2019年03月11日

3月11日(火)の日記 東日本大震災から8年

今日は3月11日、2011年に起きた東日本大震災から8年目になる。
最近地元の新聞「河北新報」にお世話になったので、多少のおべんちゃらも込めて感謝の記事を復刻。

2011年11月4日(金)の日記 河北新報のいちばん長い日
◇ 全国あちこち新しい土地に住むたびに地元の新聞を購読するようにしてきた。
◇ 兵庫県に住んでいたときに阪神淡路大震災に遭遇した。神戸からは少し離れていたので自分自身の被災は少なかったが激しい地震の揺れを経験した。このとき地元の「神戸新聞」は、社屋がひどく損傷をうけたにもかかわらず休刊することなく新聞の発行が続けられた。あとでわかったことだが、このときは社員の涙ぐましい努力と協力関係にあった京都の新聞の手助けを受けて発行できたと聞いた。被災してすぐに届いた地元の身近な情報満載の新聞を読めて感激したものである。
◇ 今回の東日本大震災の場合も、地元河北新報は翌朝休むことなく届けられた。神戸新聞のことが頭をかすめ、よく発行してくれたという感謝の念が沸き起こったものである。
◇ 東日本大震災を社内外の総力を挙げて乗り越えて新聞発行を続けた河北新報社の軌跡をつづったノンフィクション「河北新報のいちばん長い日」(河北新報社著)が発売されたので読んでみた。
◇ やはり震災翌日の朝刊の発行の裏には社員の皆さんの奮闘があったようだ。そしてここでも協力関係の新聞社(新潟日報)の全面的な協力もあった。
◇ すべて実名が記されており、震災直後の数日間の新聞発行までのドキュメントはスリリングで災害発生時の新聞社の初動態勢を考える上で参考になるものと思うがそれだけでなく素人が読むだけでも引き込まれる迫力がある。
◇ 数年前、本屋が選ぶ大賞として店頭に並べられていたのでついつい購入した「クライマーズハイ」という読み物があった。著者が群馬県の地方新聞記者時代に遭遇した日本航空ジャンボジェット旅客機便墜落事故を題材としたフィクションで、地方新聞社を舞台に未曾有の大事故を取材する新聞記者の奮闘を描いていた。東日本大震災対応と重なって思い出されるが、今回の河北新報の場合はノンフィクションであり、記録としての意味が大きいように思う。
◇ 困難な中で震災翌日の朝刊発行にこぎ着けた編集局だけでなく、津波で家族を失い自分も九死に一生を得ながら取材を続けた記者、殉職した販売店主らを広く対象としている。
◇ 被災者に寄り添う報道姿勢を貫いて読者に新聞を届けた社員の奮闘が描かれている。
◇以前に発行されている新聞の縮刷版とあわせて読むといっそう深い読み取りが出来る。


【震災・そして津波によるほぼ宮城野区の被害状況写真】
     


       


Posted by OOAKAGERA at 05:43