2025年04月08日
4月8日(火)の日記見 新寺小路かいわい桜見物おすすめコース
削除しました。4月15日に今年の写真などを入れて再編集しアップしました。
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16:04
2024年11月30日
11月30日(土)の日記 街歩き「新寺通りの紅葉を求めて」
2024.11.30(土) 街歩き 「新寺通りの紅葉を求めて」
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21:51
2024年11月07日
11月7日(木)の日記 復刻 仙台の街路樹の紅葉めぐり ① 2021年の記事
今年の紅葉は例年よりやや遅めらしい。今からでも間に合う市内の街路樹の紅葉めぐりなといかが。
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16:59
2024年08月07日
8月7日(水)の日記 原町本通りの七夕まつり
ただいま仙台は七夕の真っ最中。街中のメインストリートの竹飾りが全国的に知られているわけだが、少し郊外でも手作りの心のこもった竹飾りが飾られている。本日はそのひとつ地元原町本通りを歩いて七夕を味わった。
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20:44
2024年04月13日
4月11日(木)の日記 新寺小路・榴ヶ岡 桜めぐり
2024.04.11(木) 新寺小路、榴岡界隈町歩き。桜を求めてお寺めぐりなど。
削除しました。来年桜の時期に復刻します。
削除しました。来年桜の時期に復刻します。
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00:08
2023年11月16日
11月16日(木)の日記 仙台市内の街路樹の紅葉 その4(最終) 泉区紫山のメタセコイア
◇仙台市内の街路樹の紅葉ほぼ終わりに近い。目立つところではメタセコイアの紅葉が終盤を飾っている。
◇泉区紫山のメタセコイアが 「杜の都・仙台 令和版 わがまち緑の名所100選」に選ばれており紅葉が見事とのことで今年はその景観を撮影しようと待ち構えていたら先日河北新報夕刊の「あの木に会いに行く」で大きく取り上げられていて先を越されてしまった(誰も相手になんかしてないでしょうが)。
◇泉パークタウンは昭和50年から住民が住み始め現在2万5千人が住む新興住宅地、瀟洒な外観の住宅が多く「仙台のビバリーヒルズ」と言いたくなる。メタセコイアの見事な紅葉は街の景観をさらにグレードアップしている。
◇泉区紫山のメタセコイアが 「杜の都・仙台 令和版 わがまち緑の名所100選」に選ばれており紅葉が見事とのことで今年はその景観を撮影しようと待ち構えていたら先日河北新報夕刊の「あの木に会いに行く」で大きく取り上げられていて先を越されてしまった(誰も相手になんかしてないでしょうが)。
◇泉パークタウンは昭和50年から住民が住み始め現在2万5千人が住む新興住宅地、瀟洒な外観の住宅が多く「仙台のビバリーヒルズ」と言いたくなる。メタセコイアの見事な紅葉は街の景観をさらにグレードアップしている。



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17:07
2023年11月07日
11月7日(火)の日記 復刻 仙台市内の街路樹の紅葉 その1 鶴ケ谷団地・宮城野区
仙台市の街路樹めぐり (観光案内) 復刻
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16:53
2023年11月07日
11月7日(火)の日記 復刻 仙台市内の街路樹の紅葉 その2 卸町・新寺周辺
【復刻仙台市の街路樹めぐり その2】 3分割の2つ目
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14:31
2023年07月27日
7月23日(日)の日記 実方中将の墓
◇久しぶりに実方中将の墓に立ち寄った。
◇JR名取駅から4kmほど西方向の山のふもと愛島(めでしま)塩手の地に「実方中将(さねかたちゅうじょう)の墓」がまつられている。
◇県道沿に大きな案内板があるのでわかりやすい場所。
◇実方中将という名前を聞いてピンとこなくても小倉百人一首の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」という歌を知ってる人は多いと思う。この歌の作者こそ実方中将(藤原実方朝臣)その人。
◇実方中将は平安時代の貴族、藤原一門の由緒ある家柄に生まれ、美男の誉れ高く、和歌の才能にもすぐれ、宮中勤めの女性に大変人気が高く、光源氏のモデル(その2?)になったといわれる人。
◇百人一首の歌は、枕草子で有名な清少納言にあてたといわれる熱烈な愛の歌。
◇この実方が殿上での失態から陸奥の国(多賀城)へ「歌枕の地を見て参れ」と言われて左遷された。
◇数年間の任期も終りに近づいたある日、出羽千歳山、阿古耶(あこや)の松を訪れての帰り道、名取の笠島道祖神の前にさしかかったところ、里人に「この神社の前は馬を下りて参拝してから通るように」と進言されたが、実方は無視してそのまま通り過ぎたところ、馬が暴れて落馬し、それがもとで亡くなってしまった。里人はこの死を悼んで墓を作り実方中将を偲んだということだ。
◇実方が辺境に死して約200年後、西行法師がこの墓に詣でた。西行法師の歌碑「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすきかたみにぞ見ゆ」がお墓の脇に立てられている。
◇また17世紀末、松尾芭蕉が奥の細道の旅でこの地をたすねたおり雨で道が悪く実方の墓へ参ることができず「笠島はいずこ五月のぬかり道」と一句手向けている。参道入り口に芭蕉の句碑がある。
◇実方が殿上人として都で評判をとった歌の碑「桜あがり、雨はふりきぬおなじくはぬるともはなのかげにかくれむ」がやはりお墓のわきにある。
◇たまにB級観光地で地元の歴史を振り返るなんてのもいい・・かもね。
【写真説明】
◇実方中将の墓案内看板(駐車場に車5台駐車可)
◇説明
◇芭蕉の石碑の説明
◇芭蕉のおくのほそ道の句碑
「笠島はいずこ皐月のぬかり道」

◇西行の歌碑
朽ちもせぬ そのなばかりを とどめおきて 枯野のすすき かたみにぞ見ゆ
◇かたみのすすき
◇実方中将の墓
◇説明板
◇JR名取駅から4kmほど西方向の山のふもと愛島(めでしま)塩手の地に「実方中将(さねかたちゅうじょう)の墓」がまつられている。
◇県道沿に大きな案内板があるのでわかりやすい場所。
◇実方中将という名前を聞いてピンとこなくても小倉百人一首の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」という歌を知ってる人は多いと思う。この歌の作者こそ実方中将(藤原実方朝臣)その人。
◇実方中将は平安時代の貴族、藤原一門の由緒ある家柄に生まれ、美男の誉れ高く、和歌の才能にもすぐれ、宮中勤めの女性に大変人気が高く、光源氏のモデル(その2?)になったといわれる人。
◇百人一首の歌は、枕草子で有名な清少納言にあてたといわれる熱烈な愛の歌。
◇この実方が殿上での失態から陸奥の国(多賀城)へ「歌枕の地を見て参れ」と言われて左遷された。
◇数年間の任期も終りに近づいたある日、出羽千歳山、阿古耶(あこや)の松を訪れての帰り道、名取の笠島道祖神の前にさしかかったところ、里人に「この神社の前は馬を下りて参拝してから通るように」と進言されたが、実方は無視してそのまま通り過ぎたところ、馬が暴れて落馬し、それがもとで亡くなってしまった。里人はこの死を悼んで墓を作り実方中将を偲んだということだ。
◇実方が辺境に死して約200年後、西行法師がこの墓に詣でた。西行法師の歌碑「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすきかたみにぞ見ゆ」がお墓の脇に立てられている。
◇また17世紀末、松尾芭蕉が奥の細道の旅でこの地をたすねたおり雨で道が悪く実方の墓へ参ることができず「笠島はいずこ五月のぬかり道」と一句手向けている。参道入り口に芭蕉の句碑がある。
◇実方が殿上人として都で評判をとった歌の碑「桜あがり、雨はふりきぬおなじくはぬるともはなのかげにかくれむ」がやはりお墓のわきにある。
◇たまにB級観光地で地元の歴史を振り返るなんてのもいい・・かもね。
【写真説明】
◇実方中将の墓案内看板(駐車場に車5台駐車可)
◇説明
◇芭蕉の石碑の説明
◇芭蕉のおくのほそ道の句碑
「笠島はいずこ皐月のぬかり道」
◇西行の歌碑
朽ちもせぬ そのなばかりを とどめおきて 枯野のすすき かたみにぞ見ゆ
◇かたみのすすき
◇実方中将の墓
◇説明板
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11:50