2020年03月10日
3月10日(火)の日記 9年前の我が家の生活 東日本大震災直後
東日本大震災直後の生活 あんなこと・こんなこと
生活にかかわること、スナップ
◇ダイエーに行列
◇イオンに行列
◇ガソリン給油所の車の列
◇中学校の給水の状況

◇中学校校庭の給水用手押しポンプ
◇壁新聞
◇新田ケーヨーの張り紙
◇我が家の地震対策、ツッパリ某

地震の後の被害状況を我が家の生活にかかわること振り返ってみた(あまりに長文、備忘録です)
3月16日(水)の日記 水道が復旧
水道が復旧した。これで電気と水道が活きた。
◇ガスは、仙台市ガス局の供給ターミナルである仙台港の設備が壊滅的損壊で、復旧はまだまだとのこと。新聞には新潟からのパイプラインの 健全性を見た上で・・と出ていたがどうなるか。地震翌日にはガス局の人が来て点検後、外の元栓を閉止していった。
◇電気の復旧は早かった。14日早朝に復旧。街の中心部から夜の照明が活きてきているのがわかった。 電気の復旧で、固定電話とネットも一応使用可能となる。
◇ケータイは地震発生直後にメールは送信できたがその後しばらくは使用不能状態、14日から少しよくなった。本日晩は大分スムーズになった。
◇地震翌日にはホームセンター、スーパーに必需品を購入しようとする人の列、すぐになくなっていた。
3月16日(水) 水道 その②
◇地震により、水道はストップ。ただし、わが家は集合住宅で高架水槽方式のようで当日夕方ややきたなくなりつつあったがまだ水が出た。これを浴槽にためた。これは大正解であった。手洗い・トイレに使えた。かつて阪神淡路大震災の時、神戸で被災した人が姫路のわが家の隣に避難してきたときトイレの水が流れると言って涙を流していたのが思い出された。
◇我が家の近くの給水所は東仙台中学校である。12日の朝方様子を見に行った時の状況。どうも校庭の地下に飲料水のプールがあるようで手押しのポンプ(井戸)でくみ上げる方式。まだあまり人は並んでいない。
◇12日午後に再度様子を見に行くとものすごい行列。しかも水を入れる容器を準備しなければならないが水用のポリタンクは手元にない。当面はしのげるので、この日はあきらめ。ホームセンターにポリ容器を探しにゆくととっくに売り切れ。困った。
◇13日、水の容器として思いついたのがプラスチックの衣装ケースの箱や大きい布袋の内側に厚めのポリ袋を入れて水を受けたら何とか運搬できそう。これを準備して東仙台中へ車で行く。そしたら昨日以上にとんでもない長い行列。これは待ち時間がもったいないと判断。
◇携帯電話は発信がまったくきかない。仙台に住む親戚の安否が気になるので直接訪ねる(親戚は無事)。するとなんとここの地域の水道は活きていた。(電気も活きている)。近くの避難場所指定公園の水道が出るという。助かった。ここで水をもらう。
◇食器はラップやアルミホイールでつつんで使用し、洗浄は省略するのがよいとの話をラジオできいたので実行。これは効果大。
◇15日、我が家のブロックの両隣のブロックの水道が活きた。我が家の復旧も近いか。
◇16日、東仙台中を覗く。給水車からの給水になっていた。水道が活きた
エリアがあるせいか列は短い。給水車は他県からの応援。
午後水が出だした。うれしい。
3月17日(木)の日記 ガソリン
地震発生日になんとか家にたどり着いた時、車のガソリン残量はほぼ最低目盛
◇13日に、新聞情報をたよりに街中の緊急対応スタンドに自転車で状況を見にゆくとすごい行列。交差点をいくつか超えている。交差点に店員を配置して案内している。地震後にローリーは入ったらしいが行列の途中で在庫切れのおそれありとのこと。1人 4000円まで制限とのこと。とても間に合いそうもないので明日早朝、新たなローリー到着を期待して並ぶことにする。
◇14日早朝5時半、まず近所からアタック。列はそう長くない。ここに並ぶ。しかし一向に店の人が現れず本日の様子がわからない。しびれを切らし10時過ぎにあきらめ。15時頃自転車でまわったら店員が来たところ。少しは給油したみたい。状況の説明があれば頑張って並び続けたのに。もったいなし。
近隣の他社2店舗チェック。その①は営業中、一人2000円まで在庫あるまで、すごい行列で今から並んでも無理判断、その②は立て看板があり明日10時から営業するとのこと。この情報は親切で貴重だった。明朝からここに並ぶことにする。
◇15日、早朝5時に行く。なんと長蛇の列。約1.5kmの長さ。仕方なし、ここに並ぶ。
13時15分、約8時間待ちでやっと給油できた。2000円、13.3リットル。これで一息。車はもう緊急用にしか使えない。
3月18日(金)の日記 ダイエーで買い物
◇現在の我が家のライフライン
・電気;きている
・水道;きている
・ガス;復旧の見通しきかず
◇買い物
・コンビニは閉店が多い。たまに行列がみられるがすぐに食べられるものは売り切れ?乾電池、衛生用品なども入手困難。
・小さな店(ダンゴ屋、餅屋など)に行列があったりするのはおにぎりの販売だったりする。
・ガソリンスタンドは、ほとんど閉店または緊急車両のみというところがほとんど。それでも本日4000円分給油できたところもある。
・近所の小さなスーパーは生鮮品が入荷次第売ってくれる(値段は上がっている)。そのたび行列。
・年寄だけでなく食料をあまりストックしていない生活の人には実に厳しい環境である。若い人でもじっと並んでわずかな食料を手に入れている。大変だ。
◇本日はまずじいちゃんの補聴器用の特殊な乾電池を求めて仙台駅近くの店へ。ちょうど久しぶりに開店したところで無事電池を入手できた。
◇我が家から仙台駅までは約5kmあるがこういう状況でガソリンを節約しなければならないので自転車でゆく。今朝は雪が積もり日陰の路面は凍りついたまま。気をつけて行く。
◇その後せっかく街の中にでたので、食料品を入手しようと近くのダイエーに行く。とんでもない長さの行列。覚悟を決めて並ぶ(10:30)
◇要所要所には警備員が配置されていて実に整然と並んでいる。少しずつ進む。
◇14時過ぎに入店
◇1階で米と水、地下1階でカセットコンロボンベ、乾電池など、地下2階で食料品を買えた。人気のあるものは当然販売数の制限あり。
◇寿司や食パン・牛乳なども購入できた。扱う品数が多いせいかまだ残っているものの中にもレトルトや冷凍品など「いいもの」があった。新規に入荷もしているものがある。
◇我が家で古いパン焼機をみつけたので、なくなった食パンを焼こうとしたが、ドライイーストなるものと強力粉が必要。ダイエーの売り場をさがしたが小麦粉は全部売り切れ、イーストなんてもともとないみたい。あきらめ。
◇買い物をしすぎて大きな袋が3つ。自転車で運ぶのにてこずった。
◇帰りがけ風呂屋に行列が出来ていた。
3月18日(金)の日記 地震関連覚書
本日まで今回の地震がらみのいろいろなこと覚え書
◇電気がくるまで、いや来た後にも携帯ラジオには御世話になっている。胸のポケットに入る小型のものだが貴重な情報源である。余震が多く緊急地震速報も頻発するので常にラジオかテレビをつけておく必要がある。ラジオはよかった。ただし地元の東北放送は早い時点から聞こえなくなったのは残念。
◇地元の新聞河北新報は震災翌日も新聞を発行した。震災にあっていないよその県の新聞社と提携していたらしい。阪神淡路大震災の時の神戸新聞も京都の新聞と提携して頑張っていた。素晴らしい。
◇鳥見でよく行った仙北・仙南と海岸部の被害状況がテレビに映るうつるたび、何でこんなにと思ってしまう。もし現場に居合わせたらはたして無事逃げられたのか・・・。山元・亘理・岩沼・名取・荒浜・蒲生・仙台港・東松島・宮戸島・石巻・牡鹿半島・・・・いいところだったのに・・・。鳥見の際、現地で知り合った方々は無事だったのだろうか。無事であってと祈るばかり。
◇本棚・冷蔵庫などにとりつけていた天井との間の「突っ張り棒」は非常に有効であった。
◇非常時はまわりの人に声をかけよう。心強い・気持ちが落ち着く。
◇携帯電話は地震直後はメールが通じた。これがよかった。その後は2日ほどほとんど電話もメールも通じなかった。その後は携帯電話は情報伝達手段として有効だった。電気がくるまでは充電できずに困った。車から充電できる充電器や予備の電池を用意していた方がよい。
◇ガスの復旧が遅れる。こんな時に備えて卓上のLPGのコンロはあったほうが良い。
◇電気がいきているので、電子レンジ、炊飯器、電気ポット・コーヒーメーカーを調理や湯わかしに利用している。
◇水道が活きるまでは、食器を汚さないために食器をラップでくるんで使った。
◇自転車が活躍。古い自転車だが自動車の代わりをしてくれている。
◇地震後のハガキが千葉県から来た。定形郵便物のみOKなのかも。
3月19日(土)の日記 その① 食パンが焼けた
電気を熱源とする自動のパン焼き器が出てきたとふれまわったおかげで親戚①から材料の強力粉、親戚➁からドライイーストが供給された、さらにパン作りの得意な親戚③からメールでレシピを教えてもらいおそるおそるチャレンジ。
材料を入れて、スイッチを入れてただそれだけ。4時間の間、時々あやしげな音を発しているのを待ち続けて・・・出来上がり。
上出来でした。姿も味も合格!親戚のみなさんありがとう。
これで当面、パンが売り切れても心配なし。
3月20日(日)の日記 カセットボンベあり
自宅から少し遠いがケイヨーD2新田東店で買い物をした。ここはいわゆるホームセンター。
◇店頭販売。店頭のいつもは植物などを売るエリアに買い物カートを並べている。
◇9:40に列に並び10:30には入店できた
◇世帯ごとの販売制限あり、売り切れもあり。
◇一部の品は店内で販売。地震がくるとすぐに店外に出される。
◇LPGのカセットコンロとボンベ在庫あり カレンダーは3連休だがだれものんびり休暇の気分ではないでしょう。
3月21日(月)祝の日記① 宅配便が届いた!
◇佐川急便で宅配便が送れるようになったとのことで一昨日関東から緊急資材食材を送ってもらったが、無事今朝受け取れた。
◇ただし発送№をよく聞いた上で到着を電話確認の上営業所まで取りにゆくことが必要。
◇営業所は荷物を受け取る人たちであふれていた。
◇荷物を送ってくれた親戚Cどの、佐川急便どのに感謝感謝である・
◇一息つける。
◇クロネコヤマトも復活したようだ。
3月21日(月)祝の日記③ 髪を洗うには
◇ガスがきていないので、入浴・シャワーが出来ない。復旧はまだまだで1ケ月以上はかかるらしい。
◇長蛇の列に並んで銭湯に入るかお湯をわかして顔や場合によっては体を拭くしかないが髪だけは洗いたい。
◇ガソリンがなくてとても鳴子温泉までは行けない。
◇男性は家のお湯でなんとかなるとして、女性は・・・・街の理容室で1000円くらいで洗ってくれるところがあるのでこれを探して洗髪しては・・・?
3月22日(火)の日記② ついに風呂に入れた
生活環境、本日の日記
◇病院に薬を取りに行く。連休明けであり、薬が少ししか配布されていないせいもあり病院外来はすごい人。薬局でも待ち時間大。薬をもらうのも大仕事。
◇ついに風呂に入れた。それも温泉(沸かし湯の鉱泉らしいが)。地元情報に詳しい親戚Aさんの紹介で穴場のひなびた山の温泉に。昨日までは休みのせいでかなり込み合っていたらしいが本日はお客は少なめ。待ち時間小1時間でゆっくり入れた。仙台の中、近場にこんなところがあるとは・・。ポカポカと風呂から出ても温かい。地震以来11日目の風呂、生き返った・親戚Aさんに感謝。
◇電話、メールとも環境がほぼ戻ったようでスムーズにやりとりできている。遠方からの激励電話やメールがたくさんきた。嬉しい限り。皆さんお気遣い有難うございます。エールに感謝です。
◇宅配便が復旧して、必要品があれば送るという連絡もあちこちからいただいた。ありがたい限り。でも何とかペースをつかんで生活できており今すぐ欲しいものといえばガソリンです。まさか送って貰うわけには行かないし。
◇本日の河北新報1面には、塩竈港に入港第1隻目のアポロマークのタンカーの勇姿。「がんばれ」と横断幕。こちらからは大声で「有難う」と言いたい。あと数日でガソリンも出回るでしょう(そうなって欲しい)
◇ガスがなくて調理にはて手ずっている。
カレー調理の一幕
・野菜・肉はホットプレートでいためる
・電気ポットで沸かした熱湯も利用して・・
・耐熱ガラスに入れて電子レンジで加熱
・最後にLPGのカセットコンロで加熱仕上げ
・ひとつひとつが新しい操作なのでスムーズにゆかず時間がかかる
・LPGのカセツトコンロのボンベはあまり在庫がないので出来るだけ節約して使っている。
早くこいこい、ガスガスガス
◇仙台市ガス局が朗報を発表。新潟からのパイプラインが使えるようになり、まず病院から、そして順次周辺部からガスを生かすとのこと。早い復帰を期待する。
◇消防車・救急車のサイレンの音が少なくなった。ヘリコプターの音も少なくなった。災害派遣の自衛隊や他県の救急車はまだ見かける。
◇北海道で10年間まったく症状がでなかった花粉症が本州に帰ってきてしっかり復活してしまった。今日は鼻水と目のかゆみでサイアク。
3月23日(水)の日記② クロネコ便も来た
◇佐川急便に続いてクロネコヤマトの宅急便も開通した。
◇昨日午前大阪で出した荷物が本日午後に仙台の営業所についた。
◇ネットで到着を確認したらすぐに電話でも到着の連絡があった。
◇自転車で卸町の営業所まで取りに行った。まだ数が少ないのか待ち時間なしで受け取れた。
◇はるか遠方からの救援物資に感謝。親戚Dさんありがとう。
◇東北自動車道の大型車が通行可能(緊急に限られるが)となったせいか関西から翌日に到着とは早い!
3月23日(水)の日記① いやされる
地震後の生活で「意外に癒やされたこと」
◇電気がこない生活の中でのラジオ。NHKの年を重ねたアナンサーの実に落ち着いた口調に張り詰めた思いはほんとに癒された。
◇助け合い。日ごろ顔をあわせる程度でさほど親しくない人ともお互いに無事を喜ぶ言葉を交わすだけでもずいぶん落ち着く
◇あかり。やはり夜は明るいとほっとする。
◇テレビのCMがAC(公共広告機構?)に切り替わった。阪神淡路のときを思い出す。最初は目新しい感じだがすぐにめいってきた。朝ドラ「てっぱん」が再開されてやっと明るい調子が出てきてよかった。
◇ラジオですこしずつ元気付けの意味で音楽を流すようになった。聴いたこともないチェロの調べに心が落ち着いた。テレビは「BS日本心の歌」でのなつかしい愛唱歌の調べに癒された、選曲は考えてくれているようだった。
◇こんなときだからと花壇に目を向けるとクロッカスが咲き出していた。チューリップももう少しで咲く。マリーゴールドの種まきをした。少しずつだが落ち着いた生活を取り戻しつつある。
3月23日(水)の日記③ 買い物事情改善
◇買い物事情が少し改善した。
◇近所の小規模・中規模スーパーとも30分も待たないで入れる。
◇牛乳等乳製品はダメ、食パンは手に入れにくいがその他かなりのものが出回っている。
◇ガソリンはまだまだのようで近所のスタンドはまだ閉まっている。
3月24日(木)の日記① 宅急便が配達された
◇千葉県北西部に住む友人から宅急便が届いた。昨日発送本日午前中に配達された。生鮮食料品がどっさり。ありがたい。
◇また取りにゆかなければと思っていたら、卸町の営業所に荷物があふれたか・・・届けてくれた。ありがとうクロネコさんありがとう。
3月24日(木)の日記② 本日午前ガソリンスタンド状況
◇本日午前のわが家に近い東仙台から北四番町方面のガソリンスタンド状況。宮町交番に近い出光が一般車にも給油していたが整理券の№が450までいってる。車の列は上杉から北六までまわり北六小あたりまで連なっていた。
◇あまり待たないで給油出来るようになるまでにはまだ日数がかかりそう。
3月24日(木)の日記③ 牛乳買えた
◇昨日は買えなかった牛乳を買えた。近所の中規模スーパーで10分待って牛乳1本ゲット。近隣の別のスーパーでも同様。少しずつ環境はよくなっている・・・か?
3月26日(土)の日記② 北海道から牛乳が
◇相変わらず牛乳ヨーグルトなどの乳製品が品不足。あちこちミニスーパー・コンビニをまわり行列に並んでなんとかゲット。これが北海道産。昨日仙台港のフェリー岸壁の使用が出来るようになり太平洋フェリーのおなじみ「きたかみ」が北海道から救援物資を大量に積んで入港というニュースがあった。北海道の皆さんにはごめいわくをおかけします。太平洋フェリー有難う。
◇自転車で近所を「地回り」しながら目的の食料を買えそうなところに並んでゲットしているが、これは
①時間があること、②体力があること、③テキトーに情報を得てテキトーに判断できること ・・・が必要である。
ということは以下の人には非常に過酷な環境である。
①お年寄り、②幼児・幼児連れ、③昼間行動できない忙しい人、④町の情報にうとい人(井戸端会議の出来ない人)
自宅に住みライフラインが活きて一見平穏な生活の復活に見えても、生きていく上であまりに厳しい環境にある「避難民」はたくさんいる。
3月27日(日)の日記② 佐川もクロネコも配達してくれる
◇佐川急便もクロネコヤマトも宅配してくれるようになった。一昨日北海道で発送手続きしてくれたクロネコ宅急便荷物が本日午後にはわが家まで配達された。平常と変わらない速さでびっくり。
◇北海道の貴重な食料、パン焼きの材料、非常食、日用品まですごい量の救援物資。ありがとう。心遣いはうれしい限り。
◇佐川急便も、千葉から2日で配達までしてくれた。これまた生鮮食料をはじめさまざまの救援物資。もう感謝の気持ちばかりです。ありがとうございます。
3月27日(日)の日記③ 本日現在の生活環境
本日現在のわが家の生活環境
◇電気・水道は来ている。
◇ガスは、まだ来ていない。仙台市ガス局がエリアを区切って段階的に復旧にかかった。わが家のまわりはあと2-3日で復旧とみた。ガスがないので調理にてこずり、風呂も入れない状況。
◇買い物は相変わらず不便。お店への入荷品目・数量とも少ない。食料品は大きい店ほど品数は多い(といっても平常に比べてまったく少ないが)行列が長い。コンビニは開いてる店は半分以下、置いているものは限られている。ときどき「当たり」があるのでこまめに行列に並んで覗く必要あり。近所のミニスーパーは品物が入荷次第すぐに店頭に並べてくれる。ただしいつ来るかまったくわからない。行列の様子をしょっちゅう監視していないと望むものは買えない。
◇すぐ近くの薬局は薬の入荷が少ない。私の花粉症に効いた希望の薬が買えなかった。
◇ガソリン状況は一向によくならない。少しずつ入荷しているようだが、給油してくれるのはごく限られた店のみ。給油しているところは1km-2kmの長蛇の列。もう緊急用にしか車は使わない。
◇宅配便は復旧。自宅まで配達してくれる。
◇仙台市内の病院は外来をほぼ平常体制で受け入れてくれるようだ。
◇東北自動車道は一般車も通れるようになった。鉄道はまだまだ。
◇市内のバスは、本数が少ないようだが通っている。復旧当初は時刻通りに来ず、市内まで数キロを歩いて仕事場に通っている人もいた。
◇東電福島第1原子力発電所は深刻な状況が続いている。仙台までは約100km。これからどうなることやら心配ではある。昔ジェーンフォンダがテレビか新聞かの記者をした「チャイナシンドローム」という映画があったことを思い出す。。
◇わが家と同じ宮城野区の海の近くや隣の多賀城市には特に津波による被災を受けた方が大勢いる。まだまだわが家は恵まれている。
3月28日(月)の日記② 安否確認システムに登録してあった
◇今回の震災で、親戚が当方の無事をGoogleの安否確認システムに登録してくれていて、これ見て安心していたという連絡が遠方の人からあった。登録していてくれた親戚Eさんありがとう。
3月28日(月)の日記③ 宅急便山口県から2日で到着
◇本日も宅急便が届いた。遠方山口県から2日で配達された。クロネコさん頑張ってくれている。ありがたい。お茶を飲みながら久しぶり山口の名産和菓子等をゆっくり味わった。気分が晴れ晴れとしました。お心遣いに感謝感謝です
3月29日(火)の日記① ガソリン25リットルゲット
ガソリンが最低目盛のままで少し心もとないので本日は朝から覚悟の上車の行列に並んだ。
◇近所の、国道45号苦竹駅東側、ヤマダ電機前の給油所。苦竹SS。給油能力が大。ここのところ毎日営業している。ただし午後には在庫切れのようだ。
◇ここの行列は最初の信号から2手に分岐している。下流側ではさらに分岐している。自転車によるチェックで本流である45号~中原本通りに並んだほうが早いと判断していたので、このルートの最後尾につく。6:40、苦竹郵便局前。30分遅くても10台くらい並んだだけ。並び出すのはもう少し遅くてもよかった。
◇8:40に列が動き始めた。給油開始とみえる。
◇9:00には45号IN、9:15苦竹駅ガード下と動きは早い。
◇9:50i給油できた。レギュラー単価160円、25リットル(4000円分)ゲット。セルフ。
◇セルフ灯油も簡単にゲット。シナネン石油殿ありがとう。
◇待ち時間3時間40分、前回よりはまし。これも時間がたっぷりあるからできること・・・。
◇エンジンをとめて待っていると寒い。十分な防寒対策をしたつもりだが足元から冷たさが這い上がってきた。津波の被害を受けて何日か孤立した人たちは防寒着もなしにこんな寒さに耐えたと思うと頭が下がる。
◇待っている間に文庫本1冊を読んだ。本棚からみつけた古い本。柳田邦夫著「恐怖の2時間18分」、1973年3月アメリカスリーマイル島の原子力発電所で起きた事故のドキュメント記録。今日現在も深刻な状況にある東電福島とは原因も影響も大きく異なる。
3月29日(火)の日記② 購買環境ぐっと改善された
◇昨日から24時間営業のセイユーが一斉に開店。近所の店に行く。
◇本日午後からの様子。行列なし、店の中もゆっくり選べる。商品もかなりそろっている。
◇朝のうちはそろっていたと思うが、ヨーグルト・食パンは在庫切れ。牛乳はあり。野菜などもある。
◇食料・日用品の購買環境は大分よくなった。
3月30日(水)の日記 気仙沼までハガキが5日で到着
◇気仙沼の友人宅へ出したハガキが5日かかって到着した。
◇友人宅は幸いやや山手で津波の被害にはあわなかった。
◇やっと郵便が配達されるようになったということか。
◇道路はなんとか
3月31日(木)の日記① 親戚に風呂をもらいに
◇ガスがなかなかこない。仙台市ガス局は連日開栓作業を進めておりガスが使用できるようになった地域は少しずつ増えている。わが家のまわりは、一度予定が発表され、2-3日前にはガスは生きるはずだったがなぜか後回しになりまだ使用できない。
◇2日ほど前にガスが生きた仙台市の反対方向に住む親戚から風呂の招待があり、お言葉に甘えて出かけた。久しぶりの風呂は気持ちがよかった。親戚Dさんありがとう。
◇夕方、わが家の近くでガスのマンホールを開けてチェックをしていた。仙台市ガス局に応援に来た北陸ガスの方々。さて明日開栓になるか。なって欲しいが。
4月2日(土)の日記① ガソリン給油状況やや改善
◇利府街道岩切の町を過ぎて利府町に入ったところの宇佐美、午前中10時過ぎに通りかかったら車は行列なしで給油出来ている。せっかくの機会なのでUターンして待ち時間ほとんどなしで満タン給油。ラッキー。出光のローリーの動きが活発になっている。アリガトサン。
◇ここも午後には行列が出来ていた。それでも2-300m、と短い。ここは穴場かそれとも少し給油環境がよくなったか・・?あるいは本日はゲリラ的に急に営業したのか・・・
4月3日(日)の日記① まだガスがこない
◇仙台市ガス局は他都市の応援を得て、3200人規模のオールジャパン体制で懸命にガスの復旧に取り組んでおり昨日まで約1/3の家庭が復旧できたらしい。
◇毎日の開栓予定が町単位で示されているがわが家まわりは未定である。
◇本日わが家まわりに東京ガスの系列の会社の応援の人がいてなにかやっているので聞いてみると各家庭のメーターの入口の取り合い弁までの供給側の復旧をしているとのこと(ここで不具合が見つかれば修理するという流れらしい)。このあたりの復旧の見込みは不明とのこと。動きはあるが、2-3日中には復旧しそうにない。残念。
4月3日(日)の日記② 仙台市民の被害
◇震災の後、大した被害がなく元気にしている様に見える普通の仙台市民の、わかってきた被害(私がわかってきたということ)
◇建物に被害がないといえても、地震で家財が痛めつけられていることがある。食器棚が倒れて食器がメチャメチャに破損とか本棚が倒れて本・家具・床などが破損など
◇震災当日や2-3日後まで、大きな余震が頻発する中散乱した家に戻って過ごすのは怖くて自動車の中や避難所で過ごした人も多い。
◇建物の地震による被害もわかってくるほどに多い。古いビルなどは躯体に損傷を受けたり、盛り土の造成地では家全体が傾いたりといった被害も散見する。
◇近郊の森や高台などは地割れ・土砂崩れなどを多く目にする(写真は青葉山のガケ崩れ)
◇勤め先が津波の被災地で車をなくした人の話も耳にする。
◇これから、心の面の被害も顕在化してきそう
4月4日(月)の日記② ついにガスが来た
ついにガスがきた。これでわが家で風呂に入れる。調理も元に戻れる。
◇今朝の新聞に、突然わが町が本日から開栓開始と出ている。ビッグニュース。
◇昼前、わが家の前の公園にガス会社の人、聞けば宮崎県からの応援の方々で開栓中とのこと。遠路ご苦労様です。わが家ももうすぐと期待。
◇午後5時頃、わが家にやっと来られました開栓組。すぐにOK。万歳!。
ありがとう、オールジャパンガス復旧隊の皆さん
4月4日(月)の日記① ダイエーでまともに買い物
◇所用で街の中に出たついでにダイエーで食料品など買い物
◇もう行列なし、並ばなくとも買える。
◇品物もかなりそろっている。
◇食料品の中では(私の買い物の中では・・)、牛乳が単一銘柄(岡山産)のみそれでも数量制限なし、ヨーグルトはあまり見かけない銘柄のみしかも1人1個に制限あり。乳製品はかなり品不足のままである。地元の有力2工場の製造停止がきいている様だ。
◇街の雰囲気も落ち着いている。救急車に出会わなかった。
生活にかかわること、スナップ
◇ダイエーに行列
◇イオンに行列
◇ガソリン給油所の車の列
◇中学校の給水の状況




◇中学校校庭の給水用手押しポンプ
◇壁新聞
◇新田ケーヨーの張り紙
◇我が家の地震対策、ツッパリ某




地震の後の被害状況を我が家の生活にかかわること振り返ってみた(あまりに長文、備忘録です)
3月16日(水)の日記 水道が復旧
水道が復旧した。これで電気と水道が活きた。
◇ガスは、仙台市ガス局の供給ターミナルである仙台港の設備が壊滅的損壊で、復旧はまだまだとのこと。新聞には新潟からのパイプラインの 健全性を見た上で・・と出ていたがどうなるか。地震翌日にはガス局の人が来て点検後、外の元栓を閉止していった。
◇電気の復旧は早かった。14日早朝に復旧。街の中心部から夜の照明が活きてきているのがわかった。 電気の復旧で、固定電話とネットも一応使用可能となる。
◇ケータイは地震発生直後にメールは送信できたがその後しばらくは使用不能状態、14日から少しよくなった。本日晩は大分スムーズになった。
◇地震翌日にはホームセンター、スーパーに必需品を購入しようとする人の列、すぐになくなっていた。
3月16日(水) 水道 その②
◇地震により、水道はストップ。ただし、わが家は集合住宅で高架水槽方式のようで当日夕方ややきたなくなりつつあったがまだ水が出た。これを浴槽にためた。これは大正解であった。手洗い・トイレに使えた。かつて阪神淡路大震災の時、神戸で被災した人が姫路のわが家の隣に避難してきたときトイレの水が流れると言って涙を流していたのが思い出された。
◇我が家の近くの給水所は東仙台中学校である。12日の朝方様子を見に行った時の状況。どうも校庭の地下に飲料水のプールがあるようで手押しのポンプ(井戸)でくみ上げる方式。まだあまり人は並んでいない。
◇12日午後に再度様子を見に行くとものすごい行列。しかも水を入れる容器を準備しなければならないが水用のポリタンクは手元にない。当面はしのげるので、この日はあきらめ。ホームセンターにポリ容器を探しにゆくととっくに売り切れ。困った。
◇13日、水の容器として思いついたのがプラスチックの衣装ケースの箱や大きい布袋の内側に厚めのポリ袋を入れて水を受けたら何とか運搬できそう。これを準備して東仙台中へ車で行く。そしたら昨日以上にとんでもない長い行列。これは待ち時間がもったいないと判断。
◇携帯電話は発信がまったくきかない。仙台に住む親戚の安否が気になるので直接訪ねる(親戚は無事)。するとなんとここの地域の水道は活きていた。(電気も活きている)。近くの避難場所指定公園の水道が出るという。助かった。ここで水をもらう。
◇食器はラップやアルミホイールでつつんで使用し、洗浄は省略するのがよいとの話をラジオできいたので実行。これは効果大。
◇15日、我が家のブロックの両隣のブロックの水道が活きた。我が家の復旧も近いか。
◇16日、東仙台中を覗く。給水車からの給水になっていた。水道が活きた
エリアがあるせいか列は短い。給水車は他県からの応援。
午後水が出だした。うれしい。
3月17日(木)の日記 ガソリン
地震発生日になんとか家にたどり着いた時、車のガソリン残量はほぼ最低目盛
◇13日に、新聞情報をたよりに街中の緊急対応スタンドに自転車で状況を見にゆくとすごい行列。交差点をいくつか超えている。交差点に店員を配置して案内している。地震後にローリーは入ったらしいが行列の途中で在庫切れのおそれありとのこと。1人 4000円まで制限とのこと。とても間に合いそうもないので明日早朝、新たなローリー到着を期待して並ぶことにする。
◇14日早朝5時半、まず近所からアタック。列はそう長くない。ここに並ぶ。しかし一向に店の人が現れず本日の様子がわからない。しびれを切らし10時過ぎにあきらめ。15時頃自転車でまわったら店員が来たところ。少しは給油したみたい。状況の説明があれば頑張って並び続けたのに。もったいなし。
近隣の他社2店舗チェック。その①は営業中、一人2000円まで在庫あるまで、すごい行列で今から並んでも無理判断、その②は立て看板があり明日10時から営業するとのこと。この情報は親切で貴重だった。明朝からここに並ぶことにする。
◇15日、早朝5時に行く。なんと長蛇の列。約1.5kmの長さ。仕方なし、ここに並ぶ。
13時15分、約8時間待ちでやっと給油できた。2000円、13.3リットル。これで一息。車はもう緊急用にしか使えない。
3月18日(金)の日記 ダイエーで買い物
◇現在の我が家のライフライン
・電気;きている
・水道;きている
・ガス;復旧の見通しきかず
◇買い物
・コンビニは閉店が多い。たまに行列がみられるがすぐに食べられるものは売り切れ?乾電池、衛生用品なども入手困難。
・小さな店(ダンゴ屋、餅屋など)に行列があったりするのはおにぎりの販売だったりする。
・ガソリンスタンドは、ほとんど閉店または緊急車両のみというところがほとんど。それでも本日4000円分給油できたところもある。
・近所の小さなスーパーは生鮮品が入荷次第売ってくれる(値段は上がっている)。そのたび行列。
・年寄だけでなく食料をあまりストックしていない生活の人には実に厳しい環境である。若い人でもじっと並んでわずかな食料を手に入れている。大変だ。
◇本日はまずじいちゃんの補聴器用の特殊な乾電池を求めて仙台駅近くの店へ。ちょうど久しぶりに開店したところで無事電池を入手できた。
◇我が家から仙台駅までは約5kmあるがこういう状況でガソリンを節約しなければならないので自転車でゆく。今朝は雪が積もり日陰の路面は凍りついたまま。気をつけて行く。
◇その後せっかく街の中にでたので、食料品を入手しようと近くのダイエーに行く。とんでもない長さの行列。覚悟を決めて並ぶ(10:30)
◇要所要所には警備員が配置されていて実に整然と並んでいる。少しずつ進む。
◇14時過ぎに入店
◇1階で米と水、地下1階でカセットコンロボンベ、乾電池など、地下2階で食料品を買えた。人気のあるものは当然販売数の制限あり。
◇寿司や食パン・牛乳なども購入できた。扱う品数が多いせいかまだ残っているものの中にもレトルトや冷凍品など「いいもの」があった。新規に入荷もしているものがある。
◇我が家で古いパン焼機をみつけたので、なくなった食パンを焼こうとしたが、ドライイーストなるものと強力粉が必要。ダイエーの売り場をさがしたが小麦粉は全部売り切れ、イーストなんてもともとないみたい。あきらめ。
◇買い物をしすぎて大きな袋が3つ。自転車で運ぶのにてこずった。
◇帰りがけ風呂屋に行列が出来ていた。
3月18日(金)の日記 地震関連覚書
本日まで今回の地震がらみのいろいろなこと覚え書
◇電気がくるまで、いや来た後にも携帯ラジオには御世話になっている。胸のポケットに入る小型のものだが貴重な情報源である。余震が多く緊急地震速報も頻発するので常にラジオかテレビをつけておく必要がある。ラジオはよかった。ただし地元の東北放送は早い時点から聞こえなくなったのは残念。
◇地元の新聞河北新報は震災翌日も新聞を発行した。震災にあっていないよその県の新聞社と提携していたらしい。阪神淡路大震災の時の神戸新聞も京都の新聞と提携して頑張っていた。素晴らしい。
◇鳥見でよく行った仙北・仙南と海岸部の被害状況がテレビに映るうつるたび、何でこんなにと思ってしまう。もし現場に居合わせたらはたして無事逃げられたのか・・・。山元・亘理・岩沼・名取・荒浜・蒲生・仙台港・東松島・宮戸島・石巻・牡鹿半島・・・・いいところだったのに・・・。鳥見の際、現地で知り合った方々は無事だったのだろうか。無事であってと祈るばかり。
◇本棚・冷蔵庫などにとりつけていた天井との間の「突っ張り棒」は非常に有効であった。
◇非常時はまわりの人に声をかけよう。心強い・気持ちが落ち着く。
◇携帯電話は地震直後はメールが通じた。これがよかった。その後は2日ほどほとんど電話もメールも通じなかった。その後は携帯電話は情報伝達手段として有効だった。電気がくるまでは充電できずに困った。車から充電できる充電器や予備の電池を用意していた方がよい。
◇ガスの復旧が遅れる。こんな時に備えて卓上のLPGのコンロはあったほうが良い。
◇電気がいきているので、電子レンジ、炊飯器、電気ポット・コーヒーメーカーを調理や湯わかしに利用している。
◇水道が活きるまでは、食器を汚さないために食器をラップでくるんで使った。
◇自転車が活躍。古い自転車だが自動車の代わりをしてくれている。
◇地震後のハガキが千葉県から来た。定形郵便物のみOKなのかも。
3月19日(土)の日記 その① 食パンが焼けた
電気を熱源とする自動のパン焼き器が出てきたとふれまわったおかげで親戚①から材料の強力粉、親戚➁からドライイーストが供給された、さらにパン作りの得意な親戚③からメールでレシピを教えてもらいおそるおそるチャレンジ。
材料を入れて、スイッチを入れてただそれだけ。4時間の間、時々あやしげな音を発しているのを待ち続けて・・・出来上がり。
上出来でした。姿も味も合格!親戚のみなさんありがとう。
これで当面、パンが売り切れても心配なし。
3月20日(日)の日記 カセットボンベあり
自宅から少し遠いがケイヨーD2新田東店で買い物をした。ここはいわゆるホームセンター。
◇店頭販売。店頭のいつもは植物などを売るエリアに買い物カートを並べている。
◇9:40に列に並び10:30には入店できた
◇世帯ごとの販売制限あり、売り切れもあり。
◇一部の品は店内で販売。地震がくるとすぐに店外に出される。
◇LPGのカセットコンロとボンベ在庫あり カレンダーは3連休だがだれものんびり休暇の気分ではないでしょう。
3月21日(月)祝の日記① 宅配便が届いた!
◇佐川急便で宅配便が送れるようになったとのことで一昨日関東から緊急資材食材を送ってもらったが、無事今朝受け取れた。
◇ただし発送№をよく聞いた上で到着を電話確認の上営業所まで取りにゆくことが必要。
◇営業所は荷物を受け取る人たちであふれていた。
◇荷物を送ってくれた親戚Cどの、佐川急便どのに感謝感謝である・
◇一息つける。
◇クロネコヤマトも復活したようだ。
3月21日(月)祝の日記③ 髪を洗うには
◇ガスがきていないので、入浴・シャワーが出来ない。復旧はまだまだで1ケ月以上はかかるらしい。
◇長蛇の列に並んで銭湯に入るかお湯をわかして顔や場合によっては体を拭くしかないが髪だけは洗いたい。
◇ガソリンがなくてとても鳴子温泉までは行けない。
◇男性は家のお湯でなんとかなるとして、女性は・・・・街の理容室で1000円くらいで洗ってくれるところがあるのでこれを探して洗髪しては・・・?
3月22日(火)の日記② ついに風呂に入れた
生活環境、本日の日記
◇病院に薬を取りに行く。連休明けであり、薬が少ししか配布されていないせいもあり病院外来はすごい人。薬局でも待ち時間大。薬をもらうのも大仕事。
◇ついに風呂に入れた。それも温泉(沸かし湯の鉱泉らしいが)。地元情報に詳しい親戚Aさんの紹介で穴場のひなびた山の温泉に。昨日までは休みのせいでかなり込み合っていたらしいが本日はお客は少なめ。待ち時間小1時間でゆっくり入れた。仙台の中、近場にこんなところがあるとは・・。ポカポカと風呂から出ても温かい。地震以来11日目の風呂、生き返った・親戚Aさんに感謝。
◇電話、メールとも環境がほぼ戻ったようでスムーズにやりとりできている。遠方からの激励電話やメールがたくさんきた。嬉しい限り。皆さんお気遣い有難うございます。エールに感謝です。
◇宅配便が復旧して、必要品があれば送るという連絡もあちこちからいただいた。ありがたい限り。でも何とかペースをつかんで生活できており今すぐ欲しいものといえばガソリンです。まさか送って貰うわけには行かないし。
◇本日の河北新報1面には、塩竈港に入港第1隻目のアポロマークのタンカーの勇姿。「がんばれ」と横断幕。こちらからは大声で「有難う」と言いたい。あと数日でガソリンも出回るでしょう(そうなって欲しい)
◇ガスがなくて調理にはて手ずっている。
カレー調理の一幕
・野菜・肉はホットプレートでいためる
・電気ポットで沸かした熱湯も利用して・・
・耐熱ガラスに入れて電子レンジで加熱
・最後にLPGのカセットコンロで加熱仕上げ
・ひとつひとつが新しい操作なのでスムーズにゆかず時間がかかる
・LPGのカセツトコンロのボンベはあまり在庫がないので出来るだけ節約して使っている。
早くこいこい、ガスガスガス
◇仙台市ガス局が朗報を発表。新潟からのパイプラインが使えるようになり、まず病院から、そして順次周辺部からガスを生かすとのこと。早い復帰を期待する。
◇消防車・救急車のサイレンの音が少なくなった。ヘリコプターの音も少なくなった。災害派遣の自衛隊や他県の救急車はまだ見かける。
◇北海道で10年間まったく症状がでなかった花粉症が本州に帰ってきてしっかり復活してしまった。今日は鼻水と目のかゆみでサイアク。
3月23日(水)の日記② クロネコ便も来た
◇佐川急便に続いてクロネコヤマトの宅急便も開通した。
◇昨日午前大阪で出した荷物が本日午後に仙台の営業所についた。
◇ネットで到着を確認したらすぐに電話でも到着の連絡があった。
◇自転車で卸町の営業所まで取りに行った。まだ数が少ないのか待ち時間なしで受け取れた。
◇はるか遠方からの救援物資に感謝。親戚Dさんありがとう。
◇東北自動車道の大型車が通行可能(緊急に限られるが)となったせいか関西から翌日に到着とは早い!
3月23日(水)の日記① いやされる
地震後の生活で「意外に癒やされたこと」
◇電気がこない生活の中でのラジオ。NHKの年を重ねたアナンサーの実に落ち着いた口調に張り詰めた思いはほんとに癒された。
◇助け合い。日ごろ顔をあわせる程度でさほど親しくない人ともお互いに無事を喜ぶ言葉を交わすだけでもずいぶん落ち着く
◇あかり。やはり夜は明るいとほっとする。
◇テレビのCMがAC(公共広告機構?)に切り替わった。阪神淡路のときを思い出す。最初は目新しい感じだがすぐにめいってきた。朝ドラ「てっぱん」が再開されてやっと明るい調子が出てきてよかった。
◇ラジオですこしずつ元気付けの意味で音楽を流すようになった。聴いたこともないチェロの調べに心が落ち着いた。テレビは「BS日本心の歌」でのなつかしい愛唱歌の調べに癒された、選曲は考えてくれているようだった。
◇こんなときだからと花壇に目を向けるとクロッカスが咲き出していた。チューリップももう少しで咲く。マリーゴールドの種まきをした。少しずつだが落ち着いた生活を取り戻しつつある。
3月23日(水)の日記③ 買い物事情改善
◇買い物事情が少し改善した。
◇近所の小規模・中規模スーパーとも30分も待たないで入れる。
◇牛乳等乳製品はダメ、食パンは手に入れにくいがその他かなりのものが出回っている。
◇ガソリンはまだまだのようで近所のスタンドはまだ閉まっている。
3月24日(木)の日記① 宅急便が配達された
◇千葉県北西部に住む友人から宅急便が届いた。昨日発送本日午前中に配達された。生鮮食料品がどっさり。ありがたい。
◇また取りにゆかなければと思っていたら、卸町の営業所に荷物があふれたか・・・届けてくれた。ありがとうクロネコさんありがとう。
3月24日(木)の日記② 本日午前ガソリンスタンド状況
◇本日午前のわが家に近い東仙台から北四番町方面のガソリンスタンド状況。宮町交番に近い出光が一般車にも給油していたが整理券の№が450までいってる。車の列は上杉から北六までまわり北六小あたりまで連なっていた。
◇あまり待たないで給油出来るようになるまでにはまだ日数がかかりそう。
3月24日(木)の日記③ 牛乳買えた
◇昨日は買えなかった牛乳を買えた。近所の中規模スーパーで10分待って牛乳1本ゲット。近隣の別のスーパーでも同様。少しずつ環境はよくなっている・・・か?
3月26日(土)の日記② 北海道から牛乳が
◇相変わらず牛乳ヨーグルトなどの乳製品が品不足。あちこちミニスーパー・コンビニをまわり行列に並んでなんとかゲット。これが北海道産。昨日仙台港のフェリー岸壁の使用が出来るようになり太平洋フェリーのおなじみ「きたかみ」が北海道から救援物資を大量に積んで入港というニュースがあった。北海道の皆さんにはごめいわくをおかけします。太平洋フェリー有難う。
◇自転車で近所を「地回り」しながら目的の食料を買えそうなところに並んでゲットしているが、これは
①時間があること、②体力があること、③テキトーに情報を得てテキトーに判断できること ・・・が必要である。
ということは以下の人には非常に過酷な環境である。
①お年寄り、②幼児・幼児連れ、③昼間行動できない忙しい人、④町の情報にうとい人(井戸端会議の出来ない人)
自宅に住みライフラインが活きて一見平穏な生活の復活に見えても、生きていく上であまりに厳しい環境にある「避難民」はたくさんいる。
3月27日(日)の日記② 佐川もクロネコも配達してくれる
◇佐川急便もクロネコヤマトも宅配してくれるようになった。一昨日北海道で発送手続きしてくれたクロネコ宅急便荷物が本日午後にはわが家まで配達された。平常と変わらない速さでびっくり。
◇北海道の貴重な食料、パン焼きの材料、非常食、日用品まですごい量の救援物資。ありがとう。心遣いはうれしい限り。
◇佐川急便も、千葉から2日で配達までしてくれた。これまた生鮮食料をはじめさまざまの救援物資。もう感謝の気持ちばかりです。ありがとうございます。
3月27日(日)の日記③ 本日現在の生活環境
本日現在のわが家の生活環境
◇電気・水道は来ている。
◇ガスは、まだ来ていない。仙台市ガス局がエリアを区切って段階的に復旧にかかった。わが家のまわりはあと2-3日で復旧とみた。ガスがないので調理にてこずり、風呂も入れない状況。
◇買い物は相変わらず不便。お店への入荷品目・数量とも少ない。食料品は大きい店ほど品数は多い(といっても平常に比べてまったく少ないが)行列が長い。コンビニは開いてる店は半分以下、置いているものは限られている。ときどき「当たり」があるのでこまめに行列に並んで覗く必要あり。近所のミニスーパーは品物が入荷次第すぐに店頭に並べてくれる。ただしいつ来るかまったくわからない。行列の様子をしょっちゅう監視していないと望むものは買えない。
◇すぐ近くの薬局は薬の入荷が少ない。私の花粉症に効いた希望の薬が買えなかった。
◇ガソリン状況は一向によくならない。少しずつ入荷しているようだが、給油してくれるのはごく限られた店のみ。給油しているところは1km-2kmの長蛇の列。もう緊急用にしか車は使わない。
◇宅配便は復旧。自宅まで配達してくれる。
◇仙台市内の病院は外来をほぼ平常体制で受け入れてくれるようだ。
◇東北自動車道は一般車も通れるようになった。鉄道はまだまだ。
◇市内のバスは、本数が少ないようだが通っている。復旧当初は時刻通りに来ず、市内まで数キロを歩いて仕事場に通っている人もいた。
◇東電福島第1原子力発電所は深刻な状況が続いている。仙台までは約100km。これからどうなることやら心配ではある。昔ジェーンフォンダがテレビか新聞かの記者をした「チャイナシンドローム」という映画があったことを思い出す。。
◇わが家と同じ宮城野区の海の近くや隣の多賀城市には特に津波による被災を受けた方が大勢いる。まだまだわが家は恵まれている。
3月28日(月)の日記② 安否確認システムに登録してあった
◇今回の震災で、親戚が当方の無事をGoogleの安否確認システムに登録してくれていて、これ見て安心していたという連絡が遠方の人からあった。登録していてくれた親戚Eさんありがとう。
3月28日(月)の日記③ 宅急便山口県から2日で到着
◇本日も宅急便が届いた。遠方山口県から2日で配達された。クロネコさん頑張ってくれている。ありがたい。お茶を飲みながら久しぶり山口の名産和菓子等をゆっくり味わった。気分が晴れ晴れとしました。お心遣いに感謝感謝です
3月29日(火)の日記① ガソリン25リットルゲット
ガソリンが最低目盛のままで少し心もとないので本日は朝から覚悟の上車の行列に並んだ。
◇近所の、国道45号苦竹駅東側、ヤマダ電機前の給油所。苦竹SS。給油能力が大。ここのところ毎日営業している。ただし午後には在庫切れのようだ。
◇ここの行列は最初の信号から2手に分岐している。下流側ではさらに分岐している。自転車によるチェックで本流である45号~中原本通りに並んだほうが早いと判断していたので、このルートの最後尾につく。6:40、苦竹郵便局前。30分遅くても10台くらい並んだだけ。並び出すのはもう少し遅くてもよかった。
◇8:40に列が動き始めた。給油開始とみえる。
◇9:00には45号IN、9:15苦竹駅ガード下と動きは早い。
◇9:50i給油できた。レギュラー単価160円、25リットル(4000円分)ゲット。セルフ。
◇セルフ灯油も簡単にゲット。シナネン石油殿ありがとう。
◇待ち時間3時間40分、前回よりはまし。これも時間がたっぷりあるからできること・・・。
◇エンジンをとめて待っていると寒い。十分な防寒対策をしたつもりだが足元から冷たさが這い上がってきた。津波の被害を受けて何日か孤立した人たちは防寒着もなしにこんな寒さに耐えたと思うと頭が下がる。
◇待っている間に文庫本1冊を読んだ。本棚からみつけた古い本。柳田邦夫著「恐怖の2時間18分」、1973年3月アメリカスリーマイル島の原子力発電所で起きた事故のドキュメント記録。今日現在も深刻な状況にある東電福島とは原因も影響も大きく異なる。
3月29日(火)の日記② 購買環境ぐっと改善された
◇昨日から24時間営業のセイユーが一斉に開店。近所の店に行く。
◇本日午後からの様子。行列なし、店の中もゆっくり選べる。商品もかなりそろっている。
◇朝のうちはそろっていたと思うが、ヨーグルト・食パンは在庫切れ。牛乳はあり。野菜などもある。
◇食料・日用品の購買環境は大分よくなった。
3月30日(水)の日記 気仙沼までハガキが5日で到着
◇気仙沼の友人宅へ出したハガキが5日かかって到着した。
◇友人宅は幸いやや山手で津波の被害にはあわなかった。
◇やっと郵便が配達されるようになったということか。
◇道路はなんとか
3月31日(木)の日記① 親戚に風呂をもらいに
◇ガスがなかなかこない。仙台市ガス局は連日開栓作業を進めておりガスが使用できるようになった地域は少しずつ増えている。わが家のまわりは、一度予定が発表され、2-3日前にはガスは生きるはずだったがなぜか後回しになりまだ使用できない。
◇2日ほど前にガスが生きた仙台市の反対方向に住む親戚から風呂の招待があり、お言葉に甘えて出かけた。久しぶりの風呂は気持ちがよかった。親戚Dさんありがとう。
◇夕方、わが家の近くでガスのマンホールを開けてチェックをしていた。仙台市ガス局に応援に来た北陸ガスの方々。さて明日開栓になるか。なって欲しいが。
4月2日(土)の日記① ガソリン給油状況やや改善
◇利府街道岩切の町を過ぎて利府町に入ったところの宇佐美、午前中10時過ぎに通りかかったら車は行列なしで給油出来ている。せっかくの機会なのでUターンして待ち時間ほとんどなしで満タン給油。ラッキー。出光のローリーの動きが活発になっている。アリガトサン。
◇ここも午後には行列が出来ていた。それでも2-300m、と短い。ここは穴場かそれとも少し給油環境がよくなったか・・?あるいは本日はゲリラ的に急に営業したのか・・・
4月3日(日)の日記① まだガスがこない
◇仙台市ガス局は他都市の応援を得て、3200人規模のオールジャパン体制で懸命にガスの復旧に取り組んでおり昨日まで約1/3の家庭が復旧できたらしい。
◇毎日の開栓予定が町単位で示されているがわが家まわりは未定である。
◇本日わが家まわりに東京ガスの系列の会社の応援の人がいてなにかやっているので聞いてみると各家庭のメーターの入口の取り合い弁までの供給側の復旧をしているとのこと(ここで不具合が見つかれば修理するという流れらしい)。このあたりの復旧の見込みは不明とのこと。動きはあるが、2-3日中には復旧しそうにない。残念。
4月3日(日)の日記② 仙台市民の被害
◇震災の後、大した被害がなく元気にしている様に見える普通の仙台市民の、わかってきた被害(私がわかってきたということ)
◇建物に被害がないといえても、地震で家財が痛めつけられていることがある。食器棚が倒れて食器がメチャメチャに破損とか本棚が倒れて本・家具・床などが破損など
◇震災当日や2-3日後まで、大きな余震が頻発する中散乱した家に戻って過ごすのは怖くて自動車の中や避難所で過ごした人も多い。
◇建物の地震による被害もわかってくるほどに多い。古いビルなどは躯体に損傷を受けたり、盛り土の造成地では家全体が傾いたりといった被害も散見する。
◇近郊の森や高台などは地割れ・土砂崩れなどを多く目にする(写真は青葉山のガケ崩れ)
◇勤め先が津波の被災地で車をなくした人の話も耳にする。
◇これから、心の面の被害も顕在化してきそう
4月4日(月)の日記② ついにガスが来た
ついにガスがきた。これでわが家で風呂に入れる。調理も元に戻れる。
◇今朝の新聞に、突然わが町が本日から開栓開始と出ている。ビッグニュース。
◇昼前、わが家の前の公園にガス会社の人、聞けば宮崎県からの応援の方々で開栓中とのこと。遠路ご苦労様です。わが家ももうすぐと期待。
◇午後5時頃、わが家にやっと来られました開栓組。すぐにOK。万歳!。
ありがとう、オールジャパンガス復旧隊の皆さん
4月4日(月)の日記① ダイエーでまともに買い物
◇所用で街の中に出たついでにダイエーで食料品など買い物
◇もう行列なし、並ばなくとも買える。
◇品物もかなりそろっている。
◇食料品の中では(私の買い物の中では・・)、牛乳が単一銘柄(岡山産)のみそれでも数量制限なし、ヨーグルトはあまり見かけない銘柄のみしかも1人1個に制限あり。乳製品はかなり品不足のままである。地元の有力2工場の製造停止がきいている様だ。
◇街の雰囲気も落ち着いている。救急車に出会わなかった。
Posted by OOAKAGERA at
12:37