2021年03月02日

3月2日(火)の日記 東日本大震災10年目の振り返り⑥

【2011年3月19日(土)の日記】 その② 本震発生前後

本震発生前後の様子を思いおこして記す。
◇東松島市の海水浴場として知られる野蒜(のびる)に明治時代に国をあげて取り掛かった一大土木プロジェクトがあった。殖産興業を推し進める明治新政府は東北開発の物流拠点をここ野蒜に定め建設にとりかかった。鳴瀬川河口に内港を建設し北は石巻から南は阿武隈川までを運河で結び、外港として宮戸島から防波堤を築いて外港とする壮大な計画であった。明治15年には内港が完成し、供用が開始された。しかし明治17年9月に台風により港は壊滅的打撃をうけた。そして外港建設には未着手のまま建設は中止となった。現在運河の跡や市街地跡に当時の面影が残っている、というものである。
◇しかし、観光地としてはB級であり知っている人は地元でも少ない。
◇わたしもその存在を知ったのは、内田康夫の推理小説(浅見光彦シリーズ)「不等辺三角形」を読んでである。1年ほど前に単行本が出ているわりと新しい作品である。この中に亘理町の斉理屋敷とともに東松島市の野蒜築港跡が出てくる。ここで初めて野蒜築港の話を知ったわけである。
◇3月11日、野蒜に出かけた。昼食の時刻となり、適当な食堂はないか探し駐車が多い「はやっている」店を見つけて食事をした。牡蠣はシーズンが昨日で終わり、ということで焼き魚定食を食べた。おいしかった。その後店の人に「野蒜築港跡」への道を尋ねたら店主とおぼしき年配のおじさんがわざわざ店の外まで出てくれて親切に教えてくれた。
◇まず、鳴瀬川右岸河口近くのちょっとした高台にある「野蒜築港資料室」に立ち寄る。
◇学芸員と思われる女性の方が1名で番をしていた。明治時代の築港建設についてはさすがに詳しい方で建設のいきさつをいろいろ教えてくれた。内田康夫氏も取材で訪れたとのこと。小説のモデルとなったアナゴ釣りの名人でもある仙台箪笥の職人さんも実在するらしい。
◇これから面影の残る現場へ行きたいといったら川を渡った左岸に行く必要があるという。あまり時間はかからなそうなので立ち寄ってみることにする。資料室で案内図をもらってこれをたよりにいざ左岸へ(以下の添付にこの案内図のコピーを使用させていただきました)
◇仙石線陸前小野駅のわきからせまい道を河口に向かうと遺跡(?)が現れた。先端の記念碑の前から河口まわりの鳥見もした。ここを出たのが14:25頃。
◇少し川をみながら上流に進む。ほどなく雪が降ってきた。それも結構強い降り。今日はこれで引き上げることにした。帰り道は、Aいつもの海沿いの松島経由、B三陸自動車道に乗る、C山沿いの利府街道と3コースあるが左岸から行きやすいのでCコースで行くことにした。
◇国道45号に出て鳴瀬大橋を渡り右折、少し山手に入る。松島町に入る頃、ラジオがいきなり「緊急地震速報」、切羽詰まった声、よく聞くとここに地震が来る・・・車を減速したらゆらゆらときた。すぐに停車し身構える。揺れがどんどん激しくなる。強烈な左右斜め方向のゆれ。車が飛ばされそう。ガソリンスタンドの前だったが構造物が車の上に倒れてきそうでこわかった。
◇気を取り直して落ち着こうとしていると低くなったが継続している波が急に強くなったりする。そのうち「大津波警報」が出た。この場所なら津波は来ないと判断。道の通行はスムーズだったのでどんどん進む・
◇愛宕の交差点から右折し利府街道に入る。利府まではスムーズだったが仙台に近くなり利府から岩切までは渋滞で動かない状態。いらいらしながら少しずつ進み岩切からはまたスムーズに通れるようになり18時頃にやっと帰宅した。
◇振り返ってみると、たまたま山の手コースで帰路についていたのでなんとかなったように思う。海沿いのコースでも高速道でも津波の危険があった。運がよかったとしか言いようがない。
◇野蒜も津波の被害は甚大で鳴瀬川の河口は瓦礫と泥の海である。大波は野蒜や小野の集落を飲み込んで仙石線の電車を巻き込み、国道45号の先まで達している。このあたりは、亡くなった人も多いと聞く。さっきまで話をしていた食堂のおじさん、資料室の女の方、左岸の先の漁港で網をつくろっていた漁師さん達、仙台箪笥の職人さん、みんなみんなご無事であって欲しい。
  
  


Posted by OOAKAGERA at 10:40

2021年03月02日

3月2日(火)の日記 東日本大震災10年目の振り返り⑤

【2011年3月18日(金)の日記 地震関連覚書

本日まで今回の地震がらみのいろいろなこと覚え書
◇電気がくるまで、いや来た後にも携帯ラジオには御世話になっている。胸のポケットに入る小型のものだが貴重な情報源である。余震が多く緊急地震速報も頻発するので常にラジオかテレビをつけておく必要がある。ラジオはよかった。ただし地元の東北放送は早い時点から聞こえなくなったのは残念。
◇地元の新聞河北新報は震災翌日も新聞を発行した。震災にあっていないよその県の新聞社と提携していたらしい。阪神淡路大震災の時の神戸新聞も京都の新聞と提携して頑張っていた。素晴らしい。
◇鳥見でよく行った仙北・仙南と海岸部の被害状況がテレビに映るうつるたび、何でこんなにと思ってしまう。もし現場に居合わせたらはたして無事逃げられたのか・・・。山元・亘理・岩沼・名取・荒浜・蒲生・仙台港・東松島・宮戸島・石巻・牡鹿半島・・・・いいところだったのに・・・。鳥見の際、現地で知り合った方々は無事だったのだろうか。無事であってと祈るばかり。
◇本棚・冷蔵庫などにとりつけていた天井との間の「突っ張り棒」は非常に有効であった。
◇非常時はまわりの人に声をかけよう。心強い・気持ちが落ち着く。
◇携帯電話は地震直後はメールが通じた。これがよかった。その後は2日ほどほとんど電話もメールも通じなかった。その後は携帯電話は情報伝達手段として有効だった。電気がくるまでは充電できずに困った。車から充電できる充電器や予備の電池を用意していた方がよい。
◇ガスの復旧が遅れる。こんな時に備えて卓上のLPGのコンロはあったほうが良い。
◇電気がいきているので、電子レンジ、炊飯器、電気ポット・コーヒーメーカーを調理や湯わかしに利用している。
  

◇水道が活きるまでは、食器を汚さないために食器をラップでくるんで使った。
◇自転車が活躍。古い自転車だが自動車の代わりをしてくれている。
◇地震後のハガキが千葉県から来た。定形郵便物のみOKなのかも。


【2011年3月19日(土)の日記】 その① 食パンが焼けた
◇電気を熱源とする自動のパン焼き器が出てきたとふれまわったおかげで親戚①から材料の強力粉、親戚②からドライイーストが供給された、さらにパン作りの得意な親戚③からメールでレシピを教えてもらいおそるおそるチャレンジ。
◇材料を入れて、スイッチを入れてただそれだけ。4時間の間、時々あやしげな音を発しているのを待ち続けて・・・出来上がり。上出来でした。姿も味も合格!親戚のみなさんありがとう。
◇これで当面、パンが売り切れても心配なし。
    


Posted by OOAKAGERA at 10:35

2021年03月02日

3月2日(火)の日記 東日本大震災10年目の振り返り④

【2011年3月18日(金)の日記】 ダイエーで買い物
◇現在の我が家のライフライン
・電気;きている
・水道;きている
・ガス;復旧の見通しきかず
◇買い物
・コンビニは閉店が多い。たまに行列がみられるがすぐに食べられるものは売り切れ?乾電池、衛生用品なども入手困難。
・小さな店(ダンゴ屋、餅屋など)に行列があったりするのはおにぎりの販売だったりする。
・ガソリンスタンドは、ほとんど閉店または緊急車両のみというところがほとんど。それでも本日4000円分給油できたところもある。
・近所の小さなスーパーは生鮮品が入荷次第売ってくれる(値段は上がっている)。そのたび行列。
・年寄だけでなく食料をあまりストックしていない生活の人には実に厳しい環境である。若い人でもじっと並んでわずかな食料を手に入れている。大変だ。
    

◇本日はまずおじいの補聴器用の特殊な乾電池を求めて仙台駅近くの店へ。ちょうど久しぶりに開店したところで無事電池を入手できた。
◇仙台駅までは約5kmあるがこういう状況でガソリンを節約しなければならないので自転車でゆく。今朝は雪が積もり日陰の路面は凍りついたまま。気をつけて行く。
◇その後せっかく街の中にでたので、食料品を入手しようと近くのダイエーに行く。とんでもない長さの行列。覚悟を決めて並ぶ(10:30)
◇要所要所には警備員が配置されていて実に整然と並んでいる。少しずつ進む。
     

◇14時過ぎに入店
◇1階で米と水、地下1階でカセットコンロボンベ、乾電池など、地下2階で食料品を買えた。人気のあるものは当然販売数の制限あり。
◇寿司や食パン・牛乳なども購入できた。扱う品数が多いせいかまだ残っているものの中にもレトルトや冷凍品など「いいもの」があった。新規に入荷もしているものがある。
◇我が家で古いパン焼機をみつけたので、なくなった食パンを焼こうとしたが、ドライイーストなるものと強力粉が必要。ダイエーの売り場をさがしたが小麦粉は全部売り切れ、イーストなんてもともとないみたい。あきらめ。
◇買い物をしすぎて大きな袋が3つ。自転車で運ぶのにてこずった。
◇帰りがけ風呂屋に行列が出来ていた。  


Posted by OOAKAGERA at 10:28

2021年03月01日

3月1日(月)の日記 東日本大震災10年目の振り返り③

【2011年3月17日の日記その2】 津波は川を駆け上がる
◇近所を流れる梅田川の土手を自転車でチェック。この川は海に流れ込む本流(七北田川)と合流する支流であるが、河口から8kmほどのところまで津波が来た痕跡があった。水面の1mくらい上にくっきりと泥のあと。
◇河口付近(蒲生地区)にいたはずの小船やごみが押し上げられていた。小船を漁師さんがとりに来ていた。
  

◇川沿いの溝近くの住宅街の道路にも泥、津波の跡と思われる。
  

◇津波は川を駆け上がる。川に沿って逃げるのはよくない。海からも川からも離れる必要がありそうだ。  続きを読む


Posted by OOAKAGERA at 22:17