故遠藤好雄さんが事件の記憶をとどめるためにと植樹したもの。
◇太平洋戦争最大の捕虜脱走事件であった。かつて日本軍人は捕虜となることを恥辱とし、虜囚の身となるより自決の道を選んだというが、オーストラリアでは戦争の捕虜は前線で戦った勇士としてたたえる風潮があり、ジュネーブ条約にも則り捕虜は丁重に扱われたという。戦後、日本人捕虜の会とオーストラリアのカウラ市民との交流がもたれ、先方から送られた友好記念のユーカリの種をまいて育てられた木とのこと。他の場所では育たなかったがここでは元気に大きくなっている。
◇オーストラリアは北部の熱帯に近いところ以外は非常に乾燥した土地で、どこにでも自生しているユーカリの木は葉っぱに油分を含み、また皮がどんどん剥がれ落ちて更新され自然発火するとのこと。2-3年前にもニュースになった大きな山火事もこの木による自然発火が大きな原因となっているようだ。
◇この「カウラ事件」について詳しくまとめられたノンフィクション小説がある。

【「カウラの突撃ラッパ」(零戦パイロツトはなぜ死んだか) 】
 中野不二男著 文春文庫 1991年
◇本の裏書から
 オーストラリア・カウラの連合軍捕虜収容所で起きた第二次世界大戦史上最大の日本人暴動。先頭に立って突撃ラッパを吹き鳴らしたのは何者か? 偽名で死んだ若き零戦パイロツトの謎を追ううちに、取材の足は豪州から東京、さらに四国へ。そして明らかになった40年目の真実とは・・・。日本ノンフィクション賞受賞作。
◇日本人捕虜のキャンプ内には、強権派と穏健派の大きな2つの流れがあった。強権派は戦争初期に捕虜となった海軍の飛行機乗りが多かった。戦場での空腹や重傷にも会わず何等かの事情で突発的に捕虜となつた一団で海軍出身者が多かった。一方穏健派は、不利な戦闘の苦闘をいやというほどなめさせられ、重傷や病気のため身動きがとれない状況下で捕まった陸軍出身者が多い。内心はどうあれ強権論に正面切って反対するものはおらず大儀名文は強権派にあった。
◇そんな中で下士官と兵の分離が通達され、捕虜側の班長会議が時間をかけて行われ、日ごろからくすぶっていた脱走計画について論議された。大勢を占めていたはずの穏健派も強権派の大義の前には意見をだせなかった。ぶつぶつと文句を言いあうだけだった班長会議に思わぬ飛び入りが入り「貴様らそれでも軍人か!それでも帝国軍人か・・」と檄を飛ばされ穏健派はもちろん強権派も触れられたくなかった「出撃」を主張し一気に具体化させてしまった。
◇出撃賛成反対表明が投票により行われた。トイレットペーパーを小さく切った1枚の投票用の紙片が生死を決めるために配られた。出撃に賛成か反対か。すなわた×は<生>、〇は<死>を意味する。結果は8割が〇で圧倒的多数で決行が決められた。兵器はナイフ、フォーク、スプーン、野球のバツト、薪であった。不要な衣服を建物に火をつけるのに使った。病弱者、歩行困難者はあらかじめ自決を強いられた。ひどい話である。
◇1944年8月5日午前2時、ラッパを合図に「出撃」が決行された。軍隊としての機能などないはずの捕虜収容所に、あたかも戦場のような指揮系統が復活したようである。日本兵1100人が脱走、231人が死亡という結果に終わった。
◇筆者は戦後生まれで戦争は体験していないが、現地に赴き、当事者から丁寧に聞き取りを行い、事実を明らかににしていった。初期の段階で捕虜となりその後収容所の日本人のリーダー格となっていた元零戦パイロツトの捕虜となるまでのいきさつや収容所での行動、偽名をつかっていたが本名をつきとめ実家での聞き取りと克明に調査している。見事な執念である。
◇カウラという名も捕虜収容所も脱走事件も知らなかったが、興味をひかれる史実であった。

もうひとつカウラ事件を題材にしたテレビドラマのDVD
【あの日、ぼくらの命はトイレットペーパーより軽かった~カウラ捕虜収容所からの大脱走】2008年NTV 小泉孝太郎 大泉洋 阿部サダヲ 加藤あい 淡島千景 山崎努 他
  脚本 中園ミホ
◇脚本の中園ミホさんは、大河ドラマ「西郷どん」や朝ドラ「花子とアン」その他多数のドラマを手掛けている当代一流の脚本家。たまたまおじさんがカウラ収容所で捕虜であったことからオーストラリアの現地に行き、カウラ事件を知ってドラマ化したとのこと(DVDにはドラマ誕生の裏話が添付されている)
◇上記のノンフィクションをベースにドラマ化されている。小泉孝太郎、大泉洋と「さわやか系」の2人が主役だが、今では売れっ子となった何人かの俳優の10年以上前の若かりし姿を見ることが出来て楽しい
◇WEBからコピペ。以下の通り
カウラはシドニーの西320キロにある小さな町。1944年8月5日、この町にあった捕虜収容所で日本人捕虜たちが暴動を起こした。オーストラリアではだれでも知っている有名な事件だが日本の教科書には登場しない。
『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』・・・この戦陣訓にしばられ、当時の日本政府はこの事件を隠蔽し、当事者のほとんどが口をつぐんだからである。

事件の夜、暴動に賛成か反対か、日本人捕虜全員による投票が行われました。
トイレットペーパーのミシン目で切った紙切れに、
〇は賛成=「死」
✕は反対=「生」
8割が「死」を意味する〇をつけ、暴動は決行されました。
武器らしい武器もないまま、食事用に支給されたナイフやフォークを手に、自殺志願としか言いようのない大暴動でした。
私は伯父から、この事件の話を聞きました。
伯父はニューブリテン島で餓死寸前のところを捕らえられ、暴動までの4ヶ月間をカウラ第12捕虜収容所で過ごしました。
しかし、長い間、伯父は自分が捕虜だったことを家族にさえ打ち明けられなかったそうです。
暴動の夜、伯父はかけがえのない戦友を何人も亡くしました。
彼らはカウラの日本人墓地に今も「偽名」のまま眠っています。
書かなければいけない、と私は思いました。
平和の時代を生きる若い人たちに、どうしても伝えたい。
64年前、なぜ伯父たちは生き延びるためではなく、
「死ぬための脱走」をしなければならなかったのか─
彼らの友情、青春、恋愛、そして、生命の重さを─
中園ミホ

◇寒い日、小雪も降るし・・で、外に出にくかったので家にこもり一気に文庫本を読み切り。なかなか読みごたえありでした。鳥見に榴ヶ岡公園に立ち寄った時にでも「ユーカリの木」をおがんで戦時中オーストラリアであった事件に思いをはせてはいかがでしょうか。  


Posted by OOAKAGERA at 10:17

2022年08月05日

8月5日(金)の鳥見 今週の振り返り

<今週の振り返り>
【総括】
・オオジシギ、ほぼ確実に観察できる

【今週の「みーつけた」いちらん】  
 

【今週の記録写真】
◇ササゴイ / すっかりおなじみのポーズ
◇アオサギ / ずいぶん小さくなってしまって・・・寝ているみたい
◇オオジシギ(2枚) / 米を作っている田んぼが輪作で移動しているが、きちんとそれに合わせて「コメ」の田んぼのきれいに刈りこんだアゼ(畦畔)を好んでいる。大豆畑には見かけない。採食もしている。
    

◇キアシシギ / あちこちで見かける
◇ミサゴ / 巣立った幼鳥が巣の近くをウロウロ。以前の例では巣に戻ることもある。
◇ホシガラス / お山にて。たまたま近くにきてくれた。
    

【今週の植物写真】
 今週は鳥が少ないので、お山で見かけた花を羅列。技術主任の後ろをついて行って足が止まったところでパチリ。だいぶ抜けがあると指摘あり。とりあえず何とかみられる写真だけ。

◇キンコウカ(2枚) / 盛りは過ぎているが、お山の湿地で今一番派手に咲いていた花
◇オニシモツケ
◇アカバナトウウチソウ
    

◇カンチコウゾリナ   ◇ヤマハハコ   ◇シラネニンジン   ◇チングルマ
    

◇コバイケイソウ   ◇イワショウブ   ◇ワタスゲ   ◇サワラン
    

◇アカミノイヌツゲ   ◇エゾオヤマリンドウ   ◇メイゲツソウ   ◇ヤマブドウ
     

◇ヒカゲノカズラ   ◇エゾスズラン   ◇オニノヤガラ
   

【稲の生育状況】
◇穂が出始めた
   


Posted by OOAKAGERA at 21:39

2022年08月03日

8月3日(水)の日記 プロ野球ヤクルト村上5打席連続ホームラン 新記録おめでしう

2022.08.03(水) プロ野球ヤクルト村上5打席連続ホームランおめでとう
◇プロ野球セントラルリーグ、昨晩のヤクルト-中日戦でヤクルトの村上選手が前日から継続で5打席連続ホームランの日本プロ野球史上新記録を打ち立てた。おめでとうございます。
◇毎晩11時からCS放送のフジでプロ野球ニユースを放送している。私はこれを録画して翌朝に選別してみている。日本ハムが勝った日はぼ必ず、時間があって興味があった時は楽天の試合もプラス、さらにパ・リーグの試合、といったところである。セ・リーグの試合はほとんど見ない。よって選手の名前もわからない。昨年のオリンピック、先日のオールスター戦で印象の強かった選手を少し覚えたくらい。しかし、ホームランをガンガン打ちまくっているヤクルトの村上の名前はさすがに知っていた。
◇昨晩すでに村上の5連続本塁打、日本新記録のニュースは知っていたので、今朝のプロ野球ニュースはいつもと違ってセ・リーグのヤクルト・中日戦も見た。
◇ホームランを打った時の村上の打撃フォームはまったく無理がない。軽く打ってホームランという感じである。これならいくらでも打ちそう。
◇同年代でなかなか実りのない日ハムの清宮もあやかって欲しい。今シーズン体重を落としたが本当に必要だったのか。村上は体重をうまく使って打球を飛ばしているようにみえるが。
◇村上の、試合後のインタビューははなはだ好感のもてる内容だった。魅力ある人間性もあってこれからますます人気が出て日本のプロ野球の歴史に残る名選手になるでしょう。


 ところで、8月9日は「野球の日」らしい。以前のメモが残っていたのでついでにアップします。
【内容は古いのものです】
◇なんでも、ヤキューの語呂合わせと、プロ野球、夏の甲子園など、野球が盛んになる時節柄という理由から、某スポーツメーカーが8月9日は「野球の日」と制定したのだとか。
◇NPBは野球の日に合わせて粋な計らいをしてきた。現役の選手、監督が選ぶ「最高の試合」、「名場面・名勝負」の発表である
(もう10年以上前の話です)。
◇NPBの公式サイト上に特設されたこの試みは、セ・パ858名の現役選手・監督・コーチを対象に、プロ野球76年の歴史の中で最も心に残っている「最高の試合」、「名場面・名勝負」をアンケートで答えて貰い、それぞれのランキングを出すというもの
◇自分にとっての「最高の試合」を思い出してみましょうとでも言いたげなこの試みは実に面白かった。“最高の試合”のみに絞りそのベスト5を改めて振り返ってみる。日本ハムがらみが2つも入っている。さすがに大きな出来事ばかりで私でも5件すべて覚えている。

<最高の試合、名場面・名勝負>
【 1位 】 '94年 中日vs.巨人 「10・8決戦」 
日本プロ野球史上初めて「リーグ戦最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決」という優勝決定戦であり、巨人が勝利しリーグ優勝を果たした
【 2位 】 '01年 近鉄vs.オリックス 「北川・代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」 
北川は阪神から移籍してきて近鉄で開花、その後再編後のオリックスでも活躍
【 3位 】 '06年 日本ハムvs.ソフトバンク CS 「サヨナラで斉藤和巳がマウンドに崩れ落ちる」 
2006年10月12日日本ハムとのプレーオフ第2ステージ第2戦、札幌ドーム。奮闘むなしく敗れてしまった先発投手斉藤和巳が、マウンドに崩れ落ち感動的なシーン。
【 4位 】 '09年 日本ハムvs.楽天 CS 「スレッジ逆転サヨナラ満塁ホームラン」
日ハムスレッジがクライマックスシリーズ史上初となる起死回生の逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、劇的なサヨナラ勝利を飾った。楽天は救援陣の乱調が響いた。ちなみにこの時の日ハム監督は上記【1位】の時の近鉄と同じ梨田。
【 5位 】 '85年 阪神vs.巨人 「バックスクリーン三連発」 
 1985年(昭和60年)4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガース(以下阪神)対読売ジャイアンツ(以下巨人)の試合において、阪神の当時のクリーンアップ(ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布)が7回裏の攻撃時に、巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を打ったという出来事を指す。

その後雑誌や放送で「平成の名シーン」という企画もあったようだが、上記の中にはその時も選ばれているものもある。
  


Posted by OOAKAGERA at 11:25