7月23日(日)の日記 実方中将の墓

OOAKAGERA

2023年07月27日 11:50

◇久しぶりに実方中将の墓に立ち寄った。
◇JR名取駅から4kmほど西方向の山のふもと愛島(めでしま)塩手の地に「実方中将(さねかたちゅうじょう)の墓」がまつられている。
◇県道沿に大きな案内板があるのでわかりやすい場所。
◇実方中将という名前を聞いてピンとこなくても小倉百人一首の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」という歌を知ってる人は多いと思う。この歌の作者こそ実方中将(藤原実方朝臣)その人。
◇実方中将は平安時代の貴族、藤原一門の由緒ある家柄に生まれ、美男の誉れ高く、和歌の才能にもすぐれ、宮中勤めの女性に大変人気が高く、光源氏のモデル(その2?)になったといわれる人。
◇百人一首の歌は、枕草子で有名な清少納言にあてたといわれる熱烈な愛の歌。
◇この実方が殿上での失態から陸奥の国(多賀城)へ「歌枕の地を見て参れ」と言われて左遷された。
◇数年間の任期も終りに近づいたある日、出羽千歳山、阿古耶(あこや)の松を訪れての帰り道、名取の笠島道祖神の前にさしかかったところ、里人に「この神社の前は馬を下りて参拝してから通るように」と進言されたが、実方は無視してそのまま通り過ぎたところ、馬が暴れて落馬し、それがもとで亡くなってしまった。里人はこの死を悼んで墓を作り実方中将を偲んだということだ。
◇実方が辺境に死して約200年後、西行法師がこの墓に詣でた。西行法師の歌碑「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすきかたみにぞ見ゆ」がお墓の脇に立てられている。
◇また17世紀末、松尾芭蕉が奥の細道の旅でこの地をたすねたおり雨で道が悪く実方の墓へ参ることができず「笠島はいずこ五月のぬかり道」と一句手向けている。参道入り口に芭蕉の句碑がある。
◇実方が殿上人として都で評判をとった歌の碑「桜あがり、雨はふりきぬおなじくはぬるともはなのかげにかくれむ」がやはりお墓のわきにある。
◇たまにB級観光地で地元の歴史を振り返るなんてのもいい・・かもね。

【写真説明】
◇実方中将の墓案内看板(駐車場に車5台駐車可)
◇説明
◇芭蕉の石碑の説明
◇芭蕉のおくのほそ道の句碑
 「笠島はいずこ皐月のぬかり道」
    

◇西行の歌碑
 朽ちもせぬ そのなばかりを とどめおきて 枯野のすすき かたみにぞ見ゆ
◇かたみのすすき
◇実方中将の墓
◇説明板
    

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