2020年03月27日

3月27日(金)の鳥見 今週の振り返り

【総括】
・鳥たちは恋の季節、仲良かったり争ったりしている

【今週の「みーつけた」一覧】
  

【今週の鳥の記録写真】
◇ヨシガモ / なぜか先週と同じ場所の「陸上」にたむろ
◇カモメ / 写真の枚数調整でアップ(カモメさん、こんな時だけ取り上げてごめん)
◇ケアシノスリ(2枚) / サービスよく飛び回ってくれた
     

◇オオアカゲラ(2枚) / 大きなドラミング音が聞こえてきた、オオアカゲラのオス。やがてメスが来て2羽でいい雰囲気。と思ったら別のオスが来てオス同士で激しいバトル。見せてくれました。
◇ヒレンジャク(2枚) / キズタの実にとりついたり、まわりの木で休憩したり、水飲みにいったり、いなくなったり
     

◇ゴジュウカラ(2枚) / 地上にいるのはめずらしい、しかも2羽
◇ミソサザイ / さかんにサエズリもしていた
◇キセキレイ / オスメス両方いた
     

◇ツルシギ(写真なし) / 県北の沼、アシの中に20+  スコープと写真で同定。ただし写真はあまりにボケボケなので掲載せず
◇キバシリ(写真なし) / 市内のスキー場前の林。県内では県北の湿原以外でみたのは私は初めて

【今週の景観写真】
◇仙台では本日(3月27日)現在桜の開花宣言は出されていない。気象台わきのソメイヨシノの標本木による判定らしい。早咲きの河津桜はもう満開を過ぎている
    


Posted by OOAKAGERA at 21:00

2020年03月22日

3月22日(日)の日記 通行止めウマ=単管バリケード 総まとめ

8月25日欄に移動しました  


Posted by OOAKAGERA at 21:21

2020年03月20日

3月20日(金)の鳥見 今週の振り返り

【総括】
・今年もオオマシコにはあえないのか・・・

【今週の「みーつけた」一覧】
  

【今週の鳥の記録写真】
◇ヨシガモ / 陸に上がっていた
◇ハシビロガモ / 小規模だがグルグル採食
◇コサギ / 冠羽が目立ってきた
◇イソシギ / 県南、排水路の河口近くに1羽
     

◇タシギ(2枚) / 県南排水路岸の葦の中でゴソゴソ、やがて飛び出し、タシギと確認
◇ビンズイ / セブンビーチの公園にて
◇ホオジロ / 同上
     

【今週の景観写真】
◇森は土砂崩れ箇所を補修中。簡易にうまくなおしている。
◇梅が満開。紅梅と臥龍梅
◇五輪/ 松島基地での聖火受け取り式、ブルーインパルスの描いた五色の輪はおりからの強風ですぐに吹き飛ばされた。せめてこちらの花壇の花ででどうぞ
     

【これなに】
◇県南の大河の河口の海岸からすぐのところに黒いイルカらしいのが2頭。波にもまれて時々背中を出す。背びれはなし、体のしっぽ側背中に連続的なでっぱりあり、逆光だが黒っぽく見えた。長さは1.5mくらい。さてこれはなんだろう。スナメリか・・・。誰か教えてェ
   
  


Posted by OOAKAGERA at 21:09

2020年03月18日

3月18日(金)の日記 ブルーインパルス 曲芸飛行 その③

◇新型コロナウィルス感染は世界的に、特にヨーロッパで拡大し収まる様子はない。ギリシャで採火されたオリンピックの聖火はその後ギリシャ国内でのリレーがとりやめとなった。それでも予定通り20日には日本の航空自衛隊松島基地に来る予定。
◇松島基地の受け入れセレモニーも縮小されるようだが、ブルーインパルスによる歓迎のアクロバット飛行は予定通り実施される見込み。本番は明後日、本日はカラースモークを使う最後の訓練とのことで、鳥見とあわせて観に行った。
◇本日は前回と場所を変えて、基地のある東松島市ではなく少し離れた、松島湾に突き出た位置にある七ヶ浜町へ出かけた。
◇訓練開始時刻は松島基地のHPで公開されている。本日は変更されて午前10時30分からとなっている。時刻にあわせて七ヶ浜町の多聞山に向かう。ここは七ヶ浜町の北端、松島湾に突き出ており松島の島々とその間を行き来する大小の船、打ち寄せる波と雄大な景色を堪能出来、松島四大観「偉観」と名付けられて親しまれている。公園として整備されており駐車場もある。その駐車場から10分ほど下ったところにある毘沙門堂前からの景観が「偉観」のポイントとのこと。視線が低いので松島の島々とその背景の空に描かれる五輪がきれいに収まって見える・・・はずで、期待した。
◇待つことしばし。ジェット機の音はするが姿が見えない。すると突然頭の上に6機の編隊が現れてゆっくり旋回。やがて雲の中に消える。その後も神出鬼没どこに現れるかどこに見えているかなかなかわからない。なれないとジェット機の編隊をみつけるのに苦労する。基本的に五輪は空港の真上に描かれるのでそこに向かって七ヶ浜上空で隊列を整えてから進入していくようだ。
◇目的の五つの輪は少なくとも3回は描いてくれた。カラースモークも噴射した。しかし本日は風が強く輪を描いているうちにスモークはどんどん乱れてしまい一周描き終わった時にきれいな輪になっていなかった。それにここはたしかに「松島の上空に五輪」の構図になり画面内に五輪が収まるが、いかんせん遠すぎる。スモークの形も色もいまいち明確に確認できなかった。残念。
◇それでも12機の大編隊の飛行を見れたし、5機のいろいろな形の整列も見れて満足だった。
◇20日の本番日、当方はお彼岸の行事を優先。五輪を描くアクロバット飛行を楽しむのは本日で終了。20日は天気も良くなさそう。

       


Posted by OOAKAGERA at 20:12

2020年03月15日

3月13日(金)の日記 ブルーインパルス 曲芸飛行 

◇東京オリンピックの聖火がギリシャで採火された。日本へは20日に松島基地に到着予定。基地所属のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」は当日基地上空に歓迎の五輪を描く予定でさかんに訓練中。今日は初めてスモークに五色の色がついた。準備はおこたりないが世界的に猛威を振るっている新型コロナウィルスの感染拡大ではたして計画通りやれるのか。オリンピックそして聖火リレーも。心配
◇写真は大空の五輪(高さ1200m、輪の直径1500mとのこと)。基地近くの公園の高台で狙ったが、輪が近過ぎて私の24㎜レンズでは入りきれない。(フルサイズでも19mmが必要とカメラマンのおじさんが言っていた)
◇スモークに色がつくとさすがにきれい。滑走路上を5機が並んで水平飛行してカラースモークを出していたが見事、美しかった。
◇本日は、6機(うち1機は指導機と思われる)×2チームが訓練していた。成績のよい方が本番に出られるのかな。


     


◇航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」という名は昭和39年の前回の東京オリンピック開会式で「世界中の秋晴れを集めたような」青空いっぱいに五色の輪を描いてすっかり有名になった。当時は浜松基地所属だった。

<ここからは脱線>
◇その後スポーツ用品メーカーであるM社がスキー用品に「ブルーインパルス」という名をつけていた。スキー板もあったがなかなか好評であったように思う。ちなみにそのあと出たレッドインパルスというスキー板はいまいちだった。

◇不詳わたくし、その昔アクロバット飛行に同乗した経験がある。場所はアメリカユタ州の田舎の飛行場の上空。この飛行場は大戦末期、日本への原爆投下機エノラゲイがテニアンに移動する前に訓練を行った基地とのことでミニミニ博物館があった。当時(それなりに有名な)クイズ番組に出場していた私は、アメリカを横断しながら行われていたクイズの途中で敗者となりここから日本に帰国することになった(と聞かされていた)。近隣の大きな飛行場まで行くという超小型の複葉機に乗せられた。2人乗りで後ろにパイロットの年配のおじさんが乗っていた。シートベルトがやたら頑丈、胴体だけでなく膝もガツシリ締め込まれた。襟元には小型の録音機がついている。スタート直前に番組スタッフがそのスイッチボタンを入れて、このあたりで(空気を読むのが不得意な)私にも「変だな」と感じ、これは罰ゲームのアクロバっト飛行だなと気づいた。クイズの敗者は女性と予想して録音機をしかけていたのでは・・・。ただし、私には動揺はなし、むしろこれは楽しめるぞとおもったものである。
◇さてこの複葉機、すこぶる安定感がある。乗っていてとても軽く「オッコチソウモナイ」のがよくわかる。はじめはのんびり旋回などしていたが、左右に揺動、背面、そして宙返りもやった。この時はかなり体が押される感じがあった(いわゆるGの何倍かが体にかかったと思う)。突然パイロットのおじさんが合図して私の席の脇のレバーを引けという。引くとこれがスモーク噴射、なかなか気分がよかった。地上で手を振るスタッフの顔もよく見えた。さすがにキリモミや失速状態まではやらなかったが、放送では別に撮ったそれらの画像が合わせて流されていた。
私にとっては、今後まず経験出来ない非常に貴重な楽しい思い出となった。

◇もう一つ、小型飛行機の曲芸飛行大会を見たことがある。時は20世紀末、場所は。最近はコウノトリで有名な兵庫県の豊岡市、兵庫県但馬飛行場。ここで開催された第1回のフェスティバル、小型飛行機の曲芸飛行世界大会である。新聞にでかでかと載っていた記事をたよりになにも予備知識なしに出かけたがこれが大変おもしろかった。飛行場は短い滑走路が1本のローカル空港。すぐ目の前で行われる各国の小型飛行機の曲芸飛行を堪能できた。決められたルールがあるのかよくわからないが、離陸後エンジンをふかしてまず垂直に駆け上がりそれからいろいろな曲芸に挑んで点数を争うものであった。ロシアのスホーイという名の飛行機が複数出場していて成績がよかった覚えがある。
◇この手の小型飛行機の曲芸飛行の小規模なローカル大会はぽつりぽつり開かれているようなので機会をとらえて是非見に行きたいと思っている。
  


Posted by OOAKAGERA at 12:21

2020年03月13日

3月13日(金)の鳥見 今週の振り返り

【総括】
・コチドリが来た、ツバメが来た。ウグイスが鳴いている。少し春が早いみたい

【今週の「みーつけた」一覧】
  

【今週の鳥の記録写真】
◇コチドリ / 色付き沼に2羽。例年より早い
◇ウミスズメ(2枚) / 潟湖脇の漁港内湾にて。なかなか近くで見れないウミスズメが1羽、盛んに採食。水面上に浮かんでいるのは約2秒。撮影は手ごわかった。
◇チョウゲンボウ / あまりにピターッと停止してホバリングするので敬意を表してパチリ
     

◇カワガラス / 山間部の川岸。さかんに採食中(自分の食事)
◇ルリビタキ(2枚) / 森。奥の方、沢沿いのポイント付近。風切りの先がまだ青くない。しかしきれい
◇ハクセキレイ /写真の枚数合わせで 掲載。←この表現は問題あり、ごめんハクセキレイどの
     

◇ベニマシコ(2枚) / 今週のベニマシコ。先週と同じ個体(多分)
◇ミヤマホオジロ(2枚) / オス。美形・・でなくてイケメンか・・・
     

【今週の景観写真】
◇梅は満開。桜の開花ももうすぐ
    

◇馬頭観音の石塔。彫り込んだ文字がきれいに見える。「文化」とはずいぶん古い。由緒ある土地か
    


Posted by OOAKAGERA at 20:41

2020年03月11日

3月11日(水)の日記 東日本大震災きょう9年目

 東日本大震災は本日発生から9年目を迎える。巨大地震、津波、東電福島#1原発事故による犠牲者行方不明者は2万2千人を超える。ことしは新型コロナウィルスによる感染拡大の影響で追悼式典などはのきなみ中止となっている。

 あらためてあの日の自分の行動を振り返ってみたい。

 
 2011年3月11日の日記 本震発生前後     2011.03.19の記事を復刻 
本震発生前後の様子を思いおこして記す。

◇東松島市の海水浴場として知られる野蒜(のびる)に明治時代に国をあげて取り掛かった一大土木プロジェクトがあった。殖産興業を推し進める明治新政府は東北開発の物流拠点をここ野蒜に定め建設にとりかかった。鳴瀬川河口に内港を建設し北は石巻から南は阿武隈川までを運河で結び、外港として宮戸島から防波堤を築いて外港とする壮大な計画であった。明治15年には内港が完成し、供用が開始された。しかし明治17年9月に台風により港は壊滅的打撃をうけた。そして外港建設には未着手のまま建設は中止となった。現在運河の跡や市街地跡に当時の面影が残っている、というものである。
◇しかし、観光地としてはB級であり知っている人は地元でも少ない。
◇わたしもその存在を知ったのは、内田康夫の推理小説(浅見光彦シリーズ)「不等辺三角形」を読んでである。1年ほど前に単行本が出ているわりと新しい作品である。この中に亘理町の斉理屋敷とともに東松島市の野蒜築港跡が出てくる。ここで初めて野蒜築港の話を知ったわけである。
◇3月11日、野蒜に出かけた。昼食の時刻となり、適当な食堂はないか探し駐車が多い「はやっている」店を見つけて食事をした。牡蠣はシーズンが昨日で終わり、ということで焼き魚定食を食べた。おいしかった。その後店の人に「野蒜築港跡」への道を尋ねたら店主とおぼしき年配のおじさんがわざわざ店の外まで出てくれて親切に教えてくれた。
◇まず、鳴瀬川右岸河口近くのちょっとした高台にある「野蒜築港資料室」に立ち寄る。
◇学芸員と思われる女性の方が1名で番をしていた。明治時代の築港建設についてはさすがに詳しい方で建設のいきさつをいろいろ教えてくれた。内田康夫氏も取材で訪れたとのこと。小説のモデルとなったアナゴ釣りの名人でもある仙台箪笥の職人さんも実在するらしい。
◇これから面影の残る現場へ行きたいといったら川を渡った左岸に行く必要があるという。あまり時間はかからなそうなので立ち寄ってみることにする。資料室で案内図をもらってこれをたよりにいざ左岸へ(以下の添付にこの案内図のコピーを使用させていただきました)
◇仙石線陸前小野駅のわきからせまい道を河口に向かうと遺跡(?)が現れた。先端の記念碑の前から河口まわりの鳥見もした。ここを出たのが14:25頃。
◇少し川をみながら上流に進む。ほどなく雪が降ってきた。それも結構強い降り。今日はこれで引き上げることにした。帰り道は、Aいつもの海沿いの松島経由、B三陸自動車道に乗る、C山沿いの利府街道と3コースあるが左岸から行きやすいのでCコースで行くことにした。
◇国道45号に出て鳴瀬大橋を渡り右折、少し山手に入る。松島町に入る頃、ラジオがいきなり「緊急地震速報」、切羽詰まった声、よく聞くとここに地震が来る・・・車を減速したらゆらゆらときた。すぐに停車し身構える。揺れがどんどん激しくなる。強烈な左右斜め方向のゆれ。車が飛ばされそう。ガソリンスタンドの前だったが構造物が車の上に倒れてきそうでこわかった。
◇気を取り直して落ち着こうとしていると低くなったが継続している波が急に強くなったりする。そのうち「大津波警報」が出た。この場所なら津波は来ないと判断。道の通行はスムーズだったのでどんどん進む・
◇愛宕の交差点から右折し利府街道に入る。利府まではスムーズだったが仙台に近くなり利府から岩切までは渋滞で動かない状態。いらいらしながら少しずつ進み岩切からはまたスムーズに通れるようになり18時頃にやっと帰宅した。
◇振り返ってみると、たまたま山の手コースで帰路についていたのでなんとかなったように思う。海沿いのコースでも高速道でも津波の危険があった。運がよかったとしか言いようがない。
◇野蒜も津波の被害は甚大で鳴瀬川の河口は瓦礫と泥の海である。大波は野蒜や小野の集落を飲み込んで仙石線の電車を巻き込み、国道45号の先まで達している。このあたりは、亡くなった人も多いと聞く。さっきまで話をしていた食堂のおじさん、資料室の女の方、左岸の先の漁港で網をつくろっていた漁師さん達、仙台箪笥の職人さん、みんなみんなご無事であって欲しい
。※

以下の写真は本文とは関係ありません
  

  


Posted by OOAKAGERA at 09:35

2020年03月10日

3月10日(火)の日記 9年前の我が家の生活 東日本大震災直後

東日本大震災直後の生活 あんなこと・こんなこと

生活にかかわること、スナップ
◇ダイエーに行列
◇イオンに行列
◇ガソリン給油所の車の列
◇中学校の給水の状況
     

◇中学校校庭の給水用手押しポンプ
◇壁新聞
◇新田ケーヨーの張り紙
◇我が家の地震対策、ツッパリ某
     


地震の後の被害状況を我が家の生活にかかわること振り返ってみた(あまりに長文、備忘録です)

3月16日(水)の日記 水道が復旧
水道が復旧した。これで電気と水道が活きた。
◇ガスは、仙台市ガス局の供給ターミナルである仙台港の設備が壊滅的損壊で、復旧はまだまだとのこと。新聞には新潟からのパイプラインの 健全性を見た上で・・と出ていたがどうなるか。地震翌日にはガス局の人が来て点検後、外の元栓を閉止していった。
◇電気の復旧は早かった。14日早朝に復旧。街の中心部から夜の照明が活きてきているのがわかった。 電気の復旧で、固定電話とネットも一応使用可能となる。
◇ケータイは地震発生直後にメールは送信できたがその後しばらくは使用不能状態、14日から少しよくなった。本日晩は大分スムーズになった。
◇地震翌日にはホームセンター、スーパーに必需品を購入しようとする人の列、すぐになくなっていた。

3月16日(水) 水道 その②
◇地震により、水道はストップ。ただし、わが家は集合住宅で高架水槽方式のようで当日夕方ややきたなくなりつつあったがまだ水が出た。これを浴槽にためた。これは大正解であった。手洗い・トイレに使えた。かつて阪神淡路大震災の時、神戸で被災した人が姫路のわが家の隣に避難してきたときトイレの水が流れると言って涙を流していたのが思い出された。
◇我が家の近くの給水所は東仙台中学校である。12日の朝方様子を見に行った時の状況。どうも校庭の地下に飲料水のプールがあるようで手押しのポンプ(井戸)でくみ上げる方式。まだあまり人は並んでいない。
◇12日午後に再度様子を見に行くとものすごい行列。しかも水を入れる容器を準備しなければならないが水用のポリタンクは手元にない。当面はしのげるので、この日はあきらめ。ホームセンターにポリ容器を探しにゆくととっくに売り切れ。困った。
◇13日、水の容器として思いついたのがプラスチックの衣装ケースの箱や大きい布袋の内側に厚めのポリ袋を入れて水を受けたら何とか運搬できそう。これを準備して東仙台中へ車で行く。そしたら昨日以上にとんでもない長い行列。これは待ち時間がもったいないと判断。
◇携帯電話は発信がまったくきかない。仙台に住む親戚の安否が気になるので直接訪ねる(親戚は無事)。するとなんとここの地域の水道は活きていた。(電気も活きている)。近くの避難場所指定公園の水道が出るという。助かった。ここで水をもらう。
◇食器はラップやアルミホイールでつつんで使用し、洗浄は省略するのがよいとの話をラジオできいたので実行。これは効果大。
◇15日、我が家のブロックの両隣のブロックの水道が活きた。我が家の復旧も近いか。
◇16日、東仙台中を覗く。給水車からの給水になっていた。水道が活きた
 エリアがあるせいか列は短い。給水車は他県からの応援。
午後水が出だした。うれしい。

3月17日(木)の日記 ガソリン
地震発生日になんとか家にたどり着いた時、車のガソリン残量はほぼ最低目盛
◇13日に、新聞情報をたよりに街中の緊急対応スタンドに自転車で状況を見にゆくとすごい行列。交差点をいくつか超えている。交差点に店員を配置して案内している。地震後にローリーは入ったらしいが行列の途中で在庫切れのおそれありとのこと。1人 4000円まで制限とのこと。とても間に合いそうもないので明日早朝、新たなローリー到着を期待して並ぶことにする。
◇14日早朝5時半、まず近所からアタック。列はそう長くない。ここに並ぶ。しかし一向に店の人が現れず本日の様子がわからない。しびれを切らし10時過ぎにあきらめ。15時頃自転車でまわったら店員が来たところ。少しは給油したみたい。状況の説明があれば頑張って並び続けたのに。もったいなし。
 近隣の他社2店舗チェック。その①は営業中、一人2000円まで在庫あるまで、すごい行列で今から並んでも無理判断、その②は立て看板があり明日10時から営業するとのこと。この情報は親切で貴重だった。明朝からここに並ぶことにする。
◇15日、早朝5時に行く。なんと長蛇の列。約1.5kmの長さ。仕方なし、ここに並ぶ。
 13時15分、約8時間待ちでやっと給油できた。2000円、13.3リットル。これで一息。車はもう緊急用にしか使えない。

3月18日(金)の日記 ダイエーで買い物
◇現在の我が家のライフライン
・電気;きている
・水道;きている
・ガス;復旧の見通しきかず
◇買い物
・コンビニは閉店が多い。たまに行列がみられるがすぐに食べられるものは売り切れ?乾電池、衛生用品なども入手困難。
・小さな店(ダンゴ屋、餅屋など)に行列があったりするのはおにぎりの販売だったりする。
・ガソリンスタンドは、ほとんど閉店または緊急車両のみというところがほとんど。それでも本日4000円分給油できたところもある。
・近所の小さなスーパーは生鮮品が入荷次第売ってくれる(値段は上がっている)。そのたび行列。
・年寄だけでなく食料をあまりストックしていない生活の人には実に厳しい環境である。若い人でもじっと並んでわずかな食料を手に入れている。大変だ。
◇本日はまずじいちゃんの補聴器用の特殊な乾電池を求めて仙台駅近くの店へ。ちょうど久しぶりに開店したところで無事電池を入手できた。
◇我が家から仙台駅までは約5kmあるがこういう状況でガソリンを節約しなければならないので自転車でゆく。今朝は雪が積もり日陰の路面は凍りついたまま。気をつけて行く。
◇その後せっかく街の中にでたので、食料品を入手しようと近くのダイエーに行く。とんでもない長さの行列。覚悟を決めて並ぶ(10:30)
◇要所要所には警備員が配置されていて実に整然と並んでいる。少しずつ進む。
◇14時過ぎに入店
◇1階で米と水、地下1階でカセットコンロボンベ、乾電池など、地下2階で食料品を買えた。人気のあるものは当然販売数の制限あり。
◇寿司や食パン・牛乳なども購入できた。扱う品数が多いせいかまだ残っているものの中にもレトルトや冷凍品など「いいもの」があった。新規に入荷もしているものがある。
◇我が家で古いパン焼機をみつけたので、なくなった食パンを焼こうとしたが、ドライイーストなるものと強力粉が必要。ダイエーの売り場をさがしたが小麦粉は全部売り切れ、イーストなんてもともとないみたい。あきらめ。
◇買い物をしすぎて大きな袋が3つ。自転車で運ぶのにてこずった。
◇帰りがけ風呂屋に行列が出来ていた。

3月18日(金)の日記 地震関連覚書
本日まで今回の地震がらみのいろいろなこと覚え書
◇電気がくるまで、いや来た後にも携帯ラジオには御世話になっている。胸のポケットに入る小型のものだが貴重な情報源である。余震が多く緊急地震速報も頻発するので常にラジオかテレビをつけておく必要がある。ラジオはよかった。ただし地元の東北放送は早い時点から聞こえなくなったのは残念。
◇地元の新聞河北新報は震災翌日も新聞を発行した。震災にあっていないよその県の新聞社と提携していたらしい。阪神淡路大震災の時の神戸新聞も京都の新聞と提携して頑張っていた。素晴らしい。
◇鳥見でよく行った仙北・仙南と海岸部の被害状況がテレビに映るうつるたび、何でこんなにと思ってしまう。もし現場に居合わせたらはたして無事逃げられたのか・・・。山元・亘理・岩沼・名取・荒浜・蒲生・仙台港・東松島・宮戸島・石巻・牡鹿半島・・・・いいところだったのに・・・。鳥見の際、現地で知り合った方々は無事だったのだろうか。無事であってと祈るばかり。
◇本棚・冷蔵庫などにとりつけていた天井との間の「突っ張り棒」は非常に有効であった。
◇非常時はまわりの人に声をかけよう。心強い・気持ちが落ち着く。
◇携帯電話は地震直後はメールが通じた。これがよかった。その後は2日ほどほとんど電話もメールも通じなかった。その後は携帯電話は情報伝達手段として有効だった。電気がくるまでは充電できずに困った。車から充電できる充電器や予備の電池を用意していた方がよい。
◇ガスの復旧が遅れる。こんな時に備えて卓上のLPGのコンロはあったほうが良い。
◇電気がいきているので、電子レンジ、炊飯器、電気ポット・コーヒーメーカーを調理や湯わかしに利用している。
◇水道が活きるまでは、食器を汚さないために食器をラップでくるんで使った。
◇自転車が活躍。古い自転車だが自動車の代わりをしてくれている。
◇地震後のハガキが千葉県から来た。定形郵便物のみOKなのかも。

3月19日(土)の日記 その① 食パンが焼けた
電気を熱源とする自動のパン焼き器が出てきたとふれまわったおかげで親戚①から材料の強力粉、親戚➁からドライイーストが供給された、さらにパン作りの得意な親戚③からメールでレシピを教えてもらいおそるおそるチャレンジ。
 材料を入れて、スイッチを入れてただそれだけ。4時間の間、時々あやしげな音を発しているのを待ち続けて・・・出来上がり。
 上出来でした。姿も味も合格!親戚のみなさんありがとう。
 これで当面、パンが売り切れても心配なし。

3月20日(日)の日記 カセットボンベあり
自宅から少し遠いがケイヨーD2新田東店で買い物をした。ここはいわゆるホームセンター。
◇店頭販売。店頭のいつもは植物などを売るエリアに買い物カートを並べている。
◇9:40に列に並び10:30には入店できた
◇世帯ごとの販売制限あり、売り切れもあり。  
◇一部の品は店内で販売。地震がくるとすぐに店外に出される。
◇LPGのカセットコンロとボンベ在庫あり カレンダーは3連休だがだれものんびり休暇の気分ではないでしょう。

3月21日(月)祝の日記① 宅配便が届いた!
◇佐川急便で宅配便が送れるようになったとのことで一昨日関東から緊急資材食材を送ってもらったが、無事今朝受け取れた。
◇ただし発送№をよく聞いた上で到着を電話確認の上営業所まで取りにゆくことが必要。
◇営業所は荷物を受け取る人たちであふれていた。
◇荷物を送ってくれた親戚Cどの、佐川急便どのに感謝感謝である・
◇一息つける。
◇クロネコヤマトも復活したようだ。

3月21日(月)祝の日記③ 髪を洗うには
◇ガスがきていないので、入浴・シャワーが出来ない。復旧はまだまだで1ケ月以上はかかるらしい。
◇長蛇の列に並んで銭湯に入るかお湯をわかして顔や場合によっては体を拭くしかないが髪だけは洗いたい。
◇ガソリンがなくてとても鳴子温泉までは行けない。
◇男性は家のお湯でなんとかなるとして、女性は・・・・街の理容室で1000円くらいで洗ってくれるところがあるのでこれを探して洗髪しては・・・?

3月22日(火)の日記② ついに風呂に入れた
生活環境、本日の日記
◇病院に薬を取りに行く。連休明けであり、薬が少ししか配布されていないせいもあり病院外来はすごい人。薬局でも待ち時間大。薬をもらうのも大仕事。
◇ついに風呂に入れた。それも温泉(沸かし湯の鉱泉らしいが)。地元情報に詳しい親戚Aさんの紹介で穴場のひなびた山の温泉に。昨日までは休みのせいでかなり込み合っていたらしいが本日はお客は少なめ。待ち時間小1時間でゆっくり入れた。仙台の中、近場にこんなところがあるとは・・。ポカポカと風呂から出ても温かい。地震以来11日目の風呂、生き返った・親戚Aさんに感謝。
◇電話、メールとも環境がほぼ戻ったようでスムーズにやりとりできている。遠方からの激励電話やメールがたくさんきた。嬉しい限り。皆さんお気遣い有難うございます。エールに感謝です。
◇宅配便が復旧して、必要品があれば送るという連絡もあちこちからいただいた。ありがたい限り。でも何とかペースをつかんで生活できており今すぐ欲しいものといえばガソリンです。まさか送って貰うわけには行かないし。
◇本日の河北新報1面には、塩竈港に入港第1隻目のアポロマークのタンカーの勇姿。「がんばれ」と横断幕。こちらからは大声で「有難う」と言いたい。あと数日でガソリンも出回るでしょう(そうなって欲しい)
◇ガスがなくて調理にはて手ずっている。
 カレー調理の一幕
 ・野菜・肉はホットプレートでいためる
 ・電気ポットで沸かした熱湯も利用して・・
 ・耐熱ガラスに入れて電子レンジで加熱
 ・最後にLPGのカセットコンロで加熱仕上げ
 ・ひとつひとつが新しい操作なのでスムーズにゆかず時間がかかる
 ・LPGのカセツトコンロのボンベはあまり在庫がないので出来るだけ節約して使っている。
 早くこいこい、ガスガスガス
◇仙台市ガス局が朗報を発表。新潟からのパイプラインが使えるようになり、まず病院から、そして順次周辺部からガスを生かすとのこと。早い復帰を期待する。
◇消防車・救急車のサイレンの音が少なくなった。ヘリコプターの音も少なくなった。災害派遣の自衛隊や他県の救急車はまだ見かける。
◇北海道で10年間まったく症状がでなかった花粉症が本州に帰ってきてしっかり復活してしまった。今日は鼻水と目のかゆみでサイアク。

3月23日(水)の日記② クロネコ便も来た
◇佐川急便に続いてクロネコヤマトの宅急便も開通した。
◇昨日午前大阪で出した荷物が本日午後に仙台の営業所についた。
◇ネットで到着を確認したらすぐに電話でも到着の連絡があった。
◇自転車で卸町の営業所まで取りに行った。まだ数が少ないのか待ち時間なしで受け取れた。
◇はるか遠方からの救援物資に感謝。親戚Dさんありがとう。
◇東北自動車道の大型車が通行可能(緊急に限られるが)となったせいか関西から翌日に到着とは早い!

3月23日(水)の日記① いやされる
地震後の生活で「意外に癒やされたこと」
◇電気がこない生活の中でのラジオ。NHKの年を重ねたアナンサーの実に落ち着いた口調に張り詰めた思いはほんとに癒された。
◇助け合い。日ごろ顔をあわせる程度でさほど親しくない人ともお互いに無事を喜ぶ言葉を交わすだけでもずいぶん落ち着く
◇あかり。やはり夜は明るいとほっとする。
◇テレビのCMがAC(公共広告機構?)に切り替わった。阪神淡路のときを思い出す。最初は目新しい感じだがすぐにめいってきた。朝ドラ「てっぱん」が再開されてやっと明るい調子が出てきてよかった。
◇ラジオですこしずつ元気付けの意味で音楽を流すようになった。聴いたこともないチェロの調べに心が落ち着いた。テレビは「BS日本心の歌」でのなつかしい愛唱歌の調べに癒された、選曲は考えてくれているようだった。
◇こんなときだからと花壇に目を向けるとクロッカスが咲き出していた。チューリップももう少しで咲く。マリーゴールドの種まきをした。少しずつだが落ち着いた生活を取り戻しつつある。

3月23日(水)の日記③ 買い物事情改善
◇買い物事情が少し改善した。
◇近所の小規模・中規模スーパーとも30分も待たないで入れる。
◇牛乳等乳製品はダメ、食パンは手に入れにくいがその他かなりのものが出回っている。
◇ガソリンはまだまだのようで近所のスタンドはまだ閉まっている。

3月24日(木)の日記① 宅急便が配達された
◇千葉県北西部に住む友人から宅急便が届いた。昨日発送本日午前中に配達された。生鮮食料品がどっさり。ありがたい。
◇また取りにゆかなければと思っていたら、卸町の営業所に荷物があふれたか・・・届けてくれた。ありがとうクロネコさんありがとう。

3月24日(木)の日記② 本日午前ガソリンスタンド状況
◇本日午前のわが家に近い東仙台から北四番町方面のガソリンスタンド状況。宮町交番に近い出光が一般車にも給油していたが整理券の№が450までいってる。車の列は上杉から北六までまわり北六小あたりまで連なっていた。
◇あまり待たないで給油出来るようになるまでにはまだ日数がかかりそう。

3月24日(木)の日記③ 牛乳買えた
◇昨日は買えなかった牛乳を買えた。近所の中規模スーパーで10分待って牛乳1本ゲット。近隣の別のスーパーでも同様。少しずつ環境はよくなっている・・・か?

3月26日(土)の日記② 北海道から牛乳が
◇相変わらず牛乳ヨーグルトなどの乳製品が品不足。あちこちミニスーパー・コンビニをまわり行列に並んでなんとかゲット。これが北海道産。昨日仙台港のフェリー岸壁の使用が出来るようになり太平洋フェリーのおなじみ「きたかみ」が北海道から救援物資を大量に積んで入港というニュースがあった。北海道の皆さんにはごめいわくをおかけします。太平洋フェリー有難う。
◇自転車で近所を「地回り」しながら目的の食料を買えそうなところに並んでゲットしているが、これは
 ①時間があること、②体力があること、③テキトーに情報を得てテキトーに判断できること   ・・・が必要である。
ということは以下の人には非常に過酷な環境である。
 ①お年寄り、②幼児・幼児連れ、③昼間行動できない忙しい人、④町の情報にうとい人(井戸端会議の出来ない人)
自宅に住みライフラインが活きて一見平穏な生活の復活に見えても、生きていく上であまりに厳しい環境にある「避難民」はたくさんいる。

3月27日(日)の日記② 佐川もクロネコも配達してくれる
◇佐川急便もクロネコヤマトも宅配してくれるようになった。一昨日北海道で発送手続きしてくれたクロネコ宅急便荷物が本日午後にはわが家まで配達された。平常と変わらない速さでびっくり。
◇北海道の貴重な食料、パン焼きの材料、非常食、日用品まですごい量の救援物資。ありがとう。心遣いはうれしい限り。
◇佐川急便も、千葉から2日で配達までしてくれた。これまた生鮮食料をはじめさまざまの救援物資。もう感謝の気持ちばかりです。ありがとうございます。

3月27日(日)の日記③ 本日現在の生活環境
本日現在のわが家の生活環境
◇電気・水道は来ている。
◇ガスは、まだ来ていない。仙台市ガス局がエリアを区切って段階的に復旧にかかった。わが家のまわりはあと2-3日で復旧とみた。ガスがないので調理にてこずり、風呂も入れない状況。
◇買い物は相変わらず不便。お店への入荷品目・数量とも少ない。食料品は大きい店ほど品数は多い(といっても平常に比べてまったく少ないが)行列が長い。コンビニは開いてる店は半分以下、置いているものは限られている。ときどき「当たり」があるのでこまめに行列に並んで覗く必要あり。近所のミニスーパーは品物が入荷次第すぐに店頭に並べてくれる。ただしいつ来るかまったくわからない。行列の様子をしょっちゅう監視していないと望むものは買えない。
◇すぐ近くの薬局は薬の入荷が少ない。私の花粉症に効いた希望の薬が買えなかった。
◇ガソリン状況は一向によくならない。少しずつ入荷しているようだが、給油してくれるのはごく限られた店のみ。給油しているところは1km-2kmの長蛇の列。もう緊急用にしか車は使わない。
◇宅配便は復旧。自宅まで配達してくれる。
◇仙台市内の病院は外来をほぼ平常体制で受け入れてくれるようだ。
◇東北自動車道は一般車も通れるようになった。鉄道はまだまだ。
◇市内のバスは、本数が少ないようだが通っている。復旧当初は時刻通りに来ず、市内まで数キロを歩いて仕事場に通っている人もいた。
◇東電福島第1原子力発電所は深刻な状況が続いている。仙台までは約100km。これからどうなることやら心配ではある。昔ジェーンフォンダがテレビか新聞かの記者をした「チャイナシンドローム」という映画があったことを思い出す。。
◇わが家と同じ宮城野区の海の近くや隣の多賀城市には特に津波による被災を受けた方が大勢いる。まだまだわが家は恵まれている。

3月28日(月)の日記② 安否確認システムに登録してあった
◇今回の震災で、親戚が当方の無事をGoogleの安否確認システムに登録してくれていて、これ見て安心していたという連絡が遠方の人からあった。登録していてくれた親戚Eさんありがとう。

3月28日(月)の日記③ 宅急便山口県から2日で到着
◇本日も宅急便が届いた。遠方山口県から2日で配達された。クロネコさん頑張ってくれている。ありがたい。お茶を飲みながら久しぶり山口の名産和菓子等をゆっくり味わった。気分が晴れ晴れとしました。お心遣いに感謝感謝です

3月29日(火)の日記① ガソリン25リットルゲット
ガソリンが最低目盛のままで少し心もとないので本日は朝から覚悟の上車の行列に並んだ。
◇近所の、国道45号苦竹駅東側、ヤマダ電機前の給油所。苦竹SS。給油能力が大。ここのところ毎日営業している。ただし午後には在庫切れのようだ。
◇ここの行列は最初の信号から2手に分岐している。下流側ではさらに分岐している。自転車によるチェックで本流である45号~中原本通りに並んだほうが早いと判断していたので、このルートの最後尾につく。6:40、苦竹郵便局前。30分遅くても10台くらい並んだだけ。並び出すのはもう少し遅くてもよかった。
◇8:40に列が動き始めた。給油開始とみえる。
◇9:00には45号IN、9:15苦竹駅ガード下と動きは早い。
◇9:50i給油できた。レギュラー単価160円、25リットル(4000円分)ゲット。セルフ。
◇セルフ灯油も簡単にゲット。シナネン石油殿ありがとう。
◇待ち時間3時間40分、前回よりはまし。これも時間がたっぷりあるからできること・・・。
◇エンジンをとめて待っていると寒い。十分な防寒対策をしたつもりだが足元から冷たさが這い上がってきた。津波の被害を受けて何日か孤立した人たちは防寒着もなしにこんな寒さに耐えたと思うと頭が下がる。
◇待っている間に文庫本1冊を読んだ。本棚からみつけた古い本。柳田邦夫著「恐怖の2時間18分」、1973年3月アメリカスリーマイル島の原子力発電所で起きた事故のドキュメント記録。今日現在も深刻な状況にある東電福島とは原因も影響も大きく異なる。

3月29日(火)の日記② 購買環境ぐっと改善された
◇昨日から24時間営業のセイユーが一斉に開店。近所の店に行く。
◇本日午後からの様子。行列なし、店の中もゆっくり選べる。商品もかなりそろっている。
◇朝のうちはそろっていたと思うが、ヨーグルト・食パンは在庫切れ。牛乳はあり。野菜などもある。
◇食料・日用品の購買環境は大分よくなった。

3月30日(水)の日記 気仙沼までハガキが5日で到着
◇気仙沼の友人宅へ出したハガキが5日かかって到着した。
◇友人宅は幸いやや山手で津波の被害にはあわなかった。
◇やっと郵便が配達されるようになったということか。
◇道路はなんとか

3月31日(木)の日記① 親戚に風呂をもらいに
◇ガスがなかなかこない。仙台市ガス局は連日開栓作業を進めておりガスが使用できるようになった地域は少しずつ増えている。わが家のまわりは、一度予定が発表され、2-3日前にはガスは生きるはずだったがなぜか後回しになりまだ使用できない。
◇2日ほど前にガスが生きた仙台市の反対方向に住む親戚から風呂の招待があり、お言葉に甘えて出かけた。久しぶりの風呂は気持ちがよかった。親戚Dさんありがとう。
◇夕方、わが家の近くでガスのマンホールを開けてチェックをしていた。仙台市ガス局に応援に来た北陸ガスの方々。さて明日開栓になるか。なって欲しいが。

4月2日(土)の日記① ガソリン給油状況やや改善
◇利府街道岩切の町を過ぎて利府町に入ったところの宇佐美、午前中10時過ぎに通りかかったら車は行列なしで給油出来ている。せっかくの機会なのでUターンして待ち時間ほとんどなしで満タン給油。ラッキー。出光のローリーの動きが活発になっている。アリガトサン。
◇ここも午後には行列が出来ていた。それでも2-300m、と短い。ここは穴場かそれとも少し給油環境がよくなったか・・?あるいは本日はゲリラ的に急に営業したのか・・・

4月3日(日)の日記① まだガスがこない
◇仙台市ガス局は他都市の応援を得て、3200人規模のオールジャパン体制で懸命にガスの復旧に取り組んでおり昨日まで約1/3の家庭が復旧できたらしい。
◇毎日の開栓予定が町単位で示されているがわが家まわりは未定である。
◇本日わが家まわりに東京ガスの系列の会社の応援の人がいてなにかやっているので聞いてみると各家庭のメーターの入口の取り合い弁までの供給側の復旧をしているとのこと(ここで不具合が見つかれば修理するという流れらしい)。このあたりの復旧の見込みは不明とのこと。動きはあるが、2-3日中には復旧しそうにない。残念。

4月3日(日)の日記② 仙台市民の被害
◇震災の後、大した被害がなく元気にしている様に見える普通の仙台市民の、わかってきた被害(私がわかってきたということ)
◇建物に被害がないといえても、地震で家財が痛めつけられていることがある。食器棚が倒れて食器がメチャメチャに破損とか本棚が倒れて本・家具・床などが破損など
◇震災当日や2-3日後まで、大きな余震が頻発する中散乱した家に戻って過ごすのは怖くて自動車の中や避難所で過ごした人も多い。
◇建物の地震による被害もわかってくるほどに多い。古いビルなどは躯体に損傷を受けたり、盛り土の造成地では家全体が傾いたりといった被害も散見する。
◇近郊の森や高台などは地割れ・土砂崩れなどを多く目にする(写真は青葉山のガケ崩れ)
◇勤め先が津波の被災地で車をなくした人の話も耳にする。
◇これから、心の面の被害も顕在化してきそう

4月4日(月)の日記② ついにガスが来た
ついにガスがきた。これでわが家で風呂に入れる。調理も元に戻れる。
◇今朝の新聞に、突然わが町が本日から開栓開始と出ている。ビッグニュース。
◇昼前、わが家の前の公園にガス会社の人、聞けば宮崎県からの応援の方々で開栓中とのこと。遠路ご苦労様です。わが家ももうすぐと期待。
◇午後5時頃、わが家にやっと来られました開栓組。すぐにOK。万歳!。
 ありがとう、オールジャパンガス復旧隊の皆さん

4月4日(月)の日記① ダイエーでまともに買い物
◇所用で街の中に出たついでにダイエーで食料品など買い物
◇もう行列なし、並ばなくとも買える。
◇品物もかなりそろっている。
◇食料品の中では(私の買い物の中では・・)、牛乳が単一銘柄(岡山産)のみそれでも数量制限なし、ヨーグルトはあまり見かけない銘柄のみしかも1人1個に制限あり。乳製品はかなり品不足のままである。地元の有力2工場の製造停止がきいている様だ。
◇街の雰囲気も落ち着いている。救急車に出会わなかった。
  


Posted by OOAKAGERA at 12:37

2020年03月09日

3月10日(火) 今日は何の日 ①陸軍記念日 ➁東京大空襲

今日は何の日 3月10日 (1日早いが天候不順で外に出られないので記述)

その① 3月10日は戦前は「陸軍記念日であった」  
wikipediaによると
【陸軍記念日】
戦前日本では、3月10日が陸軍記念日であった。これは、1905年3月10日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日である。1906年(明治39年)3月10日が第1回陸軍記念日である。[1]
1945年3月10日の東京大空襲は、この陸軍記念日を狙って実施されたという説がある。当時の日本で、この記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂が後になって事実であるかのように出回っていた。日本には事実とする書籍や資料が存在するが、アメリカ側の資料では確認できない

■奉天とは現在の瀋陽である。私の中学時代の社会科ではシェンヤンと習ったと思う。清朝時代から栄えた中国東北部の大都市である。日露戦争時はロシアの軍事拠点であったようだ
■「陸軍記念日」を身をもって知っているのはおそらく90歳以上の人だけである。その昔話を聞く人もいなくなりそのうち話題にもならなくなるだろう。時は流れる。

その②   昭和20年3月10日 東京大空襲
【ばあちゃんの日記から】
先年亡くなったおばあちゃんの遺品の中に戦前の女学生時代から続く「日記」があった。日々の生活で特に自分の思いや生活のこと、さらに世間の出来事も記している。食事の献立もメモしてある。もしかしたら民俗学的な資料に値するかも・・・ソレホドノモノデワナイカ・・・?
その中から、昭和20年3月10日の記述に東京大空襲が読み取れた。当時おばあは静岡県清水市に住んでいたが東京に向かうB29の大編隊の様子がわかったようだ(生前直接聞いたこともある。)。ただし、達筆で文字がよく読み取れない。和歌も記しているようだがさっぱりわからない。残念である。
この日の献立は、五色煮(どんなものか?)、いも汁物。質素だ。
東久爾宮の第一皇子誕生との記述もみえる。昭和22年に皇籍離脱しているがこの人昭和天皇の孫にあたる。皇族復帰の話でよく話題になる家か。その第一皇子は昨年3月20日に亡くなっている。その子供に男子がいる様だ。


  昭和20年3月10日 ばあちゃんの日記
  


【関連した話】
東京大空襲の日、蔵王不忘山に米軍機墜落事故    H28.03.10の弊ブログ記事を復刻

◇本日3月10日は、およそ10万人が犠牲となった東京大空襲から71年目にあたる。東京の空襲は何回も行われたがこの日のものが規模が大きく犠牲も大きかった。「歴史上最大の火事」ともいわれたりする。
◇1945年3月10日、東京大空襲の日に東京から300kmも離れた宮城県の不忘山に米軍の爆撃機B29が墜落した。それも3機である。乗組員34人は全員死亡。
◇東京の爆撃のあとなぜここまで飛んで来たのか、またどこへ向かっていたのか、墜落の原因はなにか、すべて不明である。
◇このことにスポットをあてて解明を試みた興味深いテレビ番組が昨年放映された。手元にあるメモで番組を追ってみる。放送局はKHB、番組名は「テレメタリー2015、蔵王に消えたB29~墜落の謎 70年目の真実」。

◇蔵王連峰の最南端に位置する不忘山の標高は1705mである。この山に71年前に爆撃機B29が3機墜落したことが今も語り継がれている。地元宮城県七ケ宿町や白石市には当時の状況を覚えている人たちがいる。
◇B29は確かに墜落していた。墜落した箇所には今でも残骸の破片が残っている。
◇当時の新聞には国民感情を考慮した記事が掲載されている。
◇墜落機は30分から1時間の間隔を置いて来ている。編隊を組んで来たわけでない。3機はバラバラに来た。
◇なぜ、東京から遠く離れた不忘山に、時間がずれて墜落したのか。
◇米軍の残留物の中に東北地方の地図があり山形市に○印がつけられていた。山形市が目的地か。
◇GHQのレポートによると3機は別の部隊に属する。出発地はグァム・サイパン。目的地はいずれも「東京」、墜落の原因は悪天候となっていた。
◇当日の天気は北西風が強く吹き寒気が入っていた。飛行機にとっては厳しい気象条件であった。墜落時の写真によると大雪であった。「風が強く流された機体があった」とミッションレポートに記述があった。
◇記者は、3番目に墜落したパイロットの兄弟を米国アーカンソー州に訪ねた。首都ワシントンDCの国立公文書館には機密文書があった。「ヒューバートコーズマイヤー操縦士死亡」
11才年下の弟さん談「1945.10.2に電報で軍から連絡を受けた。1947.4墜落の原因については家族に詳細な説明はなかつた」
◇インディアナ州オシアンにはB29の機関士として爆撃に参加した人がいた。エド・ゲッツさん。
Q:東京以外の目標はあったか
A:いや違う目標があったとは思えない。すべての機がひとつのターゲットを狙っていた。すなわち「東京」だ。
Q:強風で飛行路をそれる可能性はあったか
A:いやそれはない。もし風が強すぎたら作戦を中止していたはずだ。あの時の爆撃の高度では風は問題ないはずだ。
Q:東京へゆかず(まちがって)真っ直ぐ墜落箇所に向かった可能性は
A:それもないだろう。爆撃で東京が燃えていたら見えるからね。
ゲッツ氏の仮説
「鍵となるのは高度5000フィート(1500m)。いままで10000mから実施していた爆撃を東京では1500mという低空から行うよう命令されていた。攻撃の精度を高めるためである。一方爆撃で生じた火の勢いはすさまじく熱風は飛行機の高さまで巻き上がってきたという。爆撃したらすぐにその場を出ようとした。しかし熱風がすごくてね、方向性を失ってひっくり返る機体もあった」
 「熱風の衝撃でレーダーが壊れ方向感覚を失った可能性がある」。ゲッツさんはそう指摘した。「われわれはレーダーだけで爆撃しているようなもの。そしてレーダーは壊れることもあった。オペレーターもナビゲーターもクルーにいて各自レーダースコープをもっていたがどちらかが方角をまちがったかもしれないし熱風にあおられて北に進んだのかもしれない。その状況に気づく前に山に突入したのかもしれないね」。
Q:もしレーダーが壊れたら
A:そうなったら星にたよるしかないね。
◇不忘山は1700m、飛行高度より200m高い。
◇アメリカの資料をさらに調べると、コーズマイヤー機の出発時間がわかった。19時15分、先頭の機体が出発してから約1時間後である。着いた時は爆撃が本格化している頃で爆風にあおられる可能性は十分にあった。
◇爆撃の熱風にあおられレーダーは壊れる、あたりは煙に覆われ方向を見失う。夜で視界が効かない、時速500kmの時速は30分で不忘山に達する。高度は命令されていた1500m、あたりは吹雪でなにも見えず、そして墜落・・。そんな仮設が成り立つのではないか。
◇「東京大空襲」の著者でB29研究の第一人者でもある早乙女勝元さんの話。「東京大空襲では爆撃機は超低空で入ってきているのでナビゲーターはレーダーに不慣れだった。日本に来るまでの高度も低い。理由は爆撃目標に近い・・というだけでな、燃料節約の目的もあった。B29の航続距離は5500km、マリアナ~東京往復は4600km、爆撃するための滞空時間も必要、となるとギリギリの燃料である。東京を爆撃したらすぐに帰らないとマリアナまで帰れない。東京から不忘山までさらに300km、燃料を考えてもまた深夜で偵察が出来ないことからも3機が東北を目標にしていた可能性は低い」
◇3番目に墜落したコーズマイヤー機の足取りは見えて来た。しかし、1番機・2番機の資料をみつけることは出来なかった。
◇早乙女氏は、東京に向けて出発したB29機325機のうちなにをしていたのか資料のないものが40機にのぼると指摘する。「70年経っても謎は解けないのが戦争の後遺症のすさまじさを示している。これから解けるという保証はないけれどもアメリカ側の資料は出尽くした感がある。でも真相はわからない、戦争の持つ特質ではないか」
◇墜落から70年、地元住民は山の中腹に不忘の碑を建ててアメリカ兵を弔ってきた。なぜ当時敵だったアメリカ兵を弔うのか、地元には「恩讐を超えて」という言葉がある。戦争が終われば敵も味方もない、そんな思いだと言う。
◇しかし住民も年を重ねて山に登ることが難しくなってきた。戦後70年の昨年ふもとの湖のほとりに「不忘平和記念公園」の建設が計画された。8月2日公園は完成した。
◇公園の石碑には亡くなった米兵34名の名前が刻まれている。そばには日米友好の象徴ハナミズキの木も植えられ式典には日米関係者500名が参列した。

 今度南蔵王長老湖を訪ねる機会があればぜひ立ち寄って71年前の事故に思いをはせて黙とうをささげたい。
  


Posted by OOAKAGERA at 14:05

2020年03月08日

3月8日(日)の日記 本の感想「下級武士の田舎暮らし日記」

歴史好きな方のみ読んでください

雨で足止めの1日、知り合いに勧められて買っていた本を読んだ。本の名は「下級武士の田舎暮らし日記」。江戸時代、徳川吉宗の享保の改革の頃の伊達藩石巻近郊(旧河南町)の農業地域に住んだ下級武士の、こと細かな日記をわかりやすく現代文にまとめた本である。興味深く読んだ。本の紹介はネットからパクって最下欄(黒字)の通り。

ピーマン頭で基礎知識不足の私なりの感想は以下の通り
■学生時代、河南町広渕出身の知り合いがいてその地名を知っていたが隣の「須江」という土地は初めて聞いた
■あまり土地勘がない場所は、どうしても仙台からの鉄道や道路で通る土地名のつながりが頭に入ってしまう。仙台から放射状に進むルートの土地同士の「横の近さ」がなかなかつかめない。伊達吉村公の鷹狩りルート<松山→-涌谷→佐沼→登米→和渕→前谷地>などというのは頭の中でどうもつながらない町がある。昔は鉄道がなかったので鉄道ルートは忘れたほうがよいかも
■農村にこんなに武士が住んで、しかもどうやら仲良く農民と暮らしていて場合によっては武士を含む農村の代表が肝入(百姓)というのにはびっくり。伊達藩には藩設立当初から武士の出でありながら農業を営む集団があったようだが、農村に住む武士と農民の関わり合いが垣間見える。また、洪水対策、猪対策では現場の声を正しくお上に提言することを実行しているのは驚きである。封建社会は下から意見を言うルートはないものと理解していたがそうでもないようだ。ただしお上はほとんど聞く耳を持たない(持てない)のは予想通り。
■鷹狩り担当の下級武士が藩主から気軽に声をかけてもらえるとはなんと素晴らしいことか。臨場感あふれるやりとりが感動的
■伊達五代藩主吉村公は、破綻状態にあった藩財政を立て直したことにより仙台藩「中興の英主」と呼ばれる名君とのこと。鷹狩りが好きだったようでよく出かけている。狩りは権力の示威行動でもあったが、在地の下級武士や農民の声を直接聞き取り政治に反映するという大きな目的があったのではないか。このお殿様ならではの行動の意味があったように思われる。
■古文書をていねいに読み解き、現代語訳をつけ本にまとめている。くずした毛筆文字を解読し、文意をつかんでわかりやすい言葉で表現するというのは大変な作業であったと思う。著者に敬意を表する。


以下の写真は本からのコピーです
   

河北新報・石巻かほく「メディア猫の目」から
「下級武士の日記」支倉さん夫妻解読、歴史書出版 ゆかりの須江村に光
 江戸時代中期の須江村(現・石巻市須江)の暮らしを下級武士の日記から読み解いた本が関心を集めている。東京の築地書館から出版された単行本「下級武士の田舎暮らし日記 奉公・金策・獣害対策」で、著者は支倉清さん(70)、紀代美さん(70)夫妻=東京=。清さんは石巻市前谷地出身、紀代美さんは東松島市出身。日記から武士と農民の関係を探ったユニークな歴史書だ。

 本書は今から約300年前、須江の農村で御鳥見役(鷹(たか)狩りの世話役)として暮らした仙台藩士矢嶋喜太夫が書き残した日記「二樅亭見聞録」を現代語訳にした読み物。日記は1716(享保元)年から57(宝暦7)年まで40年余にわたってつづられており、本書はその一部を書き下ろした。
 日記から浮かび上がるのは一つの村の中での武士と農民の関係。田畑を荒らすイノシシ対策として鉄砲解禁に農民たちが中心的な役割を果たしたことが読み取れる。

 喜太夫が筆まめだったらしかったことも、日記を貴重な史料に高めている。仙台藩5代藩主伊達吉村の狩り、度重なる北上川の洪水への武士たちの対応、石巻鋳銭場での寛永通宝づくり、琉球人を乗せた薩摩船の寄磯浜漂着、仙台藩の享保の改革(倹約令)など、日記は当時の藩内の出来事を細かく伝えている。

 さらに諸物価値下げといった幕府の法令、江戸の大火やうわさ話まで記しており、江戸の情報がどのように仙台藩に入ってきたかも分かり興味深い。

 日記に登場する人物や時代背景などを解説したコラムも掲載。喜太夫が生きた時代への理解を深める一助になっている。

 清さんは東京の公立小学校の元校長、紀代美さんは神奈川の公立小学校の元教諭。これまでも共著で「代官の判決をひっくり返した百姓たち」を出版している。

 2人は「喜太夫は数え年71歳で亡くなるまで生涯、須江村に暮らした。見聞録は18世紀の記録。この年代の資料がほとんどなかったので夢中になって解読した。故郷の歴史を、農民や所領を与えられた給人家中の視点から描いていきたい」と話す。
  


Posted by OOAKAGERA at 17:17

2020年03月07日

3月6日(金)の日記 ブルーインパルス訓練 五輪マーク

◇ブルーインパルスの訓練 / 航空自衛隊松島基地のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が3月20日にオリンピックの聖火を迎えるにあたり基地の上に五輪を描いて歓迎飛行、とニュースにあった。すでに五輪を描く訓練がみられるとのこと。訓練日時が公開されているので松島の島の上の五輪をねらって見に行くが風があまりに強くおそらく中止、飛んでこない。仕方なく鳥見に切り替え基地の近くのポイントに移動。するとなんと予定外の午後にブルーインパルスチームが飛んでいる。風が少し収まったので訓練を開始したみたい。5基のチームとさらに1基(教官機か?)、計6機。ただし5機での輪っか描きはやらず、しかもあまりに近くカメラの画面に入らない。スモークは白煙だがすぐに消えてしまう。風のない天気のよい訓練日をねらって、それなりのよい場所に狙いをつけてリベンジ・・・といきたいがもういいや。
     

◇ブルーインパルスはT-4練習機だが、F2B戦闘機・KC-767空中給油機も姿をみせた。天候回復で訓練が重なったか、2本の滑走路はフル稼働の感あり。
     


Posted by OOAKAGERA at 08:43

2020年03月06日

3月6日(金)の鳥見 今週の振り返り

【総括】
・いきなりオジロワシ、ラッキー

【今週の「みーつけた」一覧】
  

【今週の鳥の記録写真】
◇オシドリ / お城のふもとの池、最近なかなかみかけないがこの日は1羽が近くまで来てサービス
◇ミサゴ / 海を見下ろす高台から。目の下の高度をミサゴが。おかげで上面がばっちり
◇オジロワシ(2枚) / モンブランケーキの沼。最近ここでは出会えなかったオジロが上空をゆっくり旋回
     

◇ハイイロチュウヒ / いつものねぐら入り。オス。メスもチュウヒもいたが写真はカット。
◇オオアカゲラ / 弊ブログの名前に使わせてもらっているがなかなか会えない。しばらくぶり
◇アカゲラ / 森にて。オオアカゲラと比較用にアップ
◇エナガ / 貝塚公園にて、さかんに巣材を集めていた
     

◇アトリ / 森にて。オス。メスもあわせてたくさんいた。地面上の枯れ葉をつついてさかんに採食
◇ベニマシコ / アクロバット飛行見物とあわせての鳥見でみつけ。きれい
◇ウソ/ 同上
◇シメ / 森にて。ひっそりたたずんでいた
     

【今週の景観写真】
◇暖冬が続く。やっと雪がふったけどスキーが出来るほどではなかった。梅も桜も咲きだした
      


Posted by OOAKAGERA at 21:17

2020年03月05日

3月5日(木)の日記 新型コロナウイルス感染症

■新型コロナウイルスによる感染症が拡がっている。中国を発生源として、1月末から日本でも増え始めた。本日現在日本国内で、感染確認1036人(クルーズ船、チャーター機含む)、重症58人、死亡12人、退院46人である。北海道で感染者数82人と突出しており知事から緊急事態宣言が出された。
■首相は先週末に全国の小中高校の臨時休校を要請した。人が集まるイベントは続々と中止されている。プロ野球オープン戦も、大相撲も、さらに選抜高校野球まで観客ゼロで試合が行われることになった。
■プロ野球オープン戦をテレビ観戦した。なんとも気が抜ける雰囲気で見ていて迫力がない。昔日本リーグ時代とJリーグの二軍戦のサッカーを観戦したことがある。いずれも観客はすこぶる少ないく観客の歓声がないので選手やコーチの声がやたら聞こえる。そした特定のうるさい客の声が響く。ファインプレーや好プレイがあっても拍手はない。歓声もない。なんとも盛り上がらない雰囲気だった。
■観客のいないプロの試合はやらない方がよい。迫力に欠ける。選抜高校野球は出場校の応援者だけはパラッと座らせて入場させてもよいかもしれない。
■ここ1・2週間が、収束できるかどうか勝負期間というのはわかる。車の通行量は少ないし、人出も少ない。経済的な損失は明らかに大きい。なんとか早く収まって欲しい。


写真は本文と関係ありません
    


Posted by OOAKAGERA at 21:37