2022年06月06日
6月6日(金)の日記 今日は何の日 日本サッカーリーグ開幕
2022年6月6日(月) 今日は何の日
「日本サッカーリーグ開幕、1965年6月6日」
◇現在のプロサッカーリーグJ1の前身である「日本サッカーリーグ」が開幕された日である。
社会人クラブの強豪・古河電工、三菱重工、日立を中心とする8クラブが参加し、国内初のサッカー競技のリーグ戦が開催された。第1回は、東洋工業が初代王者に輝いた。アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行ったのは日本ではサッカーが初めてである。
◇そして1973年、この日本リーグに創立わずか2年の山口県のチームが彗星のように登場して活躍し、わずか3年で消滅した。永大産業(永大)である。消滅は親会社の業績不振のためであった。
◇私は日本リーグ時代のサッカーの試合をわずかに1回だけ見ている。永大産業対ヤンマージーゼル。山口県の瀬戸内の沿岸部の平生という小さな町の永大のグランドで開催された試合である。観客席などない(おそらくゼロ)、しかしチケットは連れて行ってくれた先輩が買ってくれた覚えがある。有料だった。
◇観客は少なく、歓声などない静かな中で選手の声だけが響いていた。ヤンマーには当時のスーパースター釜本がいた。そんな試合をピッチから数メートルの至近距離で見ることが出来たのだから今思えば贅沢な環境だった。試合はその釜本が目の前で豪快なミドルシュートを見せてくれて、これが決まり1-0でヤンマーの勝ち。インタビューを受ける鬼武監督の顔を今でも覚えている。
◇その頃はサッカーより野球に興味があったせいもあり以後日本リーグを見に行ったことはない。
◇J1黎明期は千葉に住んでいたこともあり自然に地元JEFを応援するようになり一時期は野球よりサッカー観戦に出かけていた。しかし、広い競技場でたくさんの観客である。昔々、山口県の田舎のグランドで経験した親近感がなつかしかった。
【追記】
◇永大産業サッカーチームの活躍の軌跡を追った本がある。「歓喜の歌は響くのか」(斎藤一九馬著、角川文庫)。 取り寄せて読んでみたら永大チームの歴史が克明に載っていた。
◇それによると私が観戦した試合も載っていた。1974年(S49)12月8日(日)に山口県平生町の永大グランドで行われた第10回日本サッカーリーグ秋季リーグである。ただし、古いこととは言え私の記憶は甚だ違っていた。
◇試合結果は4-2でヤンマーの勝ち、観衆は4000名とある。田舎の競技場だがスタンドはあったようだ、まったく記憶にない。私たちが観た場所はスタンドではなく地面に立ったまま、ピッチのすぐわきであったことは確かである。
◇ちなみにヤンマーとの試合が山口で行われたのはこの時だけであった。約1月後、1974年度の天皇杯決勝(翌年の元旦)でこの両者は再び対戦した。永大は日本リーグ参戦3年目で決勝戦まで勝ち上がったまさに伝説の一戦だったが残念ながら優勝はヤンマーだった。
「日本サッカーリーグ開幕、1965年6月6日」
◇現在のプロサッカーリーグJ1の前身である「日本サッカーリーグ」が開幕された日である。
社会人クラブの強豪・古河電工、三菱重工、日立を中心とする8クラブが参加し、国内初のサッカー競技のリーグ戦が開催された。第1回は、東洋工業が初代王者に輝いた。アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行ったのは日本ではサッカーが初めてである。
◇そして1973年、この日本リーグに創立わずか2年の山口県のチームが彗星のように登場して活躍し、わずか3年で消滅した。永大産業(永大)である。消滅は親会社の業績不振のためであった。
◇私は日本リーグ時代のサッカーの試合をわずかに1回だけ見ている。永大産業対ヤンマージーゼル。山口県の瀬戸内の沿岸部の平生という小さな町の永大のグランドで開催された試合である。観客席などない(おそらくゼロ)、しかしチケットは連れて行ってくれた先輩が買ってくれた覚えがある。有料だった。
◇観客は少なく、歓声などない静かな中で選手の声だけが響いていた。ヤンマーには当時のスーパースター釜本がいた。そんな試合をピッチから数メートルの至近距離で見ることが出来たのだから今思えば贅沢な環境だった。試合はその釜本が目の前で豪快なミドルシュートを見せてくれて、これが決まり1-0でヤンマーの勝ち。インタビューを受ける鬼武監督の顔を今でも覚えている。
◇その頃はサッカーより野球に興味があったせいもあり以後日本リーグを見に行ったことはない。
◇J1黎明期は千葉に住んでいたこともあり自然に地元JEFを応援するようになり一時期は野球よりサッカー観戦に出かけていた。しかし、広い競技場でたくさんの観客である。昔々、山口県の田舎のグランドで経験した親近感がなつかしかった。
【追記】
◇永大産業サッカーチームの活躍の軌跡を追った本がある。「歓喜の歌は響くのか」(斎藤一九馬著、角川文庫)。 取り寄せて読んでみたら永大チームの歴史が克明に載っていた。
◇それによると私が観戦した試合も載っていた。1974年(S49)12月8日(日)に山口県平生町の永大グランドで行われた第10回日本サッカーリーグ秋季リーグである。ただし、古いこととは言え私の記憶は甚だ違っていた。
◇試合結果は4-2でヤンマーの勝ち、観衆は4000名とある。田舎の競技場だがスタンドはあったようだ、まったく記憶にない。私たちが観た場所はスタンドではなく地面に立ったまま、ピッチのすぐわきであったことは確かである。
◇ちなみにヤンマーとの試合が山口で行われたのはこの時だけであった。約1月後、1974年度の天皇杯決勝(翌年の元旦)でこの両者は再び対戦した。永大は日本リーグ参戦3年目で決勝戦まで勝ち上がったまさに伝説の一戦だったが残念ながら優勝はヤンマーだった。
1月1日(木) の日記 百人一首
12月31日(火) の日記 ウルトラクイズをまだやっていた
12月6日(金) の日記 復刻 昭和19年に起きた昭和東南海地震
11月22日(金)の日記 今日はいいフロの日
10月31日(木)の日記 AIによる自動音声
8月27日(火)の日記 再びユウガオの話 ラジオ深夜便から
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