2021年03月04日

3月4日(木)の日記 東日本大震災 10年目の振り返り 15

【2011年3月31日(木)の日記③】 浪分神社 大昔からくり返される
◇知り合いに<実家近くに「浪分神社」というものがありそこは海からかなり離れているが大昔津波が来たという言い伝えがある、今度の津波でも近くまで波が来たようだ>と聞いた。
◇地震の少し前にテレビのニュースで1000年以上前に貞観(じょうがん)の津波という大きな津波があったことが文献にあり、最近の地層の調査でその規模が非常に大きかったことがわかったというようなことを放送していた。
◇本日、浪分神社を探訪した。
◇浪分神社の場所は、若林区霞目、自衛隊の東、横綱谷風梶之助の墓の近く、バス停「霞の目」のすぐ前である。
◇歴史上仙台は昔から大地震や大津波に幾度となく見舞われてきたようだ。浪分神社は海から5kmも陸に入ったところだが昔大津波がここまで来たらしい。
◇昔、慶長16年(1611年)12月に大地震が起こり、これに続く津波に襲われた。この時の大津波の状況は、伝説によると浪分神社の位置まで波が達し、この高台で波が二つに分かれたとされている。
◇またさらに前の、平安時代の歴史書にこのあたりを襲った大津波の記述があるらしい。869(貞観11)年の貞観津波だ。
◇そして、この付近の地質を調査した結果は「仙台平野の内陸部に達する貞観並みの巨大津波は、約1000年ごとに起きている」ことが分かった。貞観津波からはすでに1100年以上が経過しており、巨大津波を想定した地震対策が必要と一部の学者から声が上がっていた。
◇テレビのニュースによるとこの話を聴いていた海に近い地元の一部の人達は、決められた避難所である小学校では危ないと判断して仙台東部道路まで退避し難をのがれたという。これが本当とするとなんともやりきれない話である。せっかくの調査検討結果が活かされなかったことになる。
◇今回の津波は仙台東部道路が防潮堤の役目を果たしたとのこと。東部道路の構造は「橋脚」ではなく「土盛り」であり、本日東部道路の西側を見た限りでもダムの効果がはっきりと認められた。ただし、土盛りを貫通する(交差する)道路部分の四角い穴(トンネル)から海側から来た津波が陸側に噴出してそのまわりは津波が運んだゴミがたまっていた。東部道路がなければ津波は浪分神社あたりまで浸入したかもしれない。
◇先人は津波の被害を受けて、この被害を繰り返さないよう自戒を込めて後世に伝えたのが浪分神社としたら、結果として効果的に伝わらなかった。また科学的な裏づけ調査をして対応を提言している学者先生もいたが意見が活かされなかった。それは受け止める側の今の時代のわれわれの問題かもしれない。
◇このあたり、津波だけでなく地震そのものによる地面の陥没も目立つ。道路があちこちで割れたり沈んでいたりしていた。
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【2011年4月1日(金)の日記①】農業園芸センターまわりの状況
◇市内若林区荒井にある農業園芸センターまわりの地震・津波被災状況
◇ここは昨日記述した「浪分神社」の海側、仙台東部道路のさらに海側にあたる。
◇仙台東部道路から海側は津波の跡の泥とゴミが散在。主要道路は通れるようにガレキや樹木などを道のわきに寄せてある。高さにより被害程度に差がある。低い土地は泥がたっぷり堆積している。
◇農業園芸センターは閉鎖中。駐車場は泥堆積。少し高い位置は被害をうけていない様に見える。
◇大沼にはなぎ倒された樹木が散乱、部分的に集まっている。
◇大沼周回道路はほぼ全周地崩れで損壊。
◇近隣の荒浜地区には侵入禁止。
◇県道10号線(塩竈亘理線)は通行可、高砂大橋も通行可。
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【2011年4月2日(土)の日記①】 ガソリン給油状況やや改善
◇利府街道岩切の町を過ぎて利府町に入ったところの宇佐美、午前中10時過ぎに通りかかったら車は行列なしで給油出来ている。せっかくの機会なのでUターンして待ち時間ほとんどなしで満タン給油。ラッキー。出光のローリーの動きが活発になっている。アリガトサン。
◇ここも午後には行列が出来ていた。それでも2-300m、と短い。ここは穴場かそれとも少し給油環境がよくなったか・・?あるいは本日はゲリラ的に急に営業したのか・・・

【2011年4月2日(土)の日記②】 県民の森まわりの道
県民の森まわりの状況(見た範囲で)
◇もともとの計画的な工事のため七北田川今市橋側からのアプローチは不可。利府側からは可。
◇青少年の森、中央記念館とも閉鎖中
◇森内は地震による地面の亀裂、土手の脱落などがみられる。遊歩道への立ち入りは禁止となっている。
◇要するに来ても歩けない。
◇周辺道路には凸凹が生じている箇所あり。運転要注意。
◇四季の森方面は通行禁止。富谷方面からの道は大きく崩壊していて通れない。
◇利府のグランディ21方面には抜けられる
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【2011年4月3日(日)の日記①4】まだガスがこない
◇仙台市ガス局は他都市の応援を得て、3200人規模のオールジャパン体制で懸命にガスの復旧に取り組んでおり昨日まで約1/3の家庭が復旧できたらしい。
◇毎日の開栓予定が町単位で示されているがわが家まわりは未定である。
◇本日わが家まわりに東京ガスの系列の会社の応援の人がいてなにかやっているので聞いてみると各家庭のメーターの入口の取り合い弁までの供給側の復旧をしているとのこと(ここで不具合が見つかれば修理するという流れらしい)。このあたりの復旧の見込みは不明とのこと。動きはあるが、2-3日中には復旧しそうにない。残念。



【2011年4月3日(日)の日記②】 仙台市民の被害
◇震災の後、大した被害がなく元気にしている様に見える普通の仙台市民の、わかってきた被害(私がわかってきたということ)
◇建物に被害がないといえても、地震で家財が痛めつけられていることがある。食器棚が倒れて食器がメチャメチャに破損とか本棚が倒れて本・家具・床などが破損など
◇震災当日や2-3日後まで、大きな余震が頻発する中散乱した家に戻って過ごすのは怖くて自動車の中や避難所で過ごした人も多い。
◇建物の地震による被害もわかってくるほどに多い。古いビルなどは躯体に損傷を受けたり、盛り土の造成地では家全体が傾いたりといった被害も散見する。
◇近郊の森や高台などは地割れ・土砂崩れなどを多く目にする
◇勤め先が津波の被災地で車をなくした人の話も耳にする。
◇これから、心の面の被害も顕在化してきそう
◇新聞記事にならないところでの震災による損傷もスコグ多い。

【2011年4月4日(月)の日記①】 ダイエーでまともに買い物
◇所用で街の中に出たついでにダイエーで食料品など買い物
◇もう行列なし、並ばなくとも買える。
◇品物もかなりそろっている。
◇食料品の中では(私の買い物の中では・・)、牛乳が単一銘柄(岡山産)のみそれでも数量制限なし、ヨーグルトはあまり見かけない銘柄のみしかも1人1個に制限あり。乳製品はかなり品不足のままである。地元の有力2工場の製造停止がきいている様だ。
◇街の雰囲気も落ち着いている。救急車に出会わなかった。

【2011年4月4日(月)の日記②】 ついにガスが来た
ついにガスがきた。これでわが家で風呂に入れる。調理も元に戻れる。
.◇今朝の新聞に、突然わが町が本日から開栓開始と出ている。ビッグニュース。
◇昼前、わが家の前の公園にガス会社の人、聞けば宮崎県からの応援の方々で開栓中とのこと。遠路ご苦労様です。わが家ももうすぐと期待。
◇午後5時頃、わが家にやっと来られました開栓組。すぐにOK。万歳!。
 ありがとう、オールジャパンガス復旧隊の皆さん

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Posted by OOAKAGERA at 12:16 │東日本大震災 2011.03.11

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